コーラン、第7章アル・アアラーフ章高壁(1)
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コーラン、第7章アル・アアラーフ章高壁
今回は、コーラン第7章アル・アアラーフ章高壁についてお話しましょう。
「慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において」
アル・アアラーフ章はイスラムの預言者ムハンマドがメッカからメディナに移住する前にメッカで下され、全部で206節あります。
アル・アアラーフ章の前半の節は、信条に関する問題が述べられています。また、人間の創造の物語を説明した節、人間に警告を与える節、神が人間を導く上で、人間から取り付けた約束に関する節があります。この章は、唯一神の信仰と善行から逸脱した民の失敗と、真に敬虔な人々の成功を示すために、いくつかの過去の民や預言者の運命について述べています。そしてこの章の終わりでも、一部の信条的な問題に触れています。
「慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において。アリフ、ラーム、ミーム、サード。これは汝に下された書物である。そこから不愉快な思いを抱いてはならない。それは汝が敬虔な人々に畏れを抱かせ、訓戒を与えるためである」
この節は、預言者を慰め、次のように語っています。「コーランの節は神からのものであるのだから、いかなる不安も抱いてはならない。汝が背負っている重大な使命に対しても、また頑なな敵たちが、コーランの真理に対して見せるであろう反発に対しても、不安になる必要はない」
アル・アアラーフ章の第11節には次のようにあります。
「我々はあなた方を創造し、それから形を与え、それから天使たちに、『アーダムに向かって平伏しなさい』と言った。彼らは平伏したが、イブリースだけは、平伏す者の中には入らなかった」
預言者アーダムの物語は、第2章アル・バガラ章雌牛と、それに続くいくつかの章でも述べられていますが、この章の第11節から27節で、この物語が完成されています。コーランは、これらの節の中で、神がアーダムを創造したこと、そして人間の気高い地位を表すために、天使たちに、彼の前に平伏すよう命じました。天使たちがアーダムに平伏したのは、アーダムを称賛したためではありません。称賛は神のみのためのものです。平伏すことを意味する「サジダ」という単語は、ここでは謙遜を意味します。つまり、天使はアーダムの偉大さの前に謙虚になっているのです。全員が平伏しましたが、イブリース・悪魔だけは頭を垂れませんでした。神はイブリースが命に従わなかったことを非難し、次のように語っています。
「彼は言った。『何が原因で、あなたはアーダムに対して平伏さず、私の命に従わなかったのか?』 彼は言った。『私は彼よりも優れている。あなたは私を火から創造し、彼を土や泥から創造した』 神は言った。『そこから落ちるがよい。あなたはそこに留まり、高慢になる資格はない。立ち去るがよい。あなたは卑しむべき者の一人である』」

このように、神はイブリースが無意味に高慢になっていたため、神に近い地位から追い払いました。この2つの節は、悪魔がそれまでの地位を追われたのは、高慢になったためであることを示しています。悪魔はこのような高慢さによって、自分のことを、しかるべき地位よりも上にあると考えてしまいました。そのため、アーダムに対して平伏すことを拒んだだけでなく、神の英知と知識を否定し、神の命に背き、とうとう自らの地位を追われたのです。イブリースは神に対し、最後の審判の日まで猶予を与えてほしいと頼み、神もそれを受け入れました。イブリースは、「私は人間を、あなたの正しい道から逸脱させてみせる」と誓いました。こうして、イブリースは、人間を誘惑する機会を得たのです。
重要なのは、人間が、悪魔に対して守る手段を持たないわけではない、ということです。人間には様々な可能性が与えられており、それらを利用して、悪魔の囁きを逃れ、幸福の未知を歩むことができます。人間は、自らの知性と理性を利用して、悪魔の誘惑を防ぐことができます。人間の成長を望む気持ちや清らかな本質もまた、人間を幸福に導く要素です。さらに、よい知らせをもたらす天使や預言者たちも、悪魔の誘惑からの解放を求める人間たちを助けます。
アル・アアラーフ章高壁の第19節から先は、また別のアーダムの辿った運命について述べています。神はアーダムとその妻、ハッワーに、天国に住むよう命じました。このとき、神は、アーダムとハッワーにある義務を課しています。
「アーダムよ、あなたは楽園で妻を選ぶ。それからどこでも好きな場所から食べなさい。だが、この木に近づいてはならない。そうすれば、圧制者の一人になるであろう」
ここで、かつての地位を追われた悪魔は、アーダムに復讐するため、アーダムとその妻を誘惑しようとし、彼らに様々な罠を仕掛けます。悪魔はアーダムとハッワーにこのように言いました。
「あなた方の神は、あなた方にこの木を禁じられた。[もしこの木の実を食べれば]あなた方は天使となるか、[楽園で]永遠の生を手に入れるためである」
悪魔は彼らに対し、「私はあなたたちのためを思っている」と誓います。そして、この悪魔の誘惑は成功し、アーダムとハッワーは、悪魔の罠にかかってしまいます。彼らは禁じられた果実を食べてしまい、服従の徒となり、神の楽園から追われてしまいました。
アーダムの物語は、この世界における人間の生活の様々な点に触れています。この世界の喧騒に溢れた生活の中で、人間は、心の欲望と理性の間で葛藤しています。偽りを主張する人々は、常に誘惑や欺瞞によって、人間の理性に幕をかけ、その人を当惑させ、正しい道を外れさせようとします。利己的な人々の誘惑に屈することは、人間の体から敬虔さという衣をはぎとり、物質的な生活の苦難の中に陥らせます。神はアーダムが辿った運命について述べた後、この節以降で、アーダムの子孫のために建設的な計画を述べ、人間が悪魔に欺かれないようにしています。この章では、アーダムの子孫に対して、何度もこのように語りかけられています。例えば、第26節には次のようにあります。
「アーダムの子孫よ、あなた方が体を覆い、あなた方の飾りとなるよう、我々は着る物を送った。敬虔さという着物はよりよい。それらは[皆、]神のしるしである。恐らく彼らは訓戒を受けるであろう」
普通の人が忘れがちな事柄の一つは、現世の生命の終わり、つまり死です。普通の人間が死を迎えるだけでなく、人間の文明や共同体もまた、終わりを迎えます。歴史の中で現れた偉大な文明の多くが、その後、圧制や腐敗、堕落によって衰退していきました。富や権力の持ち主は、大抵、自分たちの富や力は決してなくなることはないと考えていますが、神は第34節でこのように語っています。
「あらゆる共同体には死と終わりがある。そこで、いつでも死が訪れたとき、それをたとえ一瞬たりとも遅らせたり、早めたりすることは不可能である」
この章の第44節から50節は、天国の人々と地獄の人々の会話、そして、天国と地獄の間にあるアアラーフという場所について語っています。第44節には次のようにあります。
エ「天国の人々は地獄の人々を呼んだ。『私たちは神からの約束が全て真理であることを悟りました。あなた方にとっても主からの約束は真理でしたか?』 彼らは言う。『その通り。[全ては真理であった]』」
アアラーフという言葉は、「高い場所」を意味し、この章の中では2回出てきます。この高い場所は、天国と地獄を遮り、その2つの間を隔てています。この場所によって、天国と地獄にいる人が互いのことが見えないようになっています。しかし、彼らは互いの声を聞くことができます。アアラーフ・高い壁の上にいる人々については、いくつかの点に触れておかなければなりません。彼らは天国も地獄も臨め、2つのグループの人々を目にすることができます。アアラーフの人々は、様々な理由によって、まだ天国に入っていないものの、そこに入ることを望む人たちです。天国の人たちを見れば、彼らの平安を祈り、彼らと共にあることを望みます。一方で、地獄の人々を見れば、彼らの運命を恐れ、神に助けを求めます。第46節と47節には、これについて次のようにあります。
「[天国と地獄の人々、]この2つの間には隔たりがあり、高い壁の上には、その姿によってどちらであるかを知る人々がいる。彼らは天国の人々に向かって、あなた方に平安あれと言う。彼らは楽園に入ることを望んでいるが、そこに入ってはいない。また地獄の人々の方を見ると、彼らは言う。『主よ、私たちを圧制者の仲間にしないでください』」
このとき、アアラーフの人々は、姿によってそれと分かる地獄の人々に向かってこう言います。「現世で、財産や富、嫌悪を集め、真理に対して高慢になった結果、あなたたちは何の利益も得なかった。あれほど利己的で高慢であった結果、あなたたちは何を得たのだろうか?」 そして、彼らのこのようなやり方を非難しています。
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