コーラン第28章アル・ゲサス章物語り(3)ガールーンの教訓
この番組では、コーラン第28章アル・ゲサス章について解説する中で、ガールーンの教訓に満ちた物語をご紹介しています。
慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において
コーラン第28章アル・ゲサス章物語りは、イスラムの預言者ムハンマドが移住する前にメッカに下されました。この章の物語の中では、唯一神の信仰、復活、コーランの重要性、最後の審判での多神教徒の状況、導き、逸脱、その他の問題について貴重な教訓が述べられています。
アル・ゲサス章の第76節から82節は、高慢で裕福な人物であったガールーンの物語が述べられています。ガールーンは多くの富を蓄えていました。彼は初め、敬虔な人間の仲間でしたが、後に、高慢さと怠惰により、堕落や腐敗に陥りました。裕福だという驕りが、彼を不信心にし、とうとう彼は、神の偉大な預言者であるムーサーに敵対することになったのです。その結果、彼の富は、彼に滅亡をもたらし、彼の死は、他の人々への教訓となりました。
ガールーンは、預言者ムーサーの親類の一人で、ユダヤ教の聖典について注目に値する知識を持っていました。彼は莫大な富を有していました。コーランでは、彼の金銀財宝が入った宝箱の鍵を持ち運ぶことは、何人かの力強い人物にとっても困難なほどだったとされいます。イスラムでは、富や財産それ自体は、決して好ましくないものではなく、重要なのは、富や財産をどのような方法で手に入れ、どのような方向に使うのか、ということだとされています。いずれにせよ、ガールーンの辿った運命は、次のように描かれています。アル・ゲサス章の第76節と77節を見てみましょう。
「ある日、彼の民が言った。『そんなに喜ぶべきではない。本当に神は、思い上がる者を愛されない。神があなたに与えたものの中に、来世のための住み処を探しなさい。この世におけるあなたの分け前を忘れてはならない。神があなたを喜ばせたのと同じように、あなたも[その富で]善いことをしなさい。地上で腐敗を行ってはならない。神は腐敗した者を愛されない』」
誰でも、現世で決められた分け前を持っています。つまり、食料や衣服、住宅やその他必要なものに費やす財産の量は決められており、残りの財産は、望むと望まざるとに拘わらず、他人の分け前であって、彼らに相続され、人間は実際、それらを預かっているだけなのです。シーア派初代イマーム、アリーは、これについて次のように語っています。「アーダムの子孫よ、あなたの食事以上のものを手に入れたなら、あなたはそれについて、他人の金を預かることになる」
時に裕福な人々は、より多くの富や他人より優位に立つことを求めるために、社会を貧困へと陥らせ、すべてのものを独占しようとします。コーランは、ガールーンとすべての裕福な人に対し、そのような物質的な可能性に騙されたり、地上に腐敗を広める道にそれを使用したりしてはならないと忠告しています。しかしガールーンは、莫大な富によっておごり高ぶり、こう言いました。「私はこの富を、私が持つ知識によって手に入れた」 ここでコーランは、ガールーンや彼のような人間に対して、断固とした回答を与えます。「彼は知らなかったのか。神が彼以前にも、彼よりもずっと強く、たくさんの財産を持っていた民を滅ぼしたことを」
裕福な人の多くに見られる好ましくない性質の一つは、自分の富をひけらかそうとすることです。彼らは、自分の財産や華やかさにより、他人を蔑み、そのことに満足さえします。とはいえ、時にそのような富のひけらかしが、彼らの命を脅かすことになります。なぜなら、人々の心の中に憎しみが広がり、彼らへの敵愾心を抱くようになるからです。そのような誤った行いにより、彼らの富が水の泡となったり、滅びたりすることも決して少なくありません。
ガールーンは、自分の華やかさと偉大さを見せびらかすために、自分の民に対してあらゆる装飾やぜいたく品をつけて現われていました。そのような姿を見て、現世の満足を望んでいた人々は嫉妬心を抱き、こう言っていました。「ガールーンに与えたのと同じようなものが、私たちにもあったらよかったのに。本当に彼は大きな恩恵を有している」 反対に、真の知識を持っていた人々は、こう言っていました。「あなた方は何を言っているのか?神の報奨は、信仰を寄せ、正しい行いをした人々のためのものの方が、よりよいものである」
ある日、預言者ムーサーは、ガールーンに対し、自分の富や財産のザカート・喜捨を支払うよう求めました。しかし彼はそれを支払わず、一部の人々を自分と共に預言者ムーサーに敵対させました。ガールーンは、ムーサーに対する醜い誹謗中傷でさえ拒むことはなく、それによって、反抗をエスカレートさせていきました。このとき、神の報復の手が伸びました。神はガールーンと彼の家を地の底まで落としました。しかし、いかなる集団も、神の責め苦に対して彼を助けることはなく、彼自身も、自力でそれを逃れることはできませんでした。このようにして、神は反抗的なガールーンとその仲間たちを滅ぼし、それは、全ての人への教訓となりました。
次の節は、ガールーンの栄光を目にして歓喜し、自分も彼のようになりたいと望んでいた、それまでの観察者の変化について述べています。「昨日まで自分が彼の代わりであることを望んでいた人々は、彼が滅びる場面を見て言った。『何ということか。神は僕たちのうちの誰でモ望む者の日々の糧を広げられ、また誰でも望む者にはそれを狭められるようだ。もし神が私たちに恩恵を授けていなかったら、私たちも地の底に沈んでいただろう。今日、誰も自分では何ももたないこと、ある者は皆、神からのものであることが私たちに証明された』」
すでにお話ししたように、ガールーンは、利己的で高慢な富裕者の象徴であり、コーランは興味深い形で、彼の運命について触れています。この物語は、時に富に酔いしれて高慢になることが、人間を、他人に自分の華やかさを見せびらかす、という狂気に陥らせるという事実を示しています。このような華やかさへの無限の愛情と高慢さ、尊大さにより、人間は非論理的で醜い行いに手を染めたり、真理に対抗したりする可能性があるのです。