4月 21, 2018 20:48 Asia/Tokyo
  • 戦争、環境破壊の元凶
    戦争、環境破壊の元凶

今回は、前回の続きとして、自然環境の破壊のもう1つの重要な要因である戦争についてお話しましょう。

これまでに世界で見られた忌まわしい現象の1つは度重なる戦争であり、これらは治安の維持や社会正義、平和を名目に勃発しました。これらの戦争では大抵、軍人や民間人の死傷者数、破壊した市町村の数によって、被害状況が決められています。しかし、こうした戦争が戦時中はもとより、戦後何年もたってから自然環境にどのような影響を及ぼしているかについては、全く発表されていません。

戦争、環境破壊の元凶

 

全ての戦争において、自然環境や天然資源には注意が払われないことが多くなっています。このため、自然環境は普通忘れ去られた戦争の犠牲物とされています。こうした中、現状が示しているように、戦闘地域の人々は、戦後何年も経過してからも、戦争による自然環境への悪影響の代償の支払いを余儀なくされています。平和団体や環境保護団体の発表によれば、多くの国では現在、人類の安全や公衆衛生、そして実生活が戦争や暴力による環境破壊、そして関係機関の崩壊により脅かされていることが分かっています。

今や、全ての人々が認めている通り、自然環境に対する戦争の悪影響は他のどの要因よりも危険なものです。それは、戦争ではそれぞれの当事国が抱いている強い復讐心や勝利を得ることへの欲望により、人道的な原則の遵守が忘れられ、罪のない人々の生活や生命が危険に陥り、自然環境に甚大な被害が及ぶからです。

現代の戦争では、大きな破壊力を持つ爆弾や、化学物質、毒ガスなどが使用されていることから、人間の生活環境が危険なほどに汚染されています。専門家の見解では、一般的に戦争による自然環境への影響は、人間の生活場所の破壊、難民の大量発生、動植物の絶滅、市町村のインフラの破壊、の4つに大きく分類されています。

戦争、環境破壊の元凶

 

戦争は、自然環境に直接的な影響を及ぼすのみならず、間接的にも多大な影響を及ぼしますが、それらは決してその戦争中には現れません。対人地雷の使用を禁止する国際的な条約の報告によれば、アフガニスタンやカンボジア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、アフリカといった、戦争の被害を受けた世界の各地には、今なお戦争時代の数千万トンもの爆発物が残存しており、戦争や紛争の終結後何年にもわたって、その地域の人々の生活を破壊しているということです。また、それらの残存物により毎年罪のない多くの人々が、身体の一部を失うなどといった被害を受けているほか、自然環境にも取り返しのつかない被害が及んでいるとされています。

一方、国連の発表によれば、1990年代だけで世界では118の武力紛争が発生しており、その結果600万人が難民となったほか、人々や自然環境に対する悪影響が残ったとされています。そうした例として、移民や伝染病患者の増加、水の誤った管理による干ばつの発生が挙げられます。

シリア人の難民

 

内戦の勃発により普通に見られる悪影響として、治安の欠如や暴力などから退避しようとする難民の大量発生が挙げられます。こうした大規模な民族移動は、彼らにとっても経済活動に支障をきたす苦難であるのみならず、特に乾燥地帯や農業に適さない地域などに、甚大な被害を及ぼします。例えば、2003年にアフリカ・スーダン西部ダルフール地方の紛争では、200万人以上の難民が発生したことから、砂漠化が進んで土壌の質が下がり、最終的には難民キャンプ周辺の地域の地下水が過剰に使用されました。また、最近のシリアの内戦でも、これまでに数百万人が難民となったほか、農業用地が破壊され、砂漠化が進んでいます。

20世紀末、そして21世紀に入ってからの最初の10年間にも戦争や紛争が多発し、人々の生活の悪影響を及ぼしたのみならず、その影響は自然環境や天然資源にも及びました。この数十年間における戦争の被害を振り返ってみると、このことが明確に見てとれます。アフガニスタンからイラク、シリア、レバノン、バーレーンにまで及ぶ中東地域、そしてリビアからエジプト、スーダン、コンゴに至るまでのアフリカ北部・西部では、全ての人々が紛争に直面しています。これらの地域の紛争では、政治的、軍事的な目的のために地元の人々や在来種の生物が攻撃を受けました。それにより、これらの地域の水資源や土壌、生物の多様性にも、今後何世代にもわたって尾を引くことになる、取り返しのつかない被害が及んでいます。

イラク南部にあるアシの草原

 

環境破壊の典型的な例の1つとして、イラン・イラク戦争による被害が挙げられます。当時のイラクの独裁者サッダーム・フセインは、1980年代から90年代にかけて狂人的な政策により、イラク南部にあるアシなどの草原を枯らす政策を実施しました。彼は、自らの政治的、軍事的な目的を果たすために、メソポタミアと呼ばれる地域の南部と中部の重要な地域において、土地の焼き払い作戦の実施を命じたのです。

サッダームの命令により、イラク軍はアシの1本たりとも生えさせないよう、チグリス・ユーフラテス河流域の広範な地域を焼き払いました。この独裁者は、地域のエコシステムをかく乱し、イラクの南部と中部にある渡り鳥の飛来地を破壊しました。そして、敵国であるイランから防衛するためのバリアを造ると称して、イラク南部の複数の州に生息する、1500万本以上のナツメヤシの樹木を伐採しました。イラク軍は、同国南部の河川をせき止めることで、国内の農業用地を疲弊させるという任務を負っていました。特に、イラク南部のバスラ州や、イランとの国境に面した州では、ナツメヤシの樹林が根絶やしにされ、各種の対人地雷や爆破トラップが仕掛けられたのです。

一方、イラクでは、特に石油産業工場から排出された危険な化学物質や、各都市の家庭排水がチグリス・ユーフラテス川に垂れ流しにされることは日常茶飯事でした。イラク南部の港湾都市バスラの沿岸では、ガスオイルや石油、焼け焦げた油の大きな塊が見られることもしばしばでした。この国では、人々の生活に時を置かずして直接的な影響が現れると同時に、砂塵を初めとする大気汚染などの長期的な影響が出てきました。数年に及ぶ戦争の結果、イラン南部とその近隣諸国にもたらされた取り返しのつかない後遺症として、メソポタミア湿原の枯渇、砂漠化の進行とそれによる肥沃な土壌の喪失、草原の破壊などが指摘できます。

イラン南部にもまたがるメソポタミア湿原の枯渇は今日、これらの地域における砂塵の発生原因の1つとされています。これは、イラン・イラク戦争時代にこうむった激しい水不足の結果でもあります。イランやそのほかの地域諸国の多くは、今なおこの戦争の後遺症や新環境の危機に苦しんでいます。イランのマアスーメ・エブテカール環境庁長官も、ある演説においてこの点を認めるとともに、次のように述べています。

「砂塵の発生は、戦争による後遺症の1つである。イランは、この問題に悪戦苦闘しており、またこの現象は日々悪化している」

砂塵

 

この数十年間、湾岸戦争において自然環境に甚大な悪影響を及ぼした現象の1つに、石油採掘プラットフォームやタンカーからの原油の流出が挙げられます。イラン・イラク戦争の8年間で、タンカーやプラットフォームの爆発により、ペルシャ湾の広範な地域が汚染されました。

イラクのクウェート侵攻でも油田が放火され、クウェートとその近隣諸国の人々の頭上に石油の雨が降りました。アメリカを初めとする多国籍軍によりクウェートの油田の全てが占領されたとき、同国にある640から940の油田が燃えていました。そのほかの油田でも、イラク軍とアメリカ軍により、ペルシャ湾への原油の垂れ流し作戦が行われていました。

イラクとクウェート戦争

 

1991年1月には、イラク軍が5隻の大型タンカーの積荷をペルシャ湾に放出しました。その結果、この年の1月23日から2月28日までの期間に、クウェートにある730箇所以上の油田が放火されました。その後、クウェートでは年間死亡率が10%上昇しました。不幸中の幸いといえば、硫黄を含む400万トン以上の煙が5000メートルの上空に放出されたことです。そうでなければ、地域や世界の水や大気にとって大きな危険因子が発生していたと思われます。一方で、沈殿した原油やコールタールの分厚い層は、ペルシャ湾の沿岸地域から数百キロ離れた沖合いの海域をも多い尽くしました。一部の報告によれば、少なくとも3万羽の海鳥が死亡したとされています。

これまでお話してきたことは、戦争で発生した大惨事の氷山の一角に過ぎません。言葉による契約を交わし、紙面上で合意書に調印することによる、戦争の終結や平和の実現に向けた努力は、自然環境の現状の改善や停戦、平和の実現にとって何の意味も持たないのです。地球はもはや、私たち人類の過ちをこれ以上は許さないのです。

 

 

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