2017年4月28日(山口・福本)【音声】
今週の金曜広場もお楽しみください。
(山口);さて、イランは新緑がますます美しくなる季節となりました。日本ですと、ついこの間まで東京の周辺地域などでちょうどお花見のシーズンではなかったかと思います。実は先日、テヘランから西に200キロほど離れたガズヴィーンに行きました際に、白や薄いピンクの満開の花をつけた樹木が沢山並んでいる光景を目にしました。聞いてみますと、桜のほかにも、アーモンドやセイヨウナシなどが混ざっているそうですが、それは見事でした。何だか、お花見のほかに、水戸の偕楽園を思わせるようなイメージでしたね。それと、もう1つよかったのが菜の花畑です。ちょうど夕暮れ時でしたので、まさに、「菜の花や 月は東に、日は西に」という句がぴったりの光景でした。ところで、植物に詳しい福本アナウンサー、テヘランではこの時期に咲く花として、どんなものが見られますでしょうか?
(福本); この時期のテヘランですと、いたるところでモッコウバラと藤の花のコラボレーションが見られますよ。そして今年は4月に入っても涼しい日が続いていたせいでしょうか。例年でしたら見ごろが終わっているハナズオウやレンギョウがまだ咲いていますよね。5月の声が聞こえてくるとバラの花が見ごろを迎えるでしょうか。またこれからは、ハリエンジュ(ニセアカシア)が白い花房をつけるようになる時期です。テヘランの春はこのように花々のリレーが見られて次から次へと花の絶えることがありません。
(山口);いいですね。イランに色とりどりのきれいな花が咲くということ自体、日本では一般には知られていないのではないでしょうか。ですが、イランは日本の4倍以上もある広い国土と、多様性に富んだ気候風土に恵まれていることから、美しい草花も沢山見られます。確か、これから5月いっぱいくらいにかけて、逆さチューリップが見られる地域があるとききました。日本では見たことがないので、是非見てみたいと思っています。
●リスナーより
「今回、初めてイランからの日本語放送を聴取いたしました。残念ながら、イランをはじめとするイスラムの国を訪問したことがありません。しかし、本日放送を聴き、番組の中で流されるイスラムの音楽は、日本とはまったく異なりますが、とてもよい雰囲気だと感じました。また、1時間の番組の中に色々な内容が詰まっており、中東文化を理解するのに役立つだろうという印象です。早朝の放送ではありますが、今後ともできる限り聴取したいと思います」とのことです。
(山口)H・Tさん、初レポートをありがとうございます。このたび、IRIBラジオ日本語とのご縁を結んでくださいましたことを大変うれしく感じております。この放送を通じて、一般のメディアには出てこないイランやイスラムの素晴らしさを知っていただくとともに、今後とも是非続けて放送をきいていただけますよう願っております。それでは福本アナウンサーからも、このリスナーの方に一言メッセージをお願いします。
(福本)はい、H・Tさん、初めてラジオ日本語を聴いて下さったとのこと、そして番組に良い印象を持って下さったようで、嬉しくお便りを拝見いたしました。もし、勅使河原さんがイランやイスラムに対して何らかの固定観念のようなものをお持ちでしたら、私たちの番組はきっとそれを良い意味で裏切ってくれるのではないでしょうか。番組をお聞きになってのそうした感想を、ぜひまたお寄せ下さい。お待ちしております。
●リスナーより
「イランのタイル産業は勉強になりました。また、イランの民族の多様性もすごいと思います。そして、そのタガとなっているのがイスラム教と考えました。イランについてはもっともっと知りたいものです」とのことです。
(山口)M・Sさん、お便りありがとうございます。まず、日本では一般的に、イランが多民族国家であるということすら、あまり知られていないのではないでしょうか。私もイランに住んでみて、色々な言語を話す複数の民族が混在しているという現実を、身をもって体感しました。同時に、そのときまで知らなかったイスラムの現実を目の当たりにしまして、イスラムも結局は人間としてのあり方や倫理を教えるもので、それは日本やほかの世界でも通用するものだということ、人間として到達すべき最高のレベルにいたる為の習慣や手段として、お祈りや断食がある、というふうに私は解釈しています。福本さんは、日本ではまずあまり感じられない、多民族・多言語文化やイスラムについて、イランに住んでみてどのように感じていますか?
(福本)そうですね、食料品・雑貨店を営んでいる方にはトルコ系の方が多いとか、お菓子屋さん・ケーキ屋さんにはアルメニア人が多いとか、そうした一定の傾向があるようですよね。今では驚くこともなくなりましたが、イランに来て間もない頃、まだペルシャ語もおぼつかない頃ですね、食料品店のご主人が電話でお客様と話している言葉がさっぱりわからないわ、と思っていたらトルコ語だった、なんていうのも今では懐かしい思い出です。
(山口)やはり、百聞は一見にしかずですよね。最近は日本国内でも、外国人が増えていますし、違う文化圏の人々と接することはいまや決して珍しいことではないと思います。イランの人々は、自分たちの伝統や文化を守りながらも、異文化圏の人々を温かく受け入れる柔軟性があると思います。これから私もまだまだ、色んな人との出会いがあると思いますが、イラン人のように、相手がどのような人であれ、まずは人間として寛大に受け入れるという姿勢を忘れないようにしたいと思います。
●リスナーより
「ノウルーズの期間中は、ホームレスの人々への施しは増えたりしますか?教えてください」とのことです。
(山口)F・Yさん、ご質問ありがとうございます。日本のお正月にあたるノウルーズ前には、日本と同様に新年のための買い物や大掃除など、日本とよく似た習慣がイランにもあります。確か、日本の歳末助け合いに相当する、寄付金などを募る活動はイランでも行われていると思いますが、いかがでしょう?
(福本)はい、おっしゃる通りですね。イランのお正月前には、様々な慈善団体が呼びかけて、市民を巻き込んでのチャリティ―バザーがあちらこちらで開催されています。そうしたバザーでは、物を提供する人、そこで扱われるものは実に様々ですが、売り子としてお手伝いする人、そこでお買い物をする人、全員が慈善活動に貢献しているわけです。そこでの売り上げは全額、主催団体に寄付されます。私がメンバーになっている日本人女性の会、サフラン会でも今回そうしたバザーに出展してかなりの収益を上げたんですよ。もちろんそこでの売上げの全額を主催団体に寄付させていただきました。
(山口)まさに、会の皆さんは慈善活動の最先端で活動されていらっしゃるんですね。素晴らしいことです。私も見習いたいです。なるほど、こうして見てきますと、日本とイランはアジアの東西という両極端にありながら、お正月の習慣などをはじめとして、意外な共通点が多いですよね。特にイランは宗教国ですから、日常生活にもイスラムの教えが徹底されていて、貧しい人に手を差し伸べるということは、ごく自然な習慣として人々の意識に根付いているのかもしれません。ですが、日本にも倫理や道徳が存在しますし、これもイスラムで言われている倫理とほとんど変わらないと思います。こうした共通する長所を是非大切にしたいですね。
●北川アナウンサーのイラン音楽コーナー
●特別インタビューコーナー
ゲスト;日本イラン文化交流協会の事務局長 景山咲子さん
<インタビュー全文>
1.現在、日本イラン文化交流協会の事務局長を務めておられるとのことですが、現在貴会の活動内容は主にどんなことでしょうか?
まずは、当会の設立の経緯をお話しておきたいと思います。
日本イラン文化交流協会の会長はペルシア文学研究者の岡田恵美子先生で、今の名前で活動を始めたのは、2004年11月ですが、前身は、1977年6月に設立された「ファルシー会」という会です。革命前のことで、当時、「日本イラン協会」が主催したペルシア語講習会に、イランに赴任する方など多くの受講生がいまして、講師の岡田恵美子先生を慕う修了生の方たちを中心に、ビジネスではなく、イランとの文化交流をはかる会をと設立されました。ペルシア語=ファルシーのクラスにちなんで名づけられました。私も設立時からのメンバーです。
当時は、まだ日本にいるイラン人は少なかったのですが、イランの方と一緒に雛祭りをお祝いしたり、九十九里浜で地引網を楽しんだりしました。
1978年のノウルーズには、椿山荘の台所でイラン料理を作って、庭では、火の上を飛ぶチャハールシャンベスーリーの行事もしました
革命後も、年に4回、講演会を開くなどして順調に活動を続けていたのですが、2004年に事務局をおいていた日本イラン協会から出光興産様が手を引かれましたので、会の運営を役員のボランティアで行うようになりました。それを機会に、名称を誰にでもわかる「日本イラン文化交流協会」に変更しました。 ちょうど、私が勤務していた商社を辞めた時期で、岡田恵美子先生から、「景山さん、時間あるわね」と言われ、事務局を預ることになりました。
活動は、ファルシー会を踏襲して、年4回のベースで講演会を開いて、イランの様々な文化を紹介し、講演のあとには参加された方たちと懇親会を開いています。イランの方と一緒にバーベキューをしたこともあります。
2.貴殿のイランとの出会いのきっかけについてお聞かせください。
高校3年生の時に歴史の先生から夏休みにテーマを決めて自主研究しろと言われ、歴史の教科書に載っていたタージ・マハールが綺麗だなと調べたら、ペルシアから職人を呼んで作ったことや、ムガール帝国の公用語がペルシア語だということを知りました。
東京外国語大学に当時まだペルシア語科はなくて、パキスタンの国語であるウルドゥー語科なら2年からペルシア語が必修とわかって受験し、拾っていただきました。
そこでイラン留学から帰国されてまだ間がない岡田恵美子先生に出会いました。
大学卒業後、商社に勤めてすぐ、イランから来たお客様の奥様のお相手をする機会があって、挨拶程度しかペルシア語ができなくて、日本イラン協会のペルシア語教室に通うようになりました。
3.これまでに10回イランをご訪問されたとのことですが、どこをご訪問されましたか?その中でも、特に印象に残ったのはどこでしょうか?
初めてイランを訪れたのは、1978年5月の連休にファルシー会が主催したイラン旅行です。 定番のイスファハーンやシーラーズのほか、聖地マシュハドやカスピ海沿いのラムサールを組み込んでもらいました。
革命後は、1989年10月に初めて訪れて以来、9回行きましたが、長期滞在はしたことがなくて、長くても3週間です。
あちこち行きましたが、思い出に残るのは、なんといっても、そこで出会ったイランの人たちのことです。皆さん、ほんとに好奇心が強くて、人懐っこくて、英語で話しかけてきたりするのですが、私は多少ペルシア語が話せるので、さらに会話がはずむという感じです。
1989年にシーラーズのハーフェズ廟で知り合った当時女子高生とは、その後、文通して、行くたびに会っています。
公園でピクニックしている人たちから、食べていけと誘われたりすることも多いですし、結婚式に出会うと、必ず、イランの方たちは中に入れと誘ってくださいます。
シルクロード好きの弁護士さんが主宰するグループで旅したとき、遠足の女子高校生たちにサイン攻めにあったことがあって、元最高裁の判事さんも、嬉しそうにしていました。言葉が通じなくても、ほんとに一生懸命コミュニケーションを取ろうとして、女の子たちは特にたくましいと思いました。
イスファハーンで5人姉妹と知り合って、家に招かれたことがあるのですが、お父さんは失業中というのに、ご馳走を出してくださって、食事のあとは、姉妹それぞれがいろんな伝統楽器を演奏してくれて、夢のような夜でした。
あと、イランをあちこち旅して、イランが多民族国家だということも実感しました。
同じ民族の人たちどうしは、たとえばクルド語やアルメニア語でしゃべっていても、民族の違う人にはペルシア語で話しかけるというのも体験しました。
トルコ国境に近いマークーでは、税関に勤める方の結婚式に入れてもらったのですが、彼らの会話はトルコ語でした。アゼリーとも違う、トルコ共和国で話されているトルコ語。
日本で知り合ったイランの友人がカスピ海に近いラシュトの人で、家に遊びに行ったら、80歳近いお母さんは、アゼルバイジャンのバクー生まれで、母語はアゼルバイジャンの言葉。子どもたちのうち、年齢の上の人たちはギーラーン語。20代の末っ子はペルシア語。お互い違う言葉でしゃべっていて会話が成立しているので、面白いなと思いました。
4.これまでに色々な形でイランに関わってこられたことと存じますが、イランの一番の魅力はどのようなところにあると思われますでしょうか?
上記で書きましたが、なんといっても、人です。 好奇心が強くて、旅人に優しくて、なおかつ自己主張の強い人たち! 古い歴史を誇りにしているのがイラン人だと感じています。
5.昨年はついに、一連の制裁も解除されまして、イランがにわかに世界で脚光を浴びてくると共に、外国との交流もさかんになっていますが、イランと日本の今後の文化交流において、どのようなことを期待なさいますか?
イラクやシリア、アフガニスタンなど、イランの周辺国が戦争や紛争に見舞われていて、イランも危ないと思う日本人が多いのですが、中東の中では、イランは安全に旅ができる国だということを是非アピールしたいです。
なにより、奈良の正倉院にイラン伝来の御物が多数あることや、奈良時代にペルシア人の役人がいたことなど、日本とイランの深い繋がりをもっと知ってもらって、現在の日本人とイラン人の交流が深まればと思います。
また、今のイランを知るには、映画が最適。
6月10日には、アカデミー賞外国語映画賞を受賞したアスガル・ファルハーディ監督の『セールスマン』が公開されます。ファルハーディ監督の作品は、イランの中流階級の人たちを描いたものが多くて、イランの人たちの一般的な生活を知ることができます。 4月20日に試写で拝見する予定です。
ファルハーディ監督には、『彼女が消えた浜辺』が2009年のアジアフォーカス福岡国際映画祭で上映された折に、お会いしたことがあります。休暇にカスピ海の貸し別荘に皆で遊びに行く物語で、観客から上流階級の話かという質問が出たのですが、イランの一般的な人たちの姿だと答えていらっしゃいました。私の経験でも、イランの中流の人たちの家が、日本よりずっと広々していて、内装も素敵だなと思います。
ファルハーディ監督へのインタビューを私が所属していますシネマジャーナルのサイトに掲載していますので、ご参考までにご覧いただければ幸いです。
http://www.cinemajournal.net/special/2010/about_elly/index.html
なお、これまで、日本に来日したイランの監督さんや俳優の方には、大半の方にお会いし、インタビューも数多くしています。
マジッド・マジディ監督、キャマール・タブリーズィ監督、マズィヤール・ミーリー監督、ファーテメ・モタメッド・アーリアさん、 パルヴィーズ・パラストゥーイさん等々
1995年のアジアフォーカス福岡映画祭で、イラン特集が組まれて、7本上映されるというので、福岡に行きました。アジアフォーカスでは、その後も毎回、必ずイラン映画が最低1本は上映されるので、ほとんど毎年行ってます。
あと、イラン映画を観られる機会は、東京国際映画祭、東京フィルメックスなどの映画祭が中心です。もっと一般公開されるといいなと思います。