西洋哲学に見る女性の立ち位置(その2)
古代から現代までの西洋の哲学者の思想を振り返ると、それらのほぼ全てが女性に関してジェンダーの思想をベースにして理論を展開していることが見て取れます。アリストテレスやルソー、カント、ニーチェ、ショーペンハウエルの作品について研究していくと、彼らの思想においては、女性を取るに足らない存在だとする共通した見解があることがわかります。
18世紀の産業革命、20世紀における2つの世界大戦の勃発、そして女性の労働市場への参入により、西洋哲学における女性の地位は次第に変化しました。今夜は、こうした変化についてお話することにいたしましょう。
女性の権利に注目した最初の西側の哲学者は、イギリスのジョン・スチュアート・ミルです。ミルはこの点について、女性の法的な立場や権利を擁護するための、明白で重要な指標や価値観の1つとして、自由を挙げています。また、女性の権利を擁護することが、彼女たちの幸福につながるとともに、社会にも直接的にプラスの影響をもたらすと考えていました。
ミルは、社会環境が人間にどのような影響を及ぼすかを示すため、特に女性に関しては一般的に比喩表現を用いており、人間の本性を1本の木に例え、次のように述べています。
「人間の本性は、あるプログラムや設計に基づいて製造され、それに基づいて動く機械ではない。人間は木のようなもので、内に秘められた才能や本質に基づき成長する。このことから、女性の権利を蹂躙して、彼女たちを男性の利益のために半人前の存在として扱うことは、不自然な行動である」
ミルの見解では、女性の知的能力や道徳の欠如のほとんどは、歴史を通して、女性の権利やそれに基づく要求を抑圧してきたという、彼女たちの育った環境によるものとされています。
ジョン・ミルより前にも、18世紀のイギリスの思想家で、フェミニズムの先駆者とされるメアリ・ウルストンクラフトのような人物が、数多くの論説を残しているものの、フェミニズムに最も大きな影響を及ぼしたのは、ミルの学説だといえます。
1865年に出版されたミルの著作『女性の解放』は、19世紀のフェミニズムがもたらした最も重要な作品とされています。この著作では、男女のいずれかがもう一方より優れているとする考え方を否定し、男女平等の原則を完全に支持しています。一方でミルは、男女の完全な平等を提唱していたものの、家族を大切にする伝統的な考え方をも擁護しており、このようなミルの見解はニュージーランド生まれのスーザン・モラー・オーキンをはじめとする、その後のフェミニストから批判されています。オーキンは、次のように述べています。
「ミルは、家庭に対する伝統的な思想を支持しているが、それは彼が、子供の世話などをはじめとする無償の家事は結婚した女性が担うべきだ、と考えているからである。また、彼は、自由や平等を求めているにもかかわらず、男性と既婚女性の間の就労の機会や、政治への参加をめぐる差別に関しては発言していない」
家族のあり方をめぐるオーキンの見解は表面的であり、20世紀のフェミニストは、独身主義を強調し、結婚を否定して女性に男性のような経済活動への幅広い参加をアピールすることで、こうした傾向を強めることになりました。
この時代のフェミニズムの影響として、西側諸国における男性不要論の提唱、子供を生む事を前提としない性的関係を目指す闘争、1965年以降に出現した、性的関係などを含むすべての面での女性解放運動の出現、婚姻率や出生率の低下、家庭の基盤の崩壊といった現象が挙げられます。
こうした学説を提唱したフェミニストには、カナダ系アメリカ人のシュラミス・ファイアーストーンがおり、彼女は男女間の違いは性的な事柄をベースにしていると考えていました。ファイアーストーンは、対外授精といった新たな技術や、家庭外での子供の教育により、女性が解放されると考えています。この中で、経済的な、次世代を生み育てるための場所としての家庭はなくなり、性的な役割分担から解放された社会が出来上がることになります。
また、20世紀のフランスの哲学者シモーヌ・ド・ボーヴォワールも、このようなフェミニストでした。ボーヴァワールは『第二の性』という著作において、結婚することや、母親となることを、女性の不幸の元凶だと断言しています。
1970年代以降に出現した新たなフェミニズムは、行動心理学に基づいて、女性としての特性の維持を強調しており、女性は家族や夫、子供を必要としているものの、男女の関係のあり方は、性的な違いや女性に対する支配を発端としている、という理論を受容しています。こうしたグループは、家庭や社会環境における男女同権を強く信じており、彼らの主張する理論の代表例として、学校用の教科書から性差別につながると見られる表現を削除する事が挙げられます。
西洋哲学に見る女性の位置づけについて研究すると、西側諸国での女性に対する捉え方は常に、過激な思想を伴っていた事が分かります。フェミニズムは当初、女性の権利の対する不当な抑圧によって形成されたものでした。しかし、フェミニズム内に様々な思想が生じても、西側の女性が奪われた権利を取り戻す効果を発揮できなかったのです。
フェミニズムは、出現後およそ200年ほどの間に様々な副作用をもたらしました。それは、女性の失われた権利の回復を目指す闘争からの逸脱、女性の権利に関する曖昧な点の増加や事実の歪曲、倫理、宗教などの支援の喪失、男女間の敵対の悪化といったものです。そして、最終的にフェミニズムは女性のしかるべき地位を確立することはできず、女性の人間としての地位も揺るがす結果となりました。
それではここで、イランの女性問題の研究家であるアーホンダーン博士の話をお聞きください。
「フェミニズムは、ヨーロッパにおける啓蒙の時代の産物である。フェミニストの大半の思想における最も原則的な思想の基盤は、人間中心主義・ヒューマニズムとされている。ヨーロッパの啓蒙の時代には、次第に政治色や宗教色を帯びた思想が出現したが、これらの思想の多くは、宗教的な思想の破壊を目指していた。フェミニズムはその出現当初、本質的に人間中心主義を踏襲していた。ドイツの哲学者カントやイギリスのミルも、女性の間におけるヒューマニズム的な権利の普及を支持する著名人であり、彼らはリベラル的なフェミニズムの先駆者であった」
「リベラル的なフェミニストの間では、人間は誰でも自分の望むとおりの生活を送り、他人もそれを受容すべきだと考えられている。こうした人々は、自分の属するジェンダーが、100%自分の権利に関係するとみなし、男女の性質は完全に同一で、そこに存在するのはあくまでも人間であり、ジェンダーの区別ではないと考えている。このため、昔からの家庭内での男女の役割分担に反対しており、夫婦関係における原則は快楽や喜びを得られる事が原則であって、家庭を作る事や子供の教育ではない」
それでは、ここで現代のイランのイスラム哲学者モルテザー・モタッハリー師の話をお届けし、今夜の番組を締めくくる事にいたしましょう。モタッハリー師は、次のように述べています。
「精神的、あるいは物質的な価値観による男女平等の概念は特定の意味を持ち、また同一や同等という概念も別の意味を持つ。フェミニズム運動は、平等という概念を意図的に、しかも誤って使用している。平等は、同等の同義語として扱われる。ある人が女性であることにより、その人が女性である事が忘れ去られてしまう。以前の不幸の数々の多くは、女性が人間であることが忘れられていたことが原因だったが、現代の新たな不幸は、女性が女性であることや、女性の本質的な地位、女性に託された使命、女性の本来的なニーズや、その能力が忘れられていることに原因がある」
次回もどうぞ、お楽しみに。