ファールス州;重要な歴史遺産(3)
このシリーズでは、シーラーズが輩出したもう一人の詩人で、13世紀に活躍したサアディについてお話しすることにいたしましょう。
これまで数回に渡り、イラン南部ファールス州の州都シーラーズを訪れ、その貴重な歴史遺産をご紹介してまいりました。シーラーズは、学問、芸術、文学の分野で、世界的に知られる優れた偉人たちを輩出してきました。今日もこの偉人たちの墓には、世界中から多くの人が訪れています。前回のシリーズでは、14世紀のイランの偉大な詩人、ハーフェズと、彼の美しい墓をご紹介しました。今回のシリーズでは、シーラーズが輩出したもう一人の詩人で、13世紀に活躍したサアディについてお話しすることにいたしましょう。
サアディ廟は、サアディーエという名で知られ、シーラーズの北東4キロのところにあります。この墓は、シーラーズの町の拡張とともに、今日、町の郊外に位置しています。この場所は、初め、サアディの修行所でした。彼は晩年をそこで過ごし、その後、そこに埋葬されました。13世紀に初めて、サアディの墓の上に廟が建てられました。1590年、ファールス州の為政者の命により、サアディの修行所は破壊されてしまいましたが、1773年にはザンド朝の王、キャリームハーンの命により、しっくいとレンガでできた美しい建物が、サアディの墓の上に建てられました。1950年には、イラン国家遺産協会と、政治家であり詩人でもあったアリー・アスガル・へクマトの尽力により、古い建物の代わりに現在の墓廟が建設されました。
この墓の入り口は、フランス人の建築家、アンドレゴダールによってデザインされました。建物はイラン様式で建てられており、墓の前には茶色の石でできた8本の柱があります。建物自体は、白い石とタイル細工で装飾されています。墓の建物は、外から見ると立方体になっていますが、内側は八角形で、大理石でできた壁とトルコブルーのドームがあります。この建物は、柱の連なる廊下を介して、イランの著名な詩人、シューリーデ・シーラーズィーの墓へとつながっています。
サアディの墓の敷地面積は、およそ1万400平方メートルで、そのうちおよそ260平方メートルが墓そのものの面積となっています。墓石は、八角形の建物の中央にあり、天井はトルコブルーのタイルで装飾されています。建物の7つの角には、7つの碑文があり、サアディーの様々な作品から選ばれた詩がそこに刻まれています。サアディの墓の近くには、著名な人物や学者たちの墓があり、本人の遺志を継いで、そこに埋葬されています。
シーラーズの町は、美しい庭園の存在により、イランの造園技術において特別な地位と名声を有しています。この町は昔から、緑豊かで美しい、大きな庭園があることで知られてきました。外国の旅行家の旅行記にも、これらの庭園について記されています。モロッコの旅行家、イブン・バトゥータは、14世紀にシーラーズを訪れ、このように語っています。
「東洋のどの町も、バザールや庭園の美しさ、水の豊かさ、人々のすばらしさの点で、ダマスカスに優る町はない。ただしシーラーズだけは別である。シーラーズは、平坦な土地にあり、至る所に庭園が存在する」
このような美しい庭園の存在は、温暖な気候によるものです。現在、18世紀から19世紀の庭園の幾つかが、シーラーズに残っており、エラム、デルゴシャー、ジャハーンナマー、ナザル、ナーレンジェスターン。ガヴァームなどの名を挙げることができます。ここからは、そのうちの一つ、エラム庭園についてご紹介してまいりましょう。
エラム庭園は、イランで最も古く、最もよく知られている庭園の一つです。この庭園は、イラン独自の伝統建築で非常に美しい景観を有し、背の高い糸杉の木が生い茂り、シーラーズの見所の一つとされています。エラム庭園が造られたのは、1256年から1349年のイルハン朝時代のことで、その後、シーラーズの優れた2人の建築家によって修復が施されました。およそ100年前、この庭園に3階建ての建物が建てられました。この建物の建築、彫刻、壁に描かれた絵画、漆喰細工、タイル細工は、19世紀のガージャール朝時代の芸術の傑作と見なされています。エラム庭園の建物の1階は、石碑で装飾され、壁には、ハーフェズとシューリーデ・シーラーズィーの2人の詩人の詩が飾られています。
シーラーズのエラム庭園が世界のどの庭園よりも優れているのは、預言者ソレイマーンの物語や宴の様子を描いた美しいタイル細工、そして、イランの著名な詩人、ネザーミー・ギャンジャヴィーの物語をモチーフにした幾つかの美しい絵画の存在です。庭園の壁に施されたタイル細工や絵画は皆、イラン人の情熱や興味の対象、古くからの伝統的な文化を示すものであり、そこには、フェルドゥースィーのシャーナーメや聖典コーランの物語が描かれています。
エラム庭園は、北側から、タイル細工の施された溝を水が流れており、建物の地下に流れこんで、建物を冷やしています。広間には水が流れこんでおり、「池の部屋」という名で知られています。建物の前には、タイル細工の施された池があり、その水面には、糸杉などの美しい自然、建物や壁画が映し出され、見る者を惹き付けています。この庭園には、樹齢の高い美しい糸杉の木が何本も生えており、庭園の名物となっています。エラム庭園の糸杉の中には、樹齢250年、高さ36メートルの木があり、世界的な名声を得ています。この糸杉は、エラムの建物の正面、タイル細工の池の南側にあります。エラム庭園は現在、植物学研究のための庭園として、シーラーズ大学に委ねられており、毎年、学生や国内外の旅行者、全国の研究者が訪れています。この庭園の敷地内には、500種類の花や植物が栽培されており、その中には希少価値の高い植物も見られます。
ナーレンジェスターン・ガヴァームも、シーラーズにある美しく歴史ある庭園の一つです。この庭園とその建物は、ガージャール朝時代の貴重な遺産であり、だいだいの木がたくさん生えていることから、「だいだいの園」を意味するナーレンジェスターン庭園という名で知られています。庭園の入り口は南を向いており、入り口の扉の上は、コーランの節が刻まれた、赤い色の大理石の碑文とレンガで装飾されています。扉は美しい象眼細工が施されたチーク材で作られ、玄関に向かって開かれており、2つの廊下を伝って庭園内につながっています。
ナーレンジェスターン庭園は、北、南、東側に建物があります。北側にあるのが本館で、2本の柱のついたテラスが設けられています。この建物はザンド朝時代の建築様式で、2階建てになっており、地下室があります。大きなテラスの両側には、別の区画に入っていくための2つの通路があり、地面からは2メートルの高さがあります。大きなテラスの柱は1本の大理石でできています。
面積3500平方メートルのナーレンジェスターン庭園には、およそ940平方メートルの建物が建てられています。この庭園は、1974年、イランの国家遺産に登録されました。庭園内の建物は、鏡細工、ガラス細工、壁画、象眼細工、彫刻、しっくい細工、モザイクなどの芸術の点で、シーラーズにあるガージャール朝時代の建物の中でも、最も美しいものの一つとなっています。ナーレンジェスターン庭園は、1966年、シーラーズ大学に委ねられ、1969年から1979年にかけては、イラン学で知られるポープ博士が管理するアジア研究所が利用し、その後、1999年にはシーラーズ大学の芸術・建築学部に委ねられました。