May 24, 2019 00:45 Asia/Tokyo
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ターハー章では、ムーサーが預言者として使わされた物語が述べられています。

慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において

今回のこの時間は、コーラン第20章ター・ハー章を見ていくことにいたしましょう。

 

ターハー章では、ムーサーが預言者として使わされた物語が述べられています。

 

ターハー章は、コーランの20番目の章です。この章はメッカで下され、全部で135節あり、メッカで下された他の章と同じように、起源と復活について述べられています。また、唯一神信仰の恩恵と多神教信仰による悪い結果について語られています。この章では、預言者ムーサーの物語が述べられ、そのうちのおよそ80節がそれに充てられています。この他、コーランの偉大さや神の性質、悪魔イブリースの誘惑とアーダムとハッワーの運命、彼らの地上への降下が述べられ、章の終盤には、警告があります。この章は、アラビア語のアルファベットのター、ハーで始まるため、それがこの章の名前となっています。

 

「慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において。ター、ハー。我々がコーランを汝に下したのは、汝に苦労をさせるためではなかった。神を恐れる者たちへの訓戒とする以外は」

 

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このように、ターハー章の最初の節は、神の預言者を慰める言葉で始まっています。イスラムの預言者ムハンマドは、コーランの節が下された後、義務の遂行に対する責任感から、多くの苦労を背負い、神への礼拝に勤しんでいました。彼は足が腫れてしまうほど、礼拝に立ちました。この3つの節は、預言者に対し、「それほどの苦労を感じる必要はない、なぜならコーランは、神を畏れる人々を怠惰の眠りから目覚めさせ、彼らを導くために、預言者に下されたものだからだ」と述べています。

 

「ムーサーの辿った運命は汝に届いたか?そのとき彼は炎を目にし、家族に言った。『少し待ちなさい。私は炎を見た。そこからあなたたちのために火種を取ってこよう。あるいはその火によって導かれるかもしれない』」

 

預言者ムーサーとフィルアウンの物語は、多くの教訓に満ちています。この物語は、歴史を通して続けられてきた、真理と偽り、正義と悪の戦いの一例です。コーランの物語はすべてが真実ですが、コーランは様々な出来事の表面を語る中で、それ以上の真理を人類に教え、人々がそれらについて深く考えることができるようにしています。たとえば、フィルアウンの暴虐と彼の結末を述べることで、歴史におけるすべての覇権主義者たちに対し、もし傲慢になれば、たとえ最強の軍隊を有していたとしても、神の力に抵抗することはできず、その思惑が実現することはない、彼らは必ず消滅する、ということを警告しています。一方で、敬虔な人々には、いかなる時代にも、唯一神信仰を守り、圧制者や魔術師と戦う道を歩み続け、逸脱に対して賢明さを保つよう呼びかけています。

 

ターハー章で、預言者ムーサーとイスラエルの民、フィルアウンとその仲間たちに関して述べている節は、大まかに4つの部分に分けることができます。第一の部分は、ムーサーが預言者に選ばれ、最初の啓示が下された部分です。ムーサーは、暗い荒野の神聖な渓谷で、基本となる事柄を学びました。第二の部分は、預言者ムーサーとその兄弟ハールーンが、フィルアウンとその側近たちを唯一神信仰へと誘い、その後、彼らが敵たちと対決することになった物語が述べられています。第三の部分は、ムーサーとイスラエルの民がエジプトを離れ、彼らがフィルアウンの手をどのようにして逃れたか、フィルアウンたちが溺れ、消滅した出来事が述べられています。第四の部分は、イスラエルの民が唯一神信仰から逸脱し、ムーサーが、サマリア人によってイスラエルの民にもたらされた逸脱と戦う物語が述べられています。

 

預言者ムーサーは、妻や子供たちと共に、マドヤンからエジプトに向かっていました。寒くて暗い夜の旅だったため、彼らは道に迷ってしまいました。預言者ムーサーは、自分たちの体を温めるための火を探していました。そのとき、妊娠していたムーサーの妻が痛みを訴えました。彼が困り果てたそのとき、遠くに炎が見えました。ムーサーは家族に言いました。「少しここで待っていなさい。あそこに炎が見えました。それを分けてもらいに行ってきます」

 

ムーサーが炎のところに行くと、彼に語りかける声が聞こえました。「ムーサーよ、私はあなたの主である。あなたは今、トワーの聖なる地にいる。そのために靴を脱ぎなさい」 ムーサーは木の中に炎を見ました。それこそは、その炎が普通の火ではなく、神の光であることを示していました。

 

「私はあなたの主である」という言葉を聞き、ムーサーは筆舌に尽くしがたい興奮を全身で感じました。ムーサーは考えました。「私に語りかけたのは誰なのか?それは私の主なのか?私は、幼いときから今まで、その慈悲深い方のもとで育てられ、今、偉大な使命を果たす用意ができている」 ムーサーは靴を脱ぎました。なぜなら、神の光がともった聖なる大地に足を踏み入れ、そこで人々を導くという預言者としての責務を受け入れたからです。

 

その後、神はこのように語りました。「私はあなたを預言者に任命した。だからあなたに下される事柄をよく聞きなさい」 それに続き、ムーサーは、最初の啓示を受け取りました。

 

「まことに私はアッラーである。私以外に神はいない。だから私に従いなさい。私を想い起こすために礼拝を行いなさい」

 

この節では、唯一神信仰という、預言者の導きの最大の原則を述べた後、その最大の実りは唯一の神への崇拝であるとし、宗教義務で最も重要な礼拝を命じています。

 

明らかに、神の預言者たちは、その使命と神とのつながりを証明するために、奇跡を必要としています。それがなければ、誰でも自分が預言者であることを主張できるでしょう。その奇跡は、導きや啓典の中にある場合もあれば、肉体的、感覚的な奇跡など、別の形をとる場合もあります。

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預言者ムーサーは、その夜、聖なる大地で神の命を受け取った後、神から2つの大きな奇跡を与えられます。ターハー章の第17節から23節は、それについてこのように語っています。

 

「ムーサーよ、あなたの右手にあるそれは何か?彼は言った。『これは私の杖です。これを支えにしたり、羊のために木の葉を落としたり、その他の用事のために使っています』 神は言った。『あなたの杖を投げなさい』 ムーサーが杖を投げると、突然、蛇が現われ、這い回った。神は言った。『ムーサーよ、それを捕まえなさい。恐れることはない。我々がそれを元の状態に戻してやろう』」

 

それに続く節は、ムーサーの2つ目の重要な奇跡に触れています。「あなたの手をわきの下に入れなさい。そこから何の欠点もない白く輝くものが現われるだろう。それもまた、別のしるしである」 ムーサーの手はそのとき、不思議な光に包まれて現われました。ムーサーの杖が大きな蛇に代わり、また彼の手が白く輝き、その後でまた元の状態に戻ったことは、超人的な力、つまり全知全能の神の力に頼ることなくしては不可能なことです。

 

この奇跡の後、ムーサーに大きな使命が伝えられます。実際、ムーサーの最初の使命は、神の命を、当時最も有力で危険な人物であったフィルアウンに伝えることでした。神は第24節で次のように語っています。「[ムーサーよ、]今、フィルアウンの許に行くがよい。まことに彼は逆らう者である」

 

実際、この節が伝えようとしているのは、社会全体を改革しようとするとき、まずは不信心で堕落した為政者たちから始めるべきだということです。この神の命は、預言者たちの目的が、第一に、圧制者や覇権主義者と戦うことであることを示しています。しかし、優れた指導者の成功の第一の秘訣は、偉大な精神、優れた知性、抵抗力、忍耐力であることから、ムーサーはまず、崇拝の言葉を口にし、神に対してこのように求めます。「神よ、私に忍耐力を与えてください。そして私の仕事を容易にしてください。困難を取り除き、私の舌のもつれをほぐし、人々が私の言うことを分かるようにしてください。また私の兄弟であるハールーンを、確かな支えになるような援助者としてください」 神はこのムーサーの祈りを聞き入れ、第36節で次のように語っています。「ムーサーよ、確かにあなたの要求を叶えてやった」

 

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