11月 27, 2016 16:22 Asia/Tokyo
  • アフワーズ・シャヒードチャムラーン大学
    アフワーズ・シャヒードチャムラーン大学

今回ご紹介するのは、イラン南西部にあるアフワーズ・シャヒードチャムラーン大学です。

シャヒードチャムラーン大学は、フーゼスターン州の州都アフワーズにあります。

アフワーズ・カールーン川

 

イラン南西部のフーゼスターン州には、ザグロス山脈と広大な平原が広がっています。歴史資料によれば、フーゼスターンは紀元前およそ8000年に古い文明が誕生した地です。エラム、アケメネス朝、パルティア帝国、サーサーン朝に関する遺跡や遺物がフーゼスターンの各町に残っています。チョガーザンビールの寺院、アパダナの宮殿、ダニエルの墓はフーゼスターンの最も見ごたえのある遺跡と見なされています。

チョガーザンビールの寺院

 

フーゼスターン州は現在、鉄鋼業、石油、天然ガス、石油化学、製油といった重要な工業地帯や工場の存在により、イランの産業の中心のひとつと見なされています。フーゼスターン州には5本の重要な川が流れており、イランでも最も水の豊富な州と見なされています。

アフワーズ・カールーン川

 

イランの石油・天然ガス資源、ペルシャ湾へのアクセス、水力・火力発電所におけるイランの主要電力生産は、フーゼスターン州の大きな特徴となっています。

アフワーズ市

 

フーゼスターン州の州都アフワーズ市は、面積と人口の点からこの州最大の都市となっています。アフワーズ・シャヒードチャムラーン大学もまたこの町にあります。エラム人がアフワーズの町を築き、その時代、現在のアフワーズの近郊に、オクスィーンという名前の町を作り、この町やその周辺には経済、工業、農業の中心が多く存在していました。

ジョンディシャープールの大学の跡

 

以前の番組でイランの学術機関の歴史に関してお話したように、かつてイランの最大の大学は現在のフーゼスターン州のジョンディーシャープールにありました。ジョンディシャープールの大学では、医学、哲学、宗教、音楽、国家運営、農業といった様々な学問が教えられていました。歴史的な資料によれば、ジョンディシャープールの医学教育機関は、世界で最古の医療機関で、イランで数百年の間医学を教えていました。この大学と大学病院では、ギリシャやインドの学者や医師がイランの学者と共に、研究や教授、病気の治療を行っていました。

 

ジョンディーシャープール大学は、400年近く、数学、哲学、イラン、インド、ギリシャの医学などを教えていました。この大学では、イラン、インド、ギリシャなどの医学はじめとする様々な国の経験が活用され、イスラム期の一部の歴史家は、イランの医学はギリシャのそれよりも完全だったとしています。

 

フーゼスターンとその重要な都市、ジョンディシャープールは、絹織物や砂糖の生産が盛んで、当時の経済の中心地でした。シャープールもまた、高価なじゅたんや金銀製品の生産が行われ、イランの輸出入の中心地のひとつでした。灌漑施設の跡も、フーゼスターンの町で農業が栄えていたことを示しています。

 

明らかに、この地域の経済発展や生産は、学問の向上なしには不可能でした。このため、ジョンディシャープールの学術的な地位は、フーゼスターンの経済的、社会的発展と結びついていました。アッバース朝政府の樹立により、同王朝のカリフは常にジョンディシャープールから学者を首都のバグダッドに招いていました。このためジョンディシャープールのかつての重要性や信用は次第に薄れていきました。

 

ジョンディシャープール大学の名前が聞かれなくなってから数百年後の1955年、アフワーズの町に、新たな大学を創設する下地が整えられました。この大学の最初の学部である農学部は40人の学生を受け入れ、スタートしました。その1年後には、医学部がスタートし、次々に新しい学部が活動を開始しました。

チャムラーン博士

 

アフワーズはイラクとの国境に近い場所にあることから、1979年のイスラム革命後、そして1980年のイランイラク戦争の開始後、アフワーズ大学は聖なる防衛におけるイスラム戦士たちの主な拠点とみなされていました。この大学は、チャムラーン博士の指揮による不正規軍の拠点でした。この指導者が殉教した後、その勇敢さをたたえ、ジョンディシャープール大学はシャヒードチャムラーン大学と名称を変更しました。

アフワーズ・シャヒードチャムラーン大学

 

シャヒードチャムラーン大学の建物は建築の点で現在、類まれなものとみなされています。

シャヒードチャムラーン大学の文学部

 

1969年、建築と社会学を学んだカームラーン・タバータバーイーディーバーはジョンディシャープール大学の西の角の建物の設計に携わりました。この優れた建築家は、メインの建物、学生局、体育学部、モスク、教授の宿舎など、大学の主要な建物を設計しました。現在、彼の設計した建物は、シャヒードチャムラーン大学とアフワーズの町にとって大きな財産であるとともに、イランのみならず、イスラム世界の現代建築の遺産とみなされています。

シャヒードチャムラーン大学のモスク

 

シャヒードチャムラーン大学は現在、イラン南西部最大の高等教育機関、国内の総合大学の一つと見なされています。大学のメインのキャンパスはアフワーズ市の中心にあり、186ヘクタールの面積を有しています。大学のメイン棟に加えて、出版局、中央図書館、科学・自然博物館、スポーツ施設、教授の宿舎、そして各学部があります。

アフワーズ・シャヒードチャムラーン大学

シャヒードチャムラーン大学の分校には、シューシュタル芸術学部、ベヘバハーン環境・天然資源学部、シューシュ考古学部があります。

 

この大学は創設から現在まで、多くの優れた人物を輩出し、また著名な人物がこの大学で教鞭をとっています。2014年にはこの大学の教授による1137本の論文がイラン国内外の権威ある科学雑誌に掲載されました。

 

最新の統計によれば、2015年には1万5173人の学生がこの大学で学んでいました。学生数の多い順に、獣医学、機械工学、開発工学、アラビア語・アラブ文学、イスラム学となっています。学生数が最も多いのは工学系となっています。

アフワーズ・シャヒードチャムラーン大学

シャヒードチャムラーン大学には外国からの留学生も学んでいます。2015年には70人の留学生が在籍していました。彼らは地学、アラビア語・アラブ文学、経済、法学の各部で学んでいました。さらに経済学部が留学生が最も多く在籍していた学部でした。

 

20歳のアーダム・アギーリーさんはイラク出身の留学生です。彼は開発工学を学ぶ予定です。イランを選んだ理由は文化や宗教、地理的に自分の国と近いことを挙げ、ペルシャ語は母国語と近いことから簡単に習得できるとしています。彼はイランの魅力として治安と自然を挙げ、シャヒードチャムラーン大学を学術、地理、文化の点で非常に高く評価しています、このイラク人留学生はさらに、専門分野の多さをこの大学の特徴だとしています。