7月 13, 2017 16:29 Asia/Tokyo
  • 人間が持つマイナスの感情

今回は、人間が持つマイナスの感情、恐怖心についてお話することにいたしましょう。

恐怖心は、人間の心理状態の1つであり、一生ついてまわります。そしてこれは、人間が特別な行動を取る原因となります。恐れの感情は、好ましいものではありませんが、現実的な危険に対して生じる、ごく自然的なものです。言い換えれば、恐怖心とは、混乱の影響により生じる強い感情的な反応であり、正常な行動や努力を妨害します。恐れや緊張は、安定した精神状態を乱し、緊張や動揺の原因となります。

もっとも、恐怖心はストレスとは異なります。恐怖心が生じるのには表面的に明確な、或いは潜在的な原因が存在しますが、緊張については原因がはっきりしていません。また、恐怖心は、人格の完成の中で、ある程度必要なものです。このため、恐怖心は。好ましいものとそうでないものに分けられます。

神に対する畏れは、好ましい恐怖心の1つとされています。神を畏れることは、自らの至らなさや罪を恐れることを意味します。それは、例えば自分にある責務が課されていながら、それを怠ったことなどに関するものなどが挙げられます。しかし、これは恐怖心ではなく、謙虚さであり、謙虚さとは1つの技術でもあります。これについて、コーラン第35章、ファーテル章「創造者」第28節では、神のしもべの中で知識のある者だけが神を畏れる、と述べられています。この畏敬の念により、人間は神に従い、完成に至る道に導かれることになります。

 

コーランは、恐怖心に対処する幾つかの方法を提示しています。そのうちの最も重要な方法は神に服従し、誠実な行動をとることです。恐れを抱くのは普通、これから何かを失ったり、何らかの損害を受ける可能性があることによるものです。ですが、信仰心に篤い人は神に頼ることで、最も強い力がその人を守ってくれると考えます。もっとも、このことが実現するのは、その人の行動が全て神のためのものであるときです。コーラン第2章、アル・バガラ章「雌牛」第112節には、次のように述べられています。

“神に自分の真心を尽くして服従、帰依し、善行に勤しむ者は、確実に創造主から報奨を与えられる。彼らには、恐れもなく憂いもない”

 

信仰に頼ることは、緊張を伴う場面に遭遇した際に、大きな役割を果たします。多くの人々の間では、宗教信仰に立ち返ることで、生活上の困難によりうまく対処できると考えられています。なぜなら、生きていく上での過ちや失敗は避けられないものであり、それは常に苦しみの元になるからです。信仰心に篤い人は、信仰心をより所として心と体のバランスをとることにより、安らぎと満足感を確固たるものにし、現実をあるがままに受け止めます。そのため、心が明るくなり、決して自分の内面に潜む矛盾や葛藤に苦しむことはありません。

実際に、神への信仰心は現代人が失っているものであり、しかも、マイナスの感情に対処するための、最も重要な生きるための技術と言えます。現代人は、アイデンティティの喪失や信仰心の欠如により、常に恐怖や緊張にさらされています。神への信仰心や正しい行動は、その人を神が持つ無限の本質へとつなぎます。そして、この絶対的な力をより所とすることで、もはや恐れる理由はなくなります。それは、その人が無限の力を持つ存在をより所としているからです。これについて、コーラン第5章、アル・マーイダ章、「食卓」第69節では、次のように述べられています。

“誠に、唯一の神と最後の審判の日を信じて善い行いに励む者には、恐れも、憂いも抱くことはない”

 

コーラン第2章、アル・バガラ章「雌牛」、第156節には次のように述べられています。

“信仰心により心が照らされ、現世において善なるものや正しいものしか見ない人々、このような人々こそは災難に遭うと、次のように述べる。「誠に、我々は神のもの。我らは神に帰する」”

光の源を見出し、闇を振り払う人は、神に導かれ、前途が明るいものに見えます。こうした人は、神から下された導きをより所としており、恐怖心が拭い去られ、神を信頼するようになります。神は、コーラン第2章、アル・バガラ章、「雌牛」第38節において次のように述べています。

“やがて、あなた方に必ず我が導きが恵まれよう。そして、我の導きに従う者は、恐れることもなく、憂うこともないであろう”

コーランでは、人間形成の宗教としてのイスラムの教えのもとで育った信心深い人は、生活上の様々なストレスから守られる、とされています。世界の現実を認め、宗教的な影響の下で考える人は、他の人が恐れる多くの物事をも恐れることはなく、真実をあるがままに捉え、受け入れるのです。神をよりどころとし、神以外の一切のものに影響されない人は、何も恐れないのです。

崇高なる神に完全に従う善良な人は、神のもとで報奨を受けることになります。このような人は、何事も恐れず、悲しむこともありません。

 

WHO・世界保健機関が発表した統計によれば、ヨーロッパの8カ国、一般的に幸福な国の代表と考えられているスイスにおいても、自殺件数が多くなっています。この統計からはまた、神を信じず、欲望に任せて、性急に物事を進め、表面的ことしか考えなかった結果として、生活に行き詰まり、失意のうちに人生を終える人々がいることを示しています。