中庸であること
今回は、人間の可能性や才能の調和のとれた成長、すなわち中庸であることについてお話することにいたしましょう。
前回は、人間の魂の健康の主な基準が、現在よりもさらに神に近づく事であり、すべての指標がこの基準に基づいて決定されることについてお話しました。魂の健康は、人間の自分自身、神、社会、自然との4つの関係に左右されるとともに、一定のバランスや比率を維持しながら互いに密接に関係しあっています。本日は、本当の意味での人間としての完成が、その人に秘められたいろいろな可能性や能力の、調和の取れた発展にあることについて説明してまいります。
言い換えれば、人間の持つ様々な能力や可能性は、互いに連携しバランスが取れている必要があるということです。イスラムでは、このように比率よくバランスが取れていることは「中庸で穏健であること」と定義されています。そうでない場合には、アンバランスな人格が出来上がり、その人の内面の様相は風刺や漫画のようなものとしてイメージされます。
イスラムの視点では、完成度の高い人間とはあらゆる領域においてもっともバランスの取れた人格を持つ人とされています。現世や来世における様々な事柄に対し、均整の取れた中庸な精神を持っていることは、イスラムでも望ましいものとして受け入れられています。政治や社会の問題においても、極端で過激な思想や言動はマイナスの反響を招き、多くの場合において問題を生み出します。
このため、神は人類に対し、完成度を高めて神に近づき、現世と来世の双方において幸福を得て、肉体と精神の健康を確立するために、中庸であることを人生の目標にすえるよう求めています。
魂の健康を確立する方法の1つは、バランスを保ち中庸であることです。これを妨害するのは、過激で極端な考え方や言動です。
極端な思想や行動に走ることは、行き過ぎにつながり、その逆もあります。すなわち、多くの事柄において極端であることは行過ぎた言動を伴います。さらに、行過ぎた言動が極端さを生み出すこともあります。こうした悪のプロセスにより、人間は動揺し、安定感を失います。このため、両極端の間における中道が確定するまでは、完成の極致を目指すことはできないのです。
中庸でバランスがとれていることにより、生活が健康的なものとなり、困難やトラブルがなくなります。シーア派初代イマーム・アリーは、中庸というメッセージをもたらし、自らが中庸である事の見本であった預言者ムハンマドについて、「神の預言者の言動は、バランスのとれた中庸なものであった」と述べています。
イスラムの預言者は家庭や社会において、さらには政治や行政にあたって行動する際、また敵との戦いの場においても中道を守り、あらゆる事柄において極端さや過激な言動を慎んでいました。また、イスラム共同体に対し、彼自身を手本として、日常生活も中庸であるよう強調しています。このため、預言者ムハンマドは常に、次のように述べています。
”人々よ、常に中庸であれ”
すでにお話したように、個人的、社会的なトラブルや本筋からの脱線の多くの根本的な原因は、中庸の原則を守らない事にあります。そもそも、理性の本来あるべき姿は中庸であり、無知の根幹はアンバランスだと言えます。すなわち、理性的な人はバランスがとれ中庸であり、物知らずな人はバランスの取れていない人ということになります。
宗教の教えにおいては、こうした中庸の原則を守らない人は物知らずな人とされています。イマーム・アリーは、物知らずで無知な人をこのように解釈しており、次のように述べています。
"無知な人を見るがよい。彼はまず例外なく、両極端に走っている”
アラビア語では、バランスが取れていることや中庸であることは、「真ん中」を意味する言葉で表されます。この言葉の意味の1つは、両極端から離れていることです。これについて、神はコーラン第7章、アル・アアラーフ章、「高壁」第31節において次のように述べています。
”飲み、食べなさい。だが、限度を超えてはならない。誠に、彼は浪費する者を愛されない”
このように、人間は、生命を維持するための飲食においても、あらゆるものを必要十分な量だけ活用すべきであり、決して浪費に走ってはならないのです。
生活において中庸を守ることは、消費の質ではなく、量に関するものです。すなわち、使い方や消費の方法において中庸や節度を守らない人は、実生活において常に極端に走っていることになります。こうした人は決して、人生における喜びや達成感を得られず、もうこれで十分だと感じる事ができません。また、人生における自分の努力は無駄だったという虚無感にさいなまれ、常に方向を見失ったままさまよい、破滅の危険にさらされます。
傲慢さや嫉妬心、吝嗇、浪費といった魂の健康の支障となるモラルに反した言動の多くはすべて、中道から外れて極端に走った社会に現れる結果だと言えます。
最後に、次の事をお話しておきたいと思います。それは、人間の考え方や物事の捉え方は、その人の言動に大きく影響するということです。すなわち、神への信仰心と行動が両立し、極端に走らなければ、その人はたとえ危機的な状況に陥っても、信条面で動揺したり、ためらいを感じる事はありません。
このような考え方により、その人のモラルにかなった側面が中庸に維持され、魂の健康の維持とともに、社会における精神的な健康の確立と維持に向けて、他人に接する際にもイスラムにそった礼儀や節度が守られることになります。このため、魂の健康は、人間と自分自身、人間と神、はたまた人間と社会や自然との関係にかかっているのみならず、これらの相互間のバランスにも関係しています。極端や過激な要素を回避する事で、人間がバランスのとれた成長を遂げる下地が作られるのです。
次回もどうぞ、お楽しみに。