6月 20, 2018 18:26 Asia/Tokyo
  • フェミニズム
    フェミニズム

これまでお届けしてまいりましたこの番組も、今回が最終回となりました。今回は締めくくりとして、フェミニズム運動がもたらすマイナスの影響についてお話することにいたしましょう。

今日、国際社会で注目されている最も重要な問題の1つは、女性の権利、女性の好ましい位置づけの維持、そして男女同権の遵守と性的差別の撤廃です。こうした運動は、20世紀後半に西側諸国において、女性の権利回復と女性に対する差別の撤廃を目的に開始され、特に最近数十年間において加速しました。こうした運動は、数々の宣言や声明の発表、会合の開催により、不平等の撤廃に努めてきましたが、果たしてその結果、西側諸国の女性にとってのこうした平等は実現されたのでしょうか。

 

これまでの歴史が示しているように、産業革命前のヨーロッパ諸国では、女性には全く財産の所有権がなく、それらは全て夫のものとされていました。当時は、仮に女性が何らかの活動により賃金を得たとしても、それを夫に渡す事が義務付けられていたのです。

ヨーロッパでは産業革命により、女性を支持する内容の法律が段階的に可決され、実施されました。こうして、1886年に初めて、女性に経済的な自立の許可が与えられています。女性へのこの権利の付与は、表面的には博愛主義的なものでしたが、その主な理由は、特に第2次世界大戦中に女性の労働力が必要とされたことにありました。

ヨーロッパ社会を構成していた男性のうち、数百万人が戦争で死亡したことから、工場労働での賃金が上昇しました。このため、ヨーロッパの資本家は、男性よりも安い賃金で雇用できる労働力の利用を迫られました。女性は、1日に12時間以上就労しても、その賃金は男性のわずか3分の1にとどまっていました。この点について、アメリカの歴史家ウィル・デュラントは、『哲学の醍醐味』という著作において、次のように述べています。

「女性の解放は、産業革命がもたらした副作用である」

 

こうした傾向を受け、女性の権利回復を目指す運動が大掛かりな努力を開始し、その結果一部の国では法律が改正されるに至りました。そうした変革の1つが、生活費に関するものです。これは、男性に課された金銭面での一種の義務であり、配偶者や子供にかかる費用の確保が考慮されています。

特にイスラム社会をはじめとする人間社会の多くにおいては、女性が経済力を持っていたとしても、家族にかかる費用の負担は男性の責務とされています。もっとも、現在では男女平等に関する運動の高まりを受け、一部の西側諸国では生活費の負担は夫婦の両方のものとされています。

 

例えば、スウェーデンでは男性と女性のいずれにも、結婚後は家庭生活を送る上での費用負担に関して共同の責務が課されており、家族の予算の見通しが立つように、夫婦ともに自らの収入をどこで何のために使ったかを相手に伝えることになっています。もし、夫婦のいずれか、あるいは双方に十分な収入がない場合には、両人でこれを補い合い、男女の生活条件を同一にすることが定められています。

スウェーデンではさらに、夫婦が離婚する場合にも、子供の養育費の負担を夫婦間できちんと定める必要があります。この場合、夫婦のいずれかが別れた相手に一定期間、あるいは一生涯にわたって生活費を支払う義務が生じます。

 

 

 

それではここで、西側諸国におけるフェミニズム運動がもたらしたマイナスの影響について、イランの女性問題の専門家であるアーホンダーン博士の話をお届けする事にいたしましょう。

 

「リベラリズムは、啓蒙主義の時代以降の西側諸国を支配する文化として、この思想を普及させる最強の力としての女性を同調させるため、強力な手段を必要としていた。この役割を見事に果たしたのがフェミニズムである。だが、女性の権利回復に向けた数世紀にわたるフェミニズムの努力の結果、現在ではほぼ全ての社会が否応なしにこの文化を受け入れざるを得なくなり、この現状に直面している」

「若者たちは、結婚して健全な共同生活を受容することから逃避している。今や、同棲生活が合法的な結婚にとって代わっている。家庭の力強い主軸となるはずの女性の人格が、もはや性の商品としての一段低い存在に成り下がってしまっている。女性は、すでに性的な手段と同等にまで落ちぶれている。母親としての役割は弱まり、保育所がそれに取って代わっている。男性は、女性から見て女性を補い助ける存在ではなく、女性を支配する存在となっている。女性は、家族を擁護し助けるという本質を持つ事から、神から与えられたこの責務を放棄したがために、常に良心の呵責にさいなまれている。家庭における男性の主導力は弱まり、女性は仲間ではなくこの役割をめぐるライバルとしてみなされる。旧来の生活基準を放棄することで、彼らは責務のない生活に向かっている。そして、最終的には、男女同権という思想の最も大きな恩恵を受けるのは、女性ではなく男性ということになる」

 

夫婦が経済的な責務を平等に負担することは、一見すると好ましいように思われますが、様々な調査によれば、最も結びつきの強い組織としての家庭の基盤は、経済面やそれ以外の面での主導権なしには充実することはないとされています。20世紀以前、西側諸国の多くにおいて女性は最低限の権利すら持たず、結婚により禁治産とされていました。残念ながら今やフェミニズムが過激化し、家庭の主導権が夫婦の双方にゆだねられていることにより、事実上家庭には保護監督者が存在しなくなり、この重要な社会組織の崩壊に追い討ちをかけるという事態を招いています。

もっとも、西側諸国の大部分においては、法律が女性の権利平等をベースとしたものに変化したものの、今なお過去の影響が根強く残っていることに注目する必要があります。例えば、アメリカで最も普及しているこの種の法律の1つは、女性が結婚した際に男性の苗字を受容する条件です。言い換えれば、女性は男性との婚姻により、法的に夫の苗字を自らの新しいアイデンティティとして受け入れ、夫の苗字で自らを名乗る必要があるということです。この法律によれば、女性は離婚した後も元夫の苗字を維持することになります。

例えば、1971年にアメリカの最高裁判所は、自分の元の苗字への復帰を法的に申請しない限り女性に離婚後も元夫の苗字を名乗る事を義務付けた、アラバマ州の法的な要請を承認し、女性に自分の元の苗字を使用させないとする判決を下しました。

さらに、1976年にはケンタッキー州の裁判所が、運転免許証に結婚前の姓を登録したいという、ある既婚女性の訴えを退けました。それは、裁判所が提示した理由によれば、既婚女性の正式な苗字を彼女たちの個人的な理由に基づいて決定できるとする条項は存在せず、彼女たちの身分を明白にするものは、既婚の状態だとされている、というものです。

アメリカの法律によれば、既婚女性は全ての身分証明書に夫の苗字で掲載しなければならないとされています。このため、アメリカを初めとする西側諸国の社会の慣習や法律の基本は、女性から自らの真のアイデンティティや人権を剥奪する事の上に成り立っているという結論が導き出せます。

 

 

 

フェミニズム運動は、平等の原則を基盤としています。もっとも、この運動が引き起こした大きな過ちの1つは、女性と男性の類似性を、彼らの本来的、精神面での違いを度外視したままとらえていることにあり、これはある種の差別や侮辱、そして女性に対する別の形での圧制につながります。

この問題の理由は、片親のみの世帯や倫理面での乱れの増加、非嫡出子の出生数の増加、家計の維持や仕事と家庭の両立を迫られてのプレッシャーによる、女性の間のうつ病の増加を物語っている、先進国の政府の法的・刑事機関、医療センターによる報告に見て取れます。現代のイランの哲学者、モタッハリー師はこの点を指摘し、次のように述べています。

「フェミニズムは、女性が女性であるがゆえに暴虐を受けているという判断を下す事には成功したが、女性をその本来的なルートから外してしまった。それは、男女が2つの異なる軌道上を動く2つの星のようなものであり、そのいずれも別々の軌道上を動く必要があるからである。西側社会に不快な要素をもたらしたのは、自然の法則や本質的な掟に反する運動以外にない」

 

このため、現代の西洋世界では、女性は平等の要求を叫んでいるにもかかわらず、偉大なる神の預言者たちが女性に秘められた目に見えないものに気づかせ、女性を解放したという事実に気づいています。

現実には今日、西側諸国の女性の一部はより多くの自由を手にしたものの、彼女たちのそばで安らぎ与えてくれる男性の支援を失っています。男性と女性がそろってこその安らぎと平穏は、神からの贈り物であり、この贈り物は男性による支援や女性の優しさ、情愛と理性の融合、そしてあらゆる分野における人間的な協力のもとで得られるものなのです。