12月 06, 2016 21:07 Asia/Tokyo
  • 聖典コーラン
    聖典コーラン

今回も前回の引き続き、コーラン第27章ナムル章、蟻を見ていくことにいたしましょう。

慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において


コーラン第27章ナムル章蟻は、神の偉大な預言者たち、そして、偶像崇拝に陥った民と彼らの闘争について述べています。コーランはこうした物語を語ることで、当時、メッカで少数派として暮らしていたイスラム教徒を慰めようとしています。コーランはまた、これによって、頑なな多神教徒たちに対し、歴史の中で、反抗的な民の結末がどのようなものであったかを教え、それによって、彼らが怠惰の眠りから覚めることを期待しています。

 

ナムル章は、預言者ソレイマーンとサバーの王妃の物語を述べた後、預言者サーレハのたどった運命について語っています。この物語については、前回の番組でお話しました。今夜のこの時間は、一部の自然現象に関して述べられたナムル章の節を見ていくことにいたしましょう。

 

 

ナムル章は、第60節から先で、神の恩恵を挙げた後、12の大きな恩恵について触れています。この話は、疑問を提示する形で、第64節まで続き、それに対する論理的な答えが出されています。

 

ナムル章では、天と地の創造、雨という恵みとそれによる恩恵を述べた後、大地の安定とこの世における人間の居場所という恩恵に触れ、このように尋ねています。「大地を安住の場所とし、そこに小川を流し、強固な山々を立て[て鎧のように大地を揺れから守り]、淡水と塩水の2つの海水の間に障壁を設けてそれらが混ざり合わないようにしたのは誰か? 偶像は、このような驚くべき秩序に関わっているのだろうか?」

 

別の節では、問題解決、行き詰まりの打開、祈りの実現といった問題が述べられています。世界の全ての扉が人間の前に閉ざされ、あらゆる意味でなす術を失ったとき、その問題の扉を開け、人々の心に希望の光りを降り注ぐことができる唯一の存在は、清らかな本質を持つ神に他なりません。

 

ナムル章の第62節には、次のようにあります。

 

「いつでも困惑し、途方にくれたときに呼ぶのは誰か?その願いを叶え、災難や困難から救ってくれるのは誰か?」

 

その後、導きという問題を提起し、次のように語ります。

 

「あなた方を陸と海の闇の中で導くのは誰か?[雨という]恩恵を下す前の知らせとして、風を送るのは誰か?」

 

この節は続けて、次のように述べています。

 

「創造を初め、その後、それを[最後の審判に]戻すのは誰か?またあなた方に天と地から日々の糧を与えるのは誰か? 神の他に崇拝の対象など存在するだろうか?」

 

ナムル章は、イスラムの預言者ムハンマドにこのように語りかけています。「もし彼らがこのような明らかな真理を受け入れず、汝の言葉が彼らの心に響かなくても、驚いてはならない。なぜなら汝には、死者の耳に言葉を届けることはできないからだ。彼らは表面的には生きているが、罪を続けて頑なになり、彼らの心は閉ざされ、その目は見えず、耳は聞こえなくなっている」

 

 

ナムル章の第88節は、自然の驚異に触れています。

 

「また、山々を見るだろう。それらは動かずにじっと留まっていると思うだろうが、それらは雲のように動いている。これは神の創造と産物である。神は全てのものを堅固なものとして創造した。神はあなた方が行うことを知っておられる」

 

この節は、また別の創造の驚異に触れています。この節は、私たちにとっては明らかではない大地の動きに触れ、次のように述べています。「あなたは山が固く、動かないものと思うようだが、それらは雲のように動いている」

明らかに、山が動くことは、それがつながっている大地の動きなくしてはありえません。そのため、この節が意味しているのは、大地もまた、雲の動きと同じように急速に動いているということなのです。

 

学者たちの計算によれば、地球が自転する速度は、時速1670キロです。そして、地球が太陽の周りを公転する速度は、それよりも速くなっています。

 

ところで、なぜコーランは、山を議論の中心に据えたのでしょうか? それは恐らく、山が、重くてずっしりと安定した存在と見なされ、神の力を説明する上で、よりよい例だと考えられたためでしょう。

 

いずれにせよ、この節は、コーランの科学的な奇跡の一つと見なされています。なぜなら、地球が動いていることが初めて発見されたのは、16世紀末から17世紀のはじめにかけてであるからです。ところがコーランは、それよりも1400年も前に、すでにそのような重要な事実を突き止め、地球が動いていることを、神のしるしのひとつとして挙げていたのです。

 

 

ナムル章の第91節は、イスラムの預言者ムハンマドにこのように語りかけています。

 

「[彼らに言え、]私は神が聖域としたこの町[メッカ]の主を崇拝するよう命じられた。すべてのものは神のためだけにある。私はイスラム教徒であるように命じられた」

 

この後、次のように続いています。

 

「また、私はコーランを朗誦し、その光りから炎を得る[よう命じられた]。そこで、誰でも導かれる者は、自分のために導かれたのであり、誰でも迷った者には、言え、『私は忠告を与える者に過ぎない』と」

 

この章の最後の節となる第93節は、イスラムの預言者ムハンマドに、これら全ての恩恵に対して神を称賛するよう命じています。

 

「言え、『称賛は神のみのものである』」

 

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