アメリカによる対イラン追加制裁の目的
イランイスラム革命最高指導者のハーメネイー師は先月21日、イラン暦の新年に当たり、イラン北東部の聖地マシュハドにある、シーア派8代目イマーム・レザーの霊廟で巡礼者らを相手に演説しました。そして、イラン経済への圧力の強化というイラン国民の敵による戦略の目的の1つは、イスラム体制に対する国民の失望を誘うことであると述べました。
ハーメネイー師はまた、イスラム体制と国民の乖離を狙うという、長年にわたるイラン国民の敵の思惑はこれまで失敗に終わっており、また今後も成功しないだろうと語りました。今回は、イランに対する経済面での圧力を強化するアメリカの目的について考えることにいたしましょう。
アメリカとEUは、過去30年以上にわたってイランに対し様々な制裁を行使してきました。これらの制裁は、イラン経済にマイナスの影響を及ぼしたものの、イラン経済に多方面からの抵抗力をつけさせ、またイラン国民により多くの努力に向けた決意を固めさせることとなりました。
もっとも、物価高騰や経済不況、失業といった問題や、一般社会が輸入品の消費に傾倒していることなどは、一独立国にとっての弱点であることは言うまでもありません。こうした問題の一部の原因として、外国による制裁や圧力行使、世界規模での経済不況、そして原油の国際価格の異常な下落などが挙げられ、その原因や論拠なども明示できます。しかし、こうした諸問題は、敵にとっては別の意味概念を持っています。他国に打撃を与えたり、独立国の国民を屈服させるチャンスをうかがっている国や勢力は、他国民の間に失望感を広め、その国の政府に対する国民の信頼を失わせるための手段として、制裁や経済不況を利用しているのです。
こうした点から、体制の敵がイランのイスラム体制の強みについては決して触れようとしないのは明らかです。これに関する彼らの戦略は、西側諸国のプロパガンダという広大なネットワークにより、強みを隠して弱点を誇張することにあります。実際に、彼らの目的は制裁の行使により進歩を阻むための障壁を設け、体制の責任者らを付随的な問題に釘付けにして、抜本的な措置から遠のかせることなのです。
もっとも、こうした世論操作においては心理戦の強化や失望感を誘うために、衛星放送や各種のメディアが大きな役割を果たしています。こうしたメディアは、弱点を正確に探知し、制裁の内容を恒常的に見直すことで、弱点を誇張し、一国の経済が繁栄しておらず、弊害を受けやすい上に石油に依存しているように見せようとしています。近年の諸問題により、ベネズエラやナイジェリアなどの経済は、石油に強く依存していることから崩壊の寸前にあります。
このため、こうした傾向は1つの深刻な脅威と見なされるべきものです。それは現在、心理戦に加えて、経済問題を解決不可能な問題として吹聴することの悪影響は、軍事的な措置や武器を使った戦争よりももっと破壊的かもしれないからです。その理由は、武器を使った戦争では、敵と直接対峙し、侵略者の姿には明らかに敵の立場が見てとれるからです。その一方で、国民を政府から乖離させ、マクロ経済政策を失敗したものとして吹聴することは、あらかじめ用意周到に計画されたものです。こうした勢力は、そのような問題から解放されるという一縷の望みも残らないようにし、マクロ経済政策が日常的で付随的な問題の元におかれることを狙っています。
それでは、武器を用いないソフトウォーや脅迫を、どのようにしてチャンスに転換することができるのでしょうか?
イランのイスラム共和制は近年、数多くの制裁を受けながらも、アメリカやそのほかの国際的な大国に依存することなく、一国の国民にとって大きな躍進を実現する可能性があり、さらにアメリカの傘下に属しないことが発展から取り残されることを意味しないことを証明してきました。
同時に、イランは国民に対する様々な敵対行為や陰謀を予測し、これらに対抗するために必要な措置を講じると共に、これに基づき、様々な計画において経済問題の解消や抵抗経済のルートにそって進むことを優先してきました。
実際に、1979年のイラン・イスラム革命の勝利は、イスラム世界と中東地域の現代史における最も重要な政情変化とされています。ホメイニー師の主導によるこの革命の勝利は、地域・国際的な政治のバランスに変化を起こし、結果として国際体制、中東の地域体制、そしてイランの地政学という3つの戦略分野におけるアメリカの対外政策を崩壊させました。
このため、イスラム革命後しばらくはアメリカにとって緊迫した時期であり、アメリカは様々な戦術を駆使し、さらには戦略の変化により過去の栄光を取り戻そうとしました。このため、アメリカは成立後間もないイランのイスラム体制への陰謀をたくらみ、反体制派と関係を持つことで、自らの行動を開始しました。革命に対するイラン国民の失望を誘うというアメリカの手段と思惑は、心理戦、そしてイスラム共和体制が失敗したという吹き込み、圧力や経済的な制裁と封鎖の強化、さらには様々な問題においてイランに矛先を向けることだといえます。
イランに対する欧米諸国の戦略の基本は、革命精神の弱体化をはかり、国民と政府の間に離間の策をしくことにあります。この数年間、アメリカ議会ではイラン国内における扇動的な勢力への支援が注目され、イランの反体制勢力のために2000万ドルの予算案が可決されました。
1997年11月、アメリカ議会は革命後から現在までに生まれた若い世代を対象とする、「自由なイラン」のラジオ放送開局に向け、400万ドルの予算拠出を可決しました。この計画は、イランの国民と体制の間に亀裂を起こすことが目的でした。これについて、アメリカの雑誌ニューズウィークでは次のように述べられています。
「イランでは、新たな革命が形成されつつある。今日、イランの若者は幸いにも、国外から発信される衛星放送やラジオ放送の存在を認知しており、これらの要素は全て、政治的、文化的な1つの革命を起こすための勢力を結成している“
反体制勢力同士の連携を取るという計画は、アメリカの諜報機関CIAとシオニスト政権イスラエルの諜報機関モサドの課題となり、アメリカ寄りのメディアはこれを誇大化することで社会に緊迫感を生み出しました。こうした行動の代表例として、今から8年前に発生したイラン大統領選挙後の騒乱を挙げることができます。
アメリカとそのプロパガンダ機関は、過去30年間にわたり、常にイスラム革命を1つの失敗例として紹介し、プロパガンダによる喧騒を引き起こしてイラン国民や世界で自由を求める人々に対し、イスラム革命が国民のニーズに応えられなかったことをアピールすることに努めてきました。
言うまでもなく、こうした脅迫行為をチャンスに転換するための方法の1つは、敵側の実情を把握し、特に経済面での可能性を利用して、行動のイニシアチブをとることです。
ハーメネイー師は、これまでに何度も、経済面での敵の陰謀と、彼らがイランに対する制裁や圧力を強化する目的について指摘し、経済の下部構造の強化の重要性と、この問題への注目、そしてこれに関する措置の実施の必要性を強調してきました。
ハーメネイー師はまた、これについて「経済分野における聖なる戦いの年」といったスローガンによる、長期的、或いは中期的な戦略を提唱しています。これは、発展を伴う抵抗経済のモデルの形成ルートを明らかにするものです。ハーメネイー師は、イラン暦の昨年を「抵抗経済、措置と行動の年」であるとし、今年も再びその重要性を強調しました。そして、まさにその重要性に基づき、イラン暦の今年は「抵抗経済、生産と雇用」というスローガンをかかげています。