コーラン、第15章ヒジュル章ヒジル(4)
今回も引き続き、コーラン第15章ヒジュル章ヒジルを見ていくことにいたしましょう。
慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において
ヒジル章は、楽園について述べた後、神の偉大な2人の預言者、イブラヒームとルートの物語を語っています。これらの節は、神の天使が、見知らぬ客人として、イブラヒームに子供の誕生と言う吉報を伝えるため、またルートには、天からの災難が降りかかると宣言するために、この2人の預言者のもとにやって来る出来事を語っています。これらの節は、イブラヒームとルートが、天使たちと交わす会話を述べています。ルートの民は、同性愛という醜い行いと罪に陥り、道徳的な逸脱に走っていました。その結果、彼らには厳しい責め苦が下り、彼らの辿った運命は、歴史の中で、他の民たちにとっての教訓になったのです。
これらの物語の後、ヒジュルの民の物語が、第80節から84節で述べられています。ヒジュルの民は、ヒジュルという土地で豊かに暮らしていた反抗的な人々で、彼らを導くために、預言者サーレハが遣わされました。しかし彼らは、神の預言者を否定していたのです。一部の歴史家の記述によれば、この町は、メディナと、現在のシリアにあたるシャームの間にありました。現在、この町の痕跡は残っておらず、歴史に葬り去られています。この土地では、現世の生活の豊かさを求めて努力する民が暮らしていました。彼らが暮らす場所は、山岳地帯にありました。彼らは豊かな富と、進歩した物質的な文明を有し、その富によって、山の中に、洪水や嵐などの自然災害にも耐えうるような、安全で強固な家を作っていました。一方で彼らは、道徳的に退廃した人々でした。神は、彼らを改め、導くために、預言者たちを遣わしましたが、彼らは物質的な豊かさにどっぷり浸かり、富や財産を誇っていたため、神の命と、預言者たちの導きに背を向けていました。彼らは、神の節を聞こうとさえ、しませんでした。そして、この節を嘲笑し、堕落と反抗に陥ったため、神の怒りを買ってしまったのです。
コーランは次のように語っています。「とうとう、朝に天の叫びが彼らに下った。この叫びは、稲妻の轟きであった。彼らの家は崩れ落ち、彼らの魂のない遺体が地面に倒れた。天にそびえる山々も、安全な家々も、この反抗的な民の溢れるような富も、彼らにとって何の約にも立たず、彼らを神の責め苦から救うことはなかった」
ヒジュル章の終わりの幾つかの節は、イスラムの預言者ムハンマドの公の導きについて語っています。第94節と95節には次のようにあります。
「[預言者よ、]汝が使命とする事柄を明らかにし、多神教徒に背を向けるがよい。まことに我々は、嘲笑する者に対して汝を十分に守るだろう」
イスラムの預言者は、3年間、密かにイスラムの布教に努めます。しかし、この跡、神から、公然と多神教徒を導き、宗教の審理をはっきりと述べ、多神教徒に背を向けるように、という命じられます。とはいえ神は、預言者の心を強化するため、嘲笑する者たちに対して、預言者を支援すると約束します。神はこのように語っています。「我々は嘲笑する者に対して、汝を守るであろう。神と同等に別のものを配する人々は、まもなく、その行いの結果を見ることになる。我々は、彼らが言うことに、汝が心を痛めているのを知っている。だが、心を痛めてはならない。彼らの醜い言葉の影響を取り払うため、汝の主を称賛しなさい。そしてその清らかな本質の前に平伏しなさい。なぜなら、神への称賛と崇拝は、汝に力を与え、神との結びつきを強固なものにし、汝の意思を強くするだろう。汝はここで、これからの危険を伴う任務を遂行する中で、神のみを支えにするべきである。神は間違いなく、汝の援護者である」
歴史の中で、偽りは常に真理に抵抗し、それを戯言と捉えてきましたが、真理の支持者は、神を支えにし、神を称賛して崇拝し、神の無限の力に助けを求め、偽りに対抗しているのです。