May 22, 2018 22:51 Asia/Tokyo
  • コーラン第33章アル・アハザーブ章部族同盟、第56節
    コーラン第33章アル・アハザーブ章部族同盟、第56節

今回もコーラン第33章アルアハザーブ章部族同盟を見ていくことにいたしましょう。

慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において

 

これまで2回に渡り、アルアハザーブ章を解説する中で、アハザーブの戦いとそれにまつわる出来事についてお話ししました。また、イスラムの預言者ムハンマドの妻たちの地位、その状態や、妻としてすべきこと、してはならないことも、この章で述べられている事柄です。

 

今回は、この章の別の箇所を見ていくことにいたしましょう。

 

ジャアファル・イブン・アビーターリブの妻、アスマーは、夫と共にエチオピアから戻る際、イスラムの預言者ムハンマドのもとに行って言いました。「女性たちは損害を蒙っています。イスラムとコーランでは、男性について述べられている美徳が、女性については述べられてはいません」 そのとき、アルアハザーブ章の第35節が下され、男女の努力は平等だとし、神にとっては、男性も女性も同等の地位を有しているとしています。

 

「イスラム教徒の男性とイスラム教徒の女性、敬虔な男性と敬虔な女性、神に従う男性と神に従う女性、正直な男性と正直な女性、忍耐強い男性と忍耐強い女性、謙虚な男性と謙虚な女性、施しをする男性と施しをする女性、断食をする男性と断食をする女性、清らかな男性と貞節な女性、神のことを多く想い起こす男性と、神のことを多く想い起こす女性、神は彼らのために大きな報奨を用意されている」

 

人間の生活には、神のことを忘れさせるような要素がたくさんあり、あらゆる方向から悪魔のささやきの矢が飛んできます。そのため、それと戦う最良の方法は、常に神に注目することです。アルアハザーブ章の第41節と42節には次のようにあります。

 

「信仰を寄せた人々よ、神の名を多く唱えなさい。また朝に夕に神を賛美し、その清らかさを称賛しなさい」

 

そう、神の僕は、どのような状態にあっても神のことを想い起こし、神を称賛することで、生活環境を明るく光りあるものにします。とはいえ、神を想い起こすこととは、単に神の名を唱えることに限られません。そうではなく、どのような行動においても、神の満足を考えることを指します。言い換えれば、真の意味での神を想い起こす行為とは、罪を犯さないことです。明らかに、神を想い起こすことには多くの効果や恩恵があり、それによって得られるのは、神の特別な慈悲です。それは敬虔な人間を、悪魔のささやきや欲望、圧制から救い、確かな光りへと導きます。伝承には次のようにあります。「人間の魂は鉄のように錆びるが、神のことを想い起こすことは、それを磨いて輝かせる手段である」 とはいえ、それを常に欠かさず行うことによってはじめて、その効果が見られます。

 

アルアハザーブ章の第42節は、神は天使たちと共にあなたたちに挨拶をし、あなたたちが暗闇から光りへと導かれるようにする人であるとし、それは神が敬虔な人々に寛大であるためだと述べています。

 

アルアハザーブ章の第45節と46節は、イスラムの預言者ムハンマドの社会における地位と役割に触れています。預言者ムハンマドは、共同体の行動の証言者であり、彼らの行いを目にしています。預言者は、善を行う人に神の無限の報奨と永遠の幸福を知らせ、また不信心者や偽善者には、神の痛ましい責め苦を恐れさせます。預言者は、人々を神へと導き、暗闇を照らすともし火です。

 

コーラン第33章アル・アハザーブ章部族同盟、第56節

 

原則的に、預言者ムハンマドの存在は、社会を活性化させ、道徳と信仰を成長させる源です。アルアハザーブ章の第56節は、「預言者への敬意と称賛の方法に触れ、次のように述べています。「預言者は非常に優れた地位にあり、創造主である神と、この世界の扱いを担う全ての天使たちが、彼に挨拶をする」 そのようであるから、あなた方も、この創造世界のメッセージに調和し、彼に挨拶をし、彼の命に従いなさい」

 

「まことに神と天使たちは預言者に挨拶をする。信仰を寄せた人々よ、あなた方も彼に挨拶をし、彼の平安を祈りなさい。それは服従を伴った挨拶である」

 

 

噂を広めたり、心理戦を行ったりするのは、大きな社会問題であり、メディナの社会にも広まっていた事柄です。この悪しき現象に預言者ムハンマドは非常に苦しめられていました。そのため、コーランは人々に対し、このような相応しくない行いをやめ、敬虔さを保ち、真理の言葉を発するよう求めています。なぜなら、敬虔さは、言葉の改善と真理の言葉の源であり、真理の言葉は、人間の行動を改めるのに効果的な要素であるからです。

 

アルアハザーブ章の第72節は、人間は神から様々な能力や特徴をあずかっています。人間は、大きな能力を持つ存在であり、地上における神の後継者となりえ、内面を浄化し、知識を得ることで、栄誉ある位に達することができます。このような能力は、自由な意志を伴ったもので、人間は自分の意志により、その道を歩みます。天と地、山々は、神の知識を有しています。それらは神を称賛し、神の偉大さを前に頭を垂れます。とはいえ、それらは皆、強制的なものです。しかし人間は、自分の意志によって、無限に頂点を目指すことができる、唯一の存在です。なぜなら神は、天と地の存在物のいずれも持たないような、特別な性質や特徴を人間に与えているからです。その特徴とは、神から預かったものであり、人間にはそれに対する責任が発生します。しかし、多くの人は、その預かり物に対して裏切りを働き、神の望みとは反対の道にそれを利用します。彼らは、理性や意志を誤った道に使い、そのために、不公正や圧制の拡大を招きます。このことから、人間の行動は、愚かで圧政的だといわれるのです。