3月 09, 2024 17:19 Asia/Tokyo

皆様こんにちは。このシリーズでは、イランに古くから伝わる生きたことわざや慣用表現を毎回1つずつご紹介してまいります。

今回は、預言者ユーソフの物語を由来とすることわざ「口の汚れた狼は、預言者ユーソフに嚙みついていない」ということわざをご紹介しましょう。

ペルシャ語での読み方は、Gorg-e dehan aaluude Yuusef raa na-dariideとなります。

この表現は、身に覚えのない、事実無根で不当な疑いをかけられたり、何も悪いことをしていないにもかかわらず問責されたりするような場合に使われ、日本で言う「濡れ衣を着せられる」という表現に近いと思われます。

預言者ユーソフの物語は、もしかすると皆様も聖書物語などで既にご存じかもしれませんね。

預言者ユーソフは少年時代、特に父親とは年が離れていたことから他の兄弟たちよりも父親に非常に可愛がられていました。しかし、他の兄弟たちはこれを快く思わず、ユーソフを妬み、憎むようになります。

ある日、ユーソフは不思議な夢を見ます。その夢とは、彼がほかの兄弟たちとともに畑で藁束を束ねていたところ、兄弟たちの束がユーソフの束にお辞儀をした、というものでした。ユーソフがこの話を兄弟たちにしたところ、彼らの妬みを買い、穴に突き落とされた上に通りがかりの隊商らに売り渡されてしまいます。その後、兄弟たちはユーソフの服に羊の血を塗り付けて、父親に対し「ユーソフは狼に食い殺された」と嘘を告げます。

というわけで、預言者ユーソフは狼に食い殺されたわけではなく、兄弟たちが父親からユーソフに関して責任を問われないよう嘘をついて言い逃れをしたわけです。狼にしてみれば、非常に迷惑な話ですよね。

このことから、不当な罪をかぶせられた人を預言者ユーソフの物語に出てくる狼に例えて、このことわざが生まれました。

ちなみに、この表現自体はイランの著名な詩人サアディの詩作の一編がもとになっていますので、それをご紹介し今回の締めくくりといたします。

おお、友は無常にも絆を断ち切った 我は君の忠誠心と約束をこのようには見ていなかった 我は君の意識の中にはあるが君から背かれた 口の汚れた狼は預言者ユーソフに噛みついていない

この番組は、IRIBイランイスラム共和国国際日本語通信パールストゥデイがお送りしています。

 

 


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