7月 08, 2017 17:08 Asia/Tokyo
  • 礼拝の場も特別に重視されていること

この番組では、イスラム世界におけるモスクの重要性と、現代の世界におけるモスクの役割に注目しながら、モスクの様々な機能について考えるとともに、世界にある主要なモスクの一部をご紹介してまいります。

モスクは、礼拝をする場であると共に、いわば地上における神の家として最も敬意を払われるべき所でもあります。預言者ムハンマドも述べているように、モスクは神々しいみ光を地上に拡散する光の中心地なのです。このため、イスラム教徒に対してはモスクに頻繁に足を運び、そこで義務とされる礼拝を行うことが奨励されています。モスクはまた、神が招いた客をもてなし、賓客の心と魂を癒す神の迎賓館でもあります。

地上には、様々な場が存在しますが、それらの場所の中でも特別な値打ちのある場所が存在します。かつて、預言者ムハンマドが大天使ガブリエルに対し、神のもとで最も好まれるべき場所はどこかと問いかけたとき、大天使ガブリエルはモスクであると答えています。このように、モスクは地上で最も好まれるべき場所であることから、人間はモスクに足を踏み入れることで神に厚遇されることになります。

しかし、ここで非常に大切なことは、神の家としてのモスクに足を運ぼうとする人は、できる限りモスクにおけるマナーについて理解するよう心がけるべきだということです。それは、人間としての常識やマナーが増すほど、行動がより価値のあるものになるからです。これについて、シーア派6代目イマーム・サーデグは次のように述べています。

“モスクに着いたときは常に、自分が偉大なる国王様の館にやって来たのだということを肝に銘じておくがよい。そこは、清らかな人間しか足を踏み入れることはできず、正直者しか居られないからである。また、神の御前では、最も貧しい僕であるがよい。そして、あなたを神よりも自分のことに夢中にさせ、あなたと神の間の仕切りになるような全てのものを、あなたの心から取り除くことである。それは、神が最も清らかで純粋な心以外のものを受け入れないからである”

 

預言者ムハンマドは、忠実な教友であるアブーザル・ギファーリーに対し、モスクの繁栄と、モスクにおける儀礼やマナーについて、以下のように幾つかの事柄を奨励しています。

まず、モスクは礼拝を行う場所であり、大声で話すことは注意力散漫を招き、他の人々が礼拝に集中できなくなる原因となります。さらに、大勢の人の前で大声で話すことは失礼な行為と見なされます。このため、モスク内では、然るべき相応しい行動を心がけ、人としてのマナーに欠けるような行いは厳に慎まなければなりません。また、モスクの発展につながる要因の1つは、人々がこの聖なる場所において静粛な行動を心がけ、場内の静けさを保ち、発言する必要がある場合には、他人の迷惑にならないよう静かに話すことです。

第2の点として、モスクの威信や神聖さへの敬意に欠けるような発言を慎むことが望まれます。

そして、モスク内では物品の売買を行ってはなりません。それは、モスクで売買取引が行われた場合、そこはもはや人間に神を思い起こさせる存在ではなくなり、人間がそこでより多くの富を手に入れる俗世間的な場となってしまうからです。モスクは本来、崇高なる神に心を馳せる場であり、神以外のものへの注目をそそるような行動は一切あってはなりません。イスラムのある伝承によれば、預言者ムハンマドはモスクの中で矢を研いでいたある男の行動に不快感を感じ、この男にそれを止めさせると共に、次のように告げたとされています。“モスクは、このようなことをするために造られたのではない”

 

ここからは、世界で最も神聖な場所とされる、サウジアラビア・メッカにあるカアバ神殿についてご紹介することにいたしましょう。

歴史的な史料には、次のように述べられています。預言者イブラーヒームが息子のイスマーイールとともに、神の家であるカアバ神殿の建設にいそしんでいた時のこと、壁の高さが増して預言者イブラーヒームの手が届かなくなりました。このため、イスマーイールが大きな石を運んできて、預言者イブラーヒームがその上に立ち、カアバ神殿の建設作業を続けたということです。

イスラム初期の歴史家で、預言者ムハンマドの父方の従兄弟に当るイブン・アッバースによれば、預言者イブラーヒームが、その石の上に立ったことから、そこは預言者イブラーヒームの足場の石として知られるようになった、とされています。さらに、預言者イブラーヒームがその石の上に立ったところは、重みにより沈み、彼の足跡が残ったとされ、そのためにこの石はカアバ神殿内でも特に聖なる場所とされている、ということです。

預言者イブラーヒームの足場となった石は、40センチ四方のほぼ正方形をしており、高さはおよそ50センチほどです。また、全体的に白みがかった、赤と黄色の中間色を帯びており、8世紀後半のアッバース朝カリフ・マハディーの時代以降に金箔が被せられ、特別な場所に保管されていました。しかし、1965年にサウジアラビア政府の命令により、カアバ神殿内のスペースの多くを占拠するとの理由から破壊され、その上を囲いで覆うという処置が施されました。

 それから長年の間、預言者イブラーヒームの足場は様々な天災や人災から守られてきました。神は、コーラン第2章、アル・バガラ章「雌牛」、第125節において、次のように述べています。

“我は、人々の恒常的な集まりの場として、また安全な場として、この家・カアバを設けた。そして我は、イブラーヒームが立った所を、あなた方の礼拝の場とするよう命じたのである”

カアバ神殿の近くに預言者イブラーヒームの足場が存在していることから、真理を探究する人々は誰もが、神の唯一性や一神教信仰を呼びかけた預言者イブラーヒームの偉大さにひかれます。実際に、この預言者イブラーヒームの足場は、宗教に基づく支配者の地位に就くことの見本や印なのです。

 

カアバ神殿で特に神聖な場所とされているものに、この神殿の南東の角に据えられ、イスラムの聖なる宝として知られる黒石があります。この石は楕円形で、直径がおよそ50センチあり、その周囲は銀製の枠で保護されています。メッカにやって来た巡礼者たちは、カアバ神殿の周りを7回回るタワーフという儀式を、この黒石の前から始め、この石の前で終えます。彼らは、タワーフの儀式を終えた後、この黒石に触れ、接吻します。

実際に、この黒石は宗教の叡知の1つでもあり、神とその僕の間における秘密でもあります。この黒石に触れることは、神に忠誠を誓うこと、もしくはその誓いを新たにすることを意味します。預言者アーダムは、カアバ神殿を建設し、この黒石を東の角に据えた最初の人物とされています。また、これを新たに再建したのは預言者イブラーヒームであり、その当時黒石はメッカの近郊にあるアブークビス山に落ちており、預言者イブラーヒームがこれを所定の場所に取り付けたといわれています。

 

ムハンマドが、まだ神の預言者に任命されていなかった35歳のとき、カアバ神殿が大雨と洪水により破壊され、クライシュ族がこれを再建しました。当時、正直者を意味するアミーンという名で知られていた預言者ムハンマドも、カアバ神殿の再建を手伝いました。しかし、黒石の取り付けをめぐってクライシュ族の族長たちの間で争いが発生しました。それは、この黒石を取り付けた部族がより高い威信と栄誉を得ることになっていたからです。このため、預言者ムハンマドは、自分の着ていた外套を脱いで地面に広げ、黒石を布に載せました。そして、全ての族長がこれを持ち上げて運び、ムハンマドが自分の手で所定の位置に収めるという方法をとり、この争いを解決させたのでした。

カアバ神殿内におけるもう1つの聖なる場所は、この神殿のそばに立っている弓なりの壁・預言者イスマイルの岩(壁)です。この壁は、カアバ神殿の周りを回る巡礼者とカアバ神殿を分け隔てるものです。この岩には、一部の伝承によれば預言者イスマイルとその母親のハージャルが暮らしており、彼らは死後ここに葬られたとされています。預言者イスマイルは、母親にこの上ない愛着を抱いていたことから、母親の墓を上方に上げた状態でその周りを壁で囲み、母親の墓が人々に踏まれないようにしたということです。

 

ある伝承においては、預言者の妻の語った内容として、次のように述べられています。

「私は、カアバ神殿の中に入って礼拝をすることを望んでいた。預言者は私の手を取り、私を預言者イスマイルの岩の内部に入れ、次のように告げた。

“カアバ神殿で礼拝をしたいときにはいつでも、ここで行うがよい。ここは、カアバ神殿の一部で、本来は神殿の黒い建物内にあった。だが、お前の部族はカアバ神殿を造ったときに、その長さを減らして、イスマイルの岩を神殿の外に出るようにしてしまったのだ” 」

預言者イスマイルの岩は現在、半円状の低い壁となっており、高さはおよそ1.32メートル、半径はおよそ5.8メートルあり、カアバ神殿からおよそ2.22メートル離れています。

 

 

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