12月 19, 2023 15:09 Asia/Tokyo

皆様こんにちは。シリーズでおとどけしております「ペルシャ語ことわざ散歩」、今回は「こちらへの施し物を面会にささげた」という表現をご紹介してまいりましょう。

この表現はペルシャ語では、Ataa-yesh raa be leqaa-yesh bakhshiidam となります。

意味としては、何かある物や条件など、一連のメリットのあるものを、逆にそれが持つデメリットを考えて断念することを指します。

このことわざについては、次のような物語が伝えられています。

あるところに、非常に年老いてはいたものの学識に優れ、非常に敬虔な男性がいました。ある日、この老翁は色々な理由で極貧状態に陥り、その日の食べ物にも困窮するようになりました。その時、彼はある人から、ある大きな町に大富豪がおり、全ての貧しい人のニーズを満たしていて、その人の所に行けば助けてもらえるという噂を聞きつけます。

そこで、この年老いた男性はその大金持ちの所に出かけ、自分も助けてもらおうとしました。ところが彼は、一目でこの大富豪がひどく傲慢で上から目線であることに気が付きます。それは、自分よりも前にやって来た人に対し、その大金持ちはあたかも人々を自分の奴隷のようにすげない対応をしていたからです。

そこで、この貧しい老人は大富豪に何も頼まずにもと来た道を引き返しました。そこで、ある人がこの老人に、なぜ大金持ちに助けを求めなかったのかと尋ねました。そこで貧しい老人は曰く、「こちらへの施しものを面会に捧げました。あのような人間に何かをめぐんでもらうより、自尊心が傷つかないことの方がずっと大切だ

つまり、この貧しい老人はお金持ちの男に金品をめぐんでもらって当座の困窮状態が解消されることよりも、自らの自尊心や威信、人間としての尊厳が失われることの方がもっと有害だと考えたことになります。

ちなみに、シーア派初代イマームアリーも、このことについて「自分のニーズが満たされないことは、無知な人間に何かを要求するよりもよい」と述べています。

このほかにも、確かに得られる利益は多いもののリスクやそのために払う犠牲があまりに多い場合は、その選択肢を選ばない方がよいかもしれません。

何かの必要が満たされること、欲しい金品や境遇が手に入ることはよいことですが、そのために失うものが多すぎる場合は、そのニーズや要求が本当に大切かどうか、あるいは代わりに別のものを求める、または叶えようとする手段を変えてみる、といった賢明な行動が必要ではないでしょうか。それではまた。

この番組は、IRIBイランイスラム共和国国際日本語通信パールストゥデイがお送りしています。

 


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