イスファハーン州;チャハールバーグ
今回も前回に引き続き、イラン中部の古都、イスファハーンへの旅を続けてまいりましょう。
イスファハーンは、貴重な歴史遺産と芸術を愛する人々の存在により、常に生きた博物館のような場所となっています。フランスの画家は、イスファハーンの美しく壮大な建築についてこう語っています。「イスファハーンは、その町の住民やイラン人だけのものではない。歴史のなかで培われてきた人間のアイデアや創作技術の賜物であり、これまでも、そしてこれからも、人類の遺産として存在し続けることだろう」
まず、イスファハーンの有名な通りの一つ、チャハールバーグを訪れましょう。チャハールバーグとは、「4つの庭園」を意味します。この通りは、サファヴィー朝時代、町の拡張を受け、プロムナード・遊歩道として建設され、当時は世界で最も美しい通りの一つでした。この通りの名前からも分かるように、周囲には著名な庭園が存在します。この通りは、現在の市庁舎前にあたる政府の門があった場所から、シーラーズ門のところまで延びており、両脇には背の高い樹木が植えられています。スィーオセチェシュメ、あるいはアッラーヴェルディハーンと呼ばれる橋が、チャハールバーグ通りを二分していましたが、それは今日まで残っています。
チャハールバーグ通りが建設されたのは、1598年のことです。イタリアの著名な旅行家、ピエトロ・デラ・ヴァッレは、1616年にイスファハーンを訪れ、チャハールバーグ通りの壮大さを、イタリアの著名な通りと比較して賞賛し、「イタリアの著名な通りの中には、チャハールバーグ通りに及ぶ通りはない」と語っています。また、サファヴィー朝時代にしばらくイスファハーンに滞在したフランスの旅行家シャルダンも、旅行記の中で、チャハールバーグ通りについてこう記しています。「ここは、私がこれまで目にし、耳にした中で、最も美しい通りである」
時の経過と共に、チャハールバーグの周りの庭園に住宅や商業施設が建設されていきました。チャハールバーグ通りの北側にも同じような通りが造られ、それら2つの通りを合わせた長さは6キロにも及び、現在もイスファハーンの主要な通りの一つとなっています。この通りには、車道が2車線とサイクリングロードが2車線、そして3本の歩道があり、4列に並んだにれの木とすずかけの木が、それらを互いに隔てています。今日、イスファハーンを訪れる旅行者にとって、チャハールバーグ通りは、背が高く、非常に美しい様々な種類の木、そしてそこにある一部の歴史的な建造物により、世界でも美しい通りの一つとなっています。
この美しい通りの傍らには壮麗な建物があり、それらは幾世紀も前から、トルコブルーのドームとタイル細工の尖塔・ミナレットにより、見る者をひきつけてきました。この建物は、"チャハールバーグ神学校"、あるいは"ソルターニー神学校"、"マーダルシャー神学校"と呼ばれています。
イスファハーンの町を訪れ、このイスラム芸術の広大な博物館であるチャハールバーグ神学校を訪れない人、あるいはその存在を知らない人はほとんどいないと言ってよいでしょう。この神学校は、サファヴィー朝末期の君主、スルターン・フサインの時代に建設されました。建設にはおよそ10年の歳月が費やされ、完成したのは1714年のことでした。
チャハールバーグ神学校は、実際、王の所有する、大きなバザールや隊商宿を含む建物であり、王の母親が、隊商宿やバザールの収入を、この宗教学校の運営にあてていたため、この建物は、"王の母"を意味するマーダルシャー神学校という名でも知られています。イスファハーンにある建造物の中に、チャハールバーグ神学校ほど美しいタイル細工を持つ建造物はなく、国内外の旅行家や観光客に強い印象を与えており、一部の人々は、この学校について、神秘的で魅力的、非常に美しいと語っています。
チャハールバーグ神学校は、およそ8500平方メートルの面積を有し、4つのエイヴァーンと呼ばれるテラスがあります。建物の外側からも、非常に壮麗な入り口の扉を見ることができます。この扉の周りには、レンガを二段に重ねた17のアーチがあり、様々な模様のついた小さなタイルで装飾されています。扉の上の碑文には、空色の地に白い色で、ナスタリーク書体により、この学校が建設された日付が刻まれています。この神学校の内部は、玄関、入り口、中庭、ドーム、ミナレット、複数の小部屋で構成されています。
チャハールバーグ神学校には、4つのエイヴァーン、大きな中庭、ドームと2本の非常に美しいミナレットがあります。4つのエイヴァーンが建物の四方を囲んでおり、それぞれには、神学生が滞在したり、学んだりするための2階建ての部屋があります。それらの部屋は、全部で150を数えます。
この神学校の中庭には、樹齢の高いにれの木やすずかけの木の間を小川が流れています。この小川は、イスファハーンを二分して流れる大河、ザーヤンデルードから分かれたものです。チャハールバーグ神学校のドームやミナレットは、非常に精巧な彫刻、漆喰細工、タイル細工が施されており、宝石のように輝いています。これらの彫刻や芸術は、サファヴィー朝時代の建築によく見られるものです。専門家によれば、この神学校で用いられている7色のタイルの装飾など、様々な技術により、この建物は他に類を見ないものとなっています。そのため、チャハールバーグ神学校は、タイル細工の博物館とも呼ばれています。
この他、チャハールバーグ神学校の特徴としては、金や銀で装飾された木製の古い扉を挙げることができます。この扉に使われている彫金や模様などの芸術度の高さから、チャハールバーグ神学校は、イスファハーンでも貴重な文化的、芸術的建造物となっています。チャハールバーグ神学校の扉は、サファヴィー朝時代に隆盛を極めた金細工、彫金芸術の明らかな例となっています。この扉にナスタリーク書体で彫られた詩は、サファヴィー朝時代の優れた書家であった、モハンマド・サーレハ・エスファハーニーの作品です。
一枚岩の大理石でできた12段のメンバル・説教壇は、サファヴィー朝時代の石の彫刻芸術の最高の例となっており、この説教壇の横には、非常に美しいメフラーブ・壁がんがあります。実際、チャハールバーグ神学校は、16世紀から17世紀のイランの芸術や建築の集大成であると言うことができるでしょう。
チャハールバーグ神学校は、およそ400年前、神学生が学ぶための学校として建設されました。1979年のイスラム革命勝利後、この学校はイマームサーデグ神学校という名前に変更され、現在も、宗教学の学び舎とされており、イスファハーン最大の神学校となっています。この学校の隣には、イマームサーデグ図書館や古い小規模のバザールがあり、これらは建築様式の点で非常に興味深く、見る者を惹き付けてやみません。