11月 29, 2016 20:43 Asia/Tokyo
  • ガラス細工
    ガラス細工

イランが世界市場に輸出している製品のひとつに、伝統工芸品があります。今夜の番組では、イランにおいて非常に古い歴史を持つこの産業についてお話しすることにいたしましょう。                 

伝統工芸は、人類が残してきた最も古い遺産です。この芸術は人類の誕生とともに創造され、完成に至る過程でそのアイデンティティを獲得してきました。芸術や伝統工芸は、人間の崇高な精神を表すもので、人間の思想、独創性、文化を映し出す鏡です。そのため、伝統工芸は過去から現在まで、人間の手によって作られた最も純粋で持続性のある手工芸として、今日までその高い地位を保持し、文化が保護されるきっかけとなってきました。

 

伝統工芸は非常に重要であり、その民族の信条や性質、伝統を表すものと考えることができます。それを作った人々は、周囲にある天然資源や環境の可能性といったさまざまな要素に注目しながら、自らの信条と情熱、技術によってそれらの貴重な作品を創作してきました。

イランの伝統工芸品

 

言い換えれば、あらゆる地域の伝統工芸品は、歴史の中でのその地域の政治、経済、社会、地理的な特徴、生活に対する考え方、精神や趣向を示すものです。明らかに今日、伝統工芸の存在がなければ、過去の多くの民族の信条やアイデンティティ、文化を再構築することは難しく、ほとんどの場合は不可能だったことでしょう。

 

伝統工芸は、世界で知られる4つの工業のひとつであり、農村や住宅などの小さな工房で行うことができます。この産業は先端技術を必要としません。そのため、莫大な投資も必要ありません。それを担うのは大抵、この芸術を先人たちから学んできた、その土地の人々です。

イランの伝統工芸品

 

伝統工芸はその土地の原料から作られるものを含み、その生産過程では、人の手や道具が使われ、それぞれの段階で、作り手の思想の独創性や芸術的な感性が具現化されます。それこそが、機械で作られる製品との大きな違いです。

 

伝統工芸は、芸術と消費の2つの特徴を持っているため、芸術と産業が結びついたものと言うことができます。伝統工芸品は、高い消費性がある一方で、製作者の文化や思想、考え方が反映されることから、芸術作品でもあります。そのため、伝統工芸は、通常、芸術品の一部と見なされます。

ガラス細工

 

 

イランは、数千年の文明の歴史を誇ることから、伝統的な芸術作品の中心地であり、明らかに、この土地の伝統工芸は、世界の伝統芸術の間でも優れたものと見なされています。イラン各地の考古学調査で、さまざまな伝統工芸品が発見されていることは、イランの伝統工芸の歴史の古さを物語っています。

 

シアルクの丘、シューシュ、ダームガーンのヘサールの丘、レイのチェシュメアリー、ザーボルのシャフレスーフテ、アーザルバイジャーンのハサンルーの丘で発見された美しい模様のある陶器、今日、イランや世界を代表する博物館に展示されている美しいタイル細工やガラス細工、銅器や絹織物、これらは皆、イラン高原に最初に住んだ人々の高い文化と芸術性を示しています。

 

 

 

イラン各地には、祖先の優れた伝統工芸品を継承してきたさまざまな民族が暮らしています。今日、伝統工芸の多様性という点で、イランは世界第3位を誇っており、200万人を超える職人が、この産業に従事しています。

 

織物、陶器、タイル細工、木工細工、ござ、金属細工、皮製品、石細工、ガラス細工など、イランの伝統工芸はその多様性から、15グループ、360種類以上に分類されています。

 

 

伝統工芸のひとつが、ガラス細工です。この芸術は、手作りのガラスをさまざまな方法でいろいろな形に変えるもので、息を吹き込む方法は、およそ4000年の歴史を有しています。ガラス細工の職人は、まず、ガラスに熱を加えて柔らかくし、そこに息を吹きかけたり、さまざまな道具を使ったりして作品を作ります。

 

ガラス細工はグル―プ作業で、高い技術を必要とします。色や形をデザインする人、息を吹いて形を作る人、最終的に型を作る人など、多くの人の手によって一つの作品が作られます。

ガラス細工は、人類が行ってきた伝統工芸の中でも最も古いものです。この芸術が誕生した場所については様々な見解がありますが、一説によるとその起源は預言者スレイマーンの時代にさかのぼると言われています。スレイマーンの命令により、宮殿の建設を目的としたガラス製造のための炉が設置され、その宮殿の一部がガラス芸術で装飾されたということです。

 

 

ガラス細工の歴史をたどってみると、その最初の発祥地は、古代エジプト、シリア、イランだったと言われています。イラン芸術学院の会員であるマッキーネジャード博士は、イランにおけるガラス芸術について、次のように語っています。「ガラス芸術は、イランの伝統芸術の象徴であり、数千年の歴史を誇る。イラン南西部、ロレスターン、シューシュで発見された作品、ペルセポリスで発見されたガラスの破片は、昔から、イランでガラスの器が使われていたことを物語っている」

 

 

イランで制作されたガラス芸術の最も古い作品は、紀元前のもので、その代表的な例は、紀元前3200年から640年のエラム期のものです。エラム人の最大の礼拝所であった、イラン南部フーゼスターン州のシューシュ近郊にあるチョガーザンビールの寺院では、ガラスのびんが発見されており、イランの伝統工芸におけるガラス芸術の古さを物語っています。

イラン北西部で発見され、紀元前200年ごろのものとされる青いガラスの首飾りは、古代イランでガラス細工が広まっていたことを証明しています。(期紀元)224年から651年のサーサーン朝時代のガラス細工の特徴は、香水瓶や器、皿、装飾品などのガラスに彫刻が施されていたことです。これらの作品の一部は、イランのガラス博物館と考古学博物館で見ることができます。

ガラス細工

 

イスラム文明の黄金期、医学や化学など、さまざまな学問の発展により、イラン人をはじめとするイスラム教徒のガラス細工の職人たちは、学術的な経験を利用し、この芸術を変化させる機会を得ました。この時期、ガラスの形の全体的な変化と共に、色を付けたり彫刻を施したりといった技術が見られるようになりました。

 

特別な石を使ってガラスを削ったり、ガラスの器に深い線を掘り込むといったことは、装飾を施すために行われていました。ガラス細工の職人は、いくつかの段階を経て、適した温度でガラスに熱を加えることにより、好みの色や模様を作り出していました。ガラスにさまざまな色を付けるために、コバルト酸、銅や鉄、マグネシウムや硫黄などが使われていました。エナメル・ガラス細工も、この時代に生まれたものです。

ガラス細工

 

セルジューク朝とサファヴィー朝時代は、イランにおけるガラス細工の最盛期と見なすことができます。セルジューク朝時代、さまざまな装飾の施された非常に美しいガラスの器がイランの各地で作られていました。この時期のガラス細工には、大小の器、香水瓶、盃や花瓶、動物の形をした飾り物などがあります。サファヴィー朝時代もガラス細工は重視されていました。イスファハーン、シーラーズ、カーシャーンなど、各地にガラス細工の工房が作られ、芸術家たちが教育を受けていました。

 

今日、伝統工芸はイランの非石油製品の重要な輸出品のひとつとなっています。近年、10億ドルを超える伝統工芸品が、アジア、アフリカ、ヨーロッパ、アメリカに輸出されています。イランの伝統工芸品の主な市場は、日本、中国、韓国、シンガポール、香港、レバノン、イラク、エジプト、モロッコ、チュニジア、南アフリカ、アルジェリア、ナイジェリア、イタリア、スウェーデン、フランス、オーストリア、ドイツ、スペイン、オランダ、アメリカ、ブラジル、メキシコ、オーストラリアとなっています。

ガラス細工

 

この2、30年、伝統工芸の芸術家たちは、経験の豊かな人々の教えを受けることによって、昔の様式からヒントを得ながら、新しいデザインと癒合させ、心理学を利用してさまざまな作品を創作しており、大きな支持を得ています。