May 01, 2017 17:14 Asia/Tokyo
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今回は、インターネットによる宣伝の長所と欠点について考えていくことにいたしましょう。

宣伝は、経済的、商業的な活動において重要な役割を果たしています。商業関係の企業は、業界で生き残り、競争の激しい現在の市場で成功するためには、宣伝を利用するしか方法はないと思われます。このことは、国際レベルで活動したいと考える企業については、より明白な事柄ではないでしょうか。このため、世界では1年間に数十億ドルもの費用が広告・宣伝のために使われています。経済部門では、より効果的な宣伝を行うことは利潤を上げる指標の1つとなっています。そうした商業関係の宣伝に最も適した場所の1つは、インターネット空間です。

従来の宣伝方法と比較すると、インターネットによる宣伝には多くのメリットがあります。インターネットによる宣伝は、宣伝する側とそれを見聞きする一般大衆との間に双方向の関係を生み出します。見聞きする側は、単に宣伝を受け取るだけでなく、自らの意見や感想を述べ、宣伝する側に商品に関する質問を提示することができるのです。

一方、インターネットによる宣伝は、世界のどこでも受け取ることができます。こうした宣伝は、24時間、しかも年中無休でキャッチできるため、より多くの人々を対象にでき、また市場拡大の可能性も広がります。さらに、デジタル機材の本質からして、インターネットによる宣伝は、その提示や保管、アップデートがしやすいという特徴を有しています。

 

多くの人々は、自分の欲しい商品をネットショップで購入します。彼らは、わずか数分で宣伝されている商品を買い求めることができ、買い物のためにわざわざ時間をかけて商店街や店内を歩き回る必要はありません。さらに、サイバー空間での宣伝は、製造企業にとってもコストがより少なくて済みます。それは、インターネットの使用により、広告の印刷代やテレビによるコマーシャルのための莫大な費用が必要でなくなるからです。

もっとも、研究者はインターネットによる宣伝には数多くのメリットがあることを認めつつも、その弊害についても指摘しています。何よりも、あらゆる種類の宣伝は本来、詐欺ではなかったとしても人間の神経を刺激し、興奮をそそる要因を生み出します。しかし、人々が詐欺的な宣伝に引っかかった場合、事態はさらに悪いものとなります。内容的に偽りや策略に基づくものであったり、事実に反する形で作られた宣伝は、特に喧騒を伴うものであったり、また繰り返し行われた場合には、視聴者の心理状態に多大なプレッシャーをかけることになります。

 

いずれにせよ、全ての人々が一律ではなくとも、宣伝の影響を受けていることは事実です。ストレスや精神的なプレッシャーが、身体面での弊害を伴うことは既によく知られています。医師による研究結果によれば、心臓や血管の疾患、頭痛、高血圧症などの多くの病気の原因の1つは、ストレスや神経性のプレッシャーであることが分かっています。

宣伝が利益を得るために追及している要素のひとつとして、繰り返しのテクニックが挙げられます。宣伝が繰り返されることで、人間は考える時間を奪われ、彼らは何の気なしに宣伝された商品を買うことになります。資本家は、より多くの売り上げと利益を求めているため、人々にとって新たなニーズを生み出し、商品を紹介した後で、ネットショップで自社の製品を買い求めるよう、人々を掻き立てようとします。新たなニーズが生まれることで、人々はこれらのニーズを満たすために、自分の休憩時間を削ってでも、過剰労働に走ります。こうした問題により、社会的な喜びが減少することに加えて、人々が自分の身の周りの社会にすら関心を持たなくなり、ある意味で政治や社会に対して受動的になってしまう可能性があります。

 

商業関連の広告は、人々の間に必ずしも必要のないニーズを生み出し、消費志向を広めます。消費志向は、より多くの商品の消費を奨励するという、ある社会的なプロセスです。こうした文化においては、人々は常に新しい商品やサービスの購入に明け暮れています。しかし、その一方でこれらの商品やサービスが本当に必要なものであるか否か、またその品質、そしてそれらを使用した結果について、彼らが十分に注意を払っていない可能性があるのです。

消費社会とは、人々が必ずしも必要でないにもかかわらず、自分の欲求の趣くままに商品を買い求める社会を指します。消費志向が広まっている社会では、より多く購入して消費するというキャッチフレーズが提唱され、様々な社会階層の人々が買い物に走り、自分が他人と違うことをアピールしようとします。このようなプロセスが続いた場合、贅沢主義や流行を追い求める傾向といった、社会の退廃につながることが予想されます。

インターネットは、最も閲覧者の多いメディアであり、バーチャル空間での宣伝は社会における消費志向の拡大や、その結果としての贅沢主義を引き起こすという、独特の可能性を秘めています。こうした宣伝によるもう1つの弊害として、物質主義や、社会で肩身の狭い思いをしたくないという競争心の芽生えが挙げられます。国民がインフレに苦しみ、購買力が低い発展途上国においてさえも、インターネットによる大量の宣伝により、人々の間で消費財のニーズを高めており、このことはそれらの国の社会経済にとって好ましくない弊害をもたらすことになります。

国民全体という規模で見た場合、消費志向は国家経済に打撃を与えます。その理由は、社会に贅沢趣向や過剰な欲求が高まることで、不要な消費財の輸入が闇雲に増加し、人々が次第に国産品を買わなくなるからです。しかし、さらに重要なことは、資本主義社会の製品の流入は、伝統的な社会の信条や文化に沿った趣向とは相容れず、社会に文化的な弊害を与える可能性がある、ということです。

 

先進メディアによる弊害を受けやすい人々のカテゴリーは、未成年の少女や成人の女性たちです。彼女たちはより多くの余暇時間を持っていることが多く、常に贅沢品やキッチン用品、化粧品、洋服といった商品の宣伝にさらされています。さらに、女性は男性よりも美しいものを求め、外見を気にする傾向が強いことから、彼女たちがこうした宣伝に流されてしまうことによって、家庭経済に深刻な打撃を及ぼすことになりかねません。

一方、商業目的のコマーシャルにおいては、女性モデルが、外見上の点から、見た目を惑わす女らしい魅力的なイメージを提示する役割を担っています。こうしたイメージを提示することで、女性はこうしたメディアが宣伝するモデルに習おうという気持ちになります。こうした宣伝は、特に少女たちに対し、スタイルがよく見目良いことが、威厳に満ちた強い精神力を持つ人格より優れていると吹き込むのです。

こうした宣伝の悪影響にさらされることで、若い女性や思春期の少女たちは自分の体について正しい理解ができなくなり、自分の顔やスタイルなどの身体条件に不満を抱くようになります。メディアによるこうしたモデルの吹き込みは、青少年に大きな影響を与え、それにより彼らはコマーシャルに出てくるモデルのようになりたいがために、無理なダイエットや整形手術にまで手を出そうとします。

多くの社会では、やせ薬やエステ、化粧品、装飾品、最新の流行の洋服といったものの消費を目的とした、インターネット上の宣伝が女性たちの関心を、自国の民族的な文化やモラルとは異なるものに向かわせています。こうした中、残念ながら一部の女性たちは価値観の矛盾を抱えています。

インターネットで宣伝される服装や化粧は、見た目がよいことから女性たちをさらなる消費志向へと搔き立てています。一部の例では、女性はこうした魅力や外見上目を引く美しさ、不適切な服装や化粧が、モラル的な価値観や貞節さ、恥じらいとは相容れないということに気づいていません。宣伝において女性を道具として利用し、人間としての尊厳をモデルという形で物理的な特性の枠内にとどめてしまうことは、ある意味で女性を侮辱し貶めることと見なされます。

インターネットによる宣伝は、次第に人々の好みを変化させ、価値観や信条、そして最終的には一般的な生活様式をも資本主義社会的な価値観に適合させることになります。