8月 23, 2016 15:54 Asia/Tokyo
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    マシュハド・フェルドウスィー大学

今回の番組では、イラン北東部のマシュハドにあるフェルドウスィー大学をご紹介することにいたしましょう。

マシュハド・フェルドウスィー大学は、歴史の点で、イランで3番目に古く、敷地の広さや学部、教育施設の数の点で、イラン北東部で最大の高等教育機関と見なされています。この大学は、1934年にテヘラン大学と同時に開校が提示されましたが、実際は1949年に、マシュハド・ベフダーリー教育施設が医学部に変わったことで、イラン最初の医療教育機関として開校しました。1956年、文学部と神学部が設置されました。こうして文学部と人文学部の創設の許可が出て、正式にマシュハド大学が活動を開始しました。その後、段階的に、神学部、教養学部、教育学部、心理学部、農学部、工学部が開設されました。

 

マシュハド・フェルドウスィー大学

 

1975年から、マシュハド大学は、イランの偉大な英雄叙事詩人フェルドウスィーの名を取って、フェルドウスィー大学となりました。1979年のイスラム革命後、教育を拡大する必要性により、1987年、一部の学部が改編され、この大学の医学部が分離した後、経営、経済、畜産、体育、数学、環境、建築、イスラム芸術の各学部、さらには農学、植物学、地震学に関する研究所や芸術学部、単科大学などがこの大学に併合されました。

 

イラン高等教育普及評議会の承認事項により、2009年にネイシャーブール高等教育施設が、2013年にはシールヴァーン農学部がフェルドウスィー大学から分離しました。フェルドウスィー大学は、マシュハド市のアーザーディ通りにあります。

現在、マシュハド・フェルドウスィー大学はテヘラン大学、タブリーズ大学に次いでイランで3番目に古い大学として、66年の歴史を有しています。この大学の戦略的展望によれば、この大学は2020年に知識生産、理論展開、技術開発において、国内でトップの総合大学二つのうちの一つになるとされています。さらに、この大学は、イスラム世界でトップ10に入る大学となり、さらに世界で、トップ500入りするとされています。

現在、フェルドウスィー大学は12の学部、38の研究所、半数が教授や助教授で構成される800人の学術団体のメンバー、さらに2万4000人を越える在学生、1700人の専門家と職員により、イラン国内で上位の大学、北東部最大の高等教育機関と見なされています。

 

歴史・社会学者のアリー・シャリーアティ

 

フェルドウスィー大学の開校から現在まで、この大学では、数学者のタギー・ファーテミー、歴史・社会学者のアリー・シャリーアティ、ペルシャ文学者のゴラームホセイン・ユーセフィーの他、ユネスコの委員会の責任者、イスラム哲学者、天文観測所の創設者など、優れたイラン人学者がこの大学で教えたり、学んだりしています。

 

マシュハド・フェルドウスィー大学は、国内外で多くの名誉を授かっており、その中で、2015年世界の影響力のある大学トップ100に入ったこと、この大学の学術団体のメンバー2人が2015年の世界の科学者トップ100人に入ったこと、また同年、ICUのランキングで、イランで3位、アジアで95位、世界で455位になったこと、2012年には西アジアのACM学生大会で4位入賞したこと、また2014年の国際化学オリンピックで優勝したことなどが挙げられます。

 

最新の統計によれば、2015年度から16年度にかけて2万4562人がフェルドウスィー大学で学び、学生数の多い学部の順に、機械工学、化学、イスラム法、コーラン・ハディース学、ペルシャ語・文学、コンピュータ・ソフトウェア、産業技術、心理学、英文学となっています。

 

マシュハド・フェルドウスィー大学

 

フェルドウスィー大学の学術的レベルの高さ、そしてこの大学がシーア派8代目イマーム、レザー聖廟のそばにあることは、この大学で外国人留学生、多くのイスラム教徒が学ぶ原因になっており、2015年には10カ国以上の1021人の留学生が在籍していました。

学生数の多い学部の順に、開発工学、政治学、経済学・商業経済学、地学、法学、会計、言語、ペルシャ文学、電気工学、アラビア語・アラブ文学となっています。声らの留学生の多くが、アフガニスタン、タジキスタン、イラク、シリア、アゼルバイジャン、レバノン、イエメン、パキスタン、トルクメニスタン、韓国といった近隣のイスラム諸国やアジアの国の出身者です。

 

さらに287人の留学生が、マシュハド・フェルドウスィー大学でペルシャ語を学んでいます。この大学の工学部では、最多の外国人留学生が学んでいます。

 

シーア派8代目イマーム、レザー聖廟

 

パキスタン人留学生のモハンマド・エルファーン・マグスードさんは、2011年に、細胞・分子生物学の専門博士課程で学ぶためにイランに留学してきました。彼はラホール大学で分子バイオテクノロジー学を、パンジャーブ大学で政治学を学びました。イランを、特にマシュハド・フェルドウスィー大学を、勉学を続けるために選んだ理由として、ちょうどイスラム諸国が交換留学生を受け入れた時期にあたったためだとしています。さらにヒトES細胞の分野で学びたいという気持ちが強かったことが、イランのこの大学を選んだ理由だったとしています。

 

エルファーンさんは、イランではまず第一にルーヤーン研究所、次にマシュハド・フェルドウスィー大学でES細胞の研究が盛んであり、留学生はルーヤーン研究所に受け入れられないことから、彼はフェルドウスィー大学を選んだとしています。またこの他の理由として、マシュハドという聖地の存在を挙げ、イマームレザー聖廟を頻繁に訪れることができるから、としています。エルファーンさんはこの大学の利点の一つを、教授陣が英語に精通し、高い学術レベルを維持していることだとし、「学術レベルの点でこの大学は国際的に通用する力を持っている」と述べています。

 

 


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