6月 06, 2018 20:07 Asia/Tokyo
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今回も、コーラン第63章アル・ムナーフェグーン章似非信者たちについてお話します。

慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において

 

アル・ムナーフェグーン章は全部で11節あり、メディナで下されました。この章では、似非信者、偽善者たちについて述べられています。

 

アル・ムナーフェグーン章の内容は、偽善者たちの特徴、敬虔な人々が偽善者の陰謀から守られていること、現世の物質的な恩恵によって神を忘れてはならないという敬虔な人々への警告、死が訪れる前の神の道における施しの勧めとなっています。

 

 

アル・ムナーフェグーン章の第4節は、この章の最初の数節で、偽善者のさらなるしるしを提示しています。

 

「汝は彼らを見るとき、その肉体や表面は[飾られており、]汝を魅了するだろう」

 

コーランの節は、偽善者が表面を飾っていることに触れています。また、非常に魅力的な言葉を発します。

 

「もし彼らが言葉を発するとき、汝はその言葉に耳を傾けると、それは支えとして壁に立てかけられた乾いた木のようである」

 

偽善者の見かけは魅惑的ですが、彼らに中身はありません。彼らは表面的には落ち着いているように見えますが、常に恐怖と不安を抱いています。彼らの心の中に、明るさや光はありません。偽善者は、正しい信仰と確固たる決意を持っておらず、壁に立てかけられた乾いた木のようです。コーランはこの後、偽善者の心理的な特徴について触れ、「彼らは中身がなく、神に頼ってもおらず、自分に自信がない」とし、次のように語っています。

 

「彼らはあらゆる叫び声を、自分たちに対するものだと考える」

 

偽善者の心は、常に恐怖に覆われており、疑いや悲観的な考え方が、彼らの魂を包み込んでいます。

 

アル・ムナーフェグーン章の第4節は、最後に預言者に警告しています。「彼らは真の敵である。だから彼らから遠ざかりなさい。神が彼らを殺すように。彼らは[あれほど多くの明らかなしるしを見ながら、]どうして真理から逸脱するのだろうか?」 偽善者たちは、真の敵です。なぜなら、偽善者は社会で生活しているためにイスラム教徒の秘密を知っており、彼らの正体が分からないため、彼らと対抗することは、さらに難しさを増すからです。

 

アル・ムナーフェグーン章の第5節から8節は、偽善者たちの別のしるしや行動に触れています。第7節は、偽善者たちのこのような言葉を明らかにしています。「神の預言者ムハンマドと共にいる人々に施しをしてはならず、自分の財産を彼らに与えてはならない。そうすれば彼らは預言者に不満を抱き、預言者のもとから去るだろう」 天と地にあるすべてものは神からのものです。しかし偽善者たちはその事実を理解していません。彼らは、誰でも手にしているものは神から与えられたもので、誰もが神の大きな恩恵から日々の糧を与えられているという事実を理解していないのです。

 

歴史には次のようにあります。預言者ムハンマドは、ある戦いの後、軍勢と共にメディナに戻りました。そのとき、偽善者たちの有名な指導者の一人も、この軍勢と一緒でした。道の途中、2人のイスラム教徒の間で争いが起こりました。偽善者の指導者は、そのうちのメディナ出身の人物の肩を持ち、周囲の人にこう言いました。「あなた方はメディナに移住してきたメッカのイスラム教徒を助け、自分たちの町に彼らを受け入れ、その財産を彼らと分割した。それなのに彼らはあなた方と対立している。あなた方が彼らに親切にしていなかったら、彼らはあなた方に対してこのような厚かましい態度に出ていなかっただろう」 この指導者は続けて、もしメディナに戻ったら、卑しい人々を追放すると誓いました。彼の言葉は、「自分たちメディナの住民は、神の預言者ムハンマドと、メッカから移住してきた敬虔な人々を追放する」という意味を持つものでした。この指導者の対立を生じさせる言葉が、預言者の耳に届けられました。預言者はこの偽善者たちの指導者を自分のもとに呼びつけました。しかし、彼は預言者の前で、すべてのことを否定しました。コーランはこの節の中で、この指導者を強く非難しています。こうして、自分を気高い人間と考えていたこの指導者は不名誉を蒙り、辱められたまま、亡くなるまで表舞台に立つことはありませんでした。

 

アル・ムナーフェグーン章の第8節には次のようにあります。

 

「誇りは神とその預言者、そして敬虔な人々のみのものである。だが偽善者たちは知らないのだ」

 

この節が伝えているのは、このような考え方、つまり、自分を気高い人間、他人を卑しい人間と考えるのは、偽善者の特徴であり、それは高慢さからくるのだ、ということです。もし偽善者が、世界に存在するすべてのものは神のものだと考えていたら、このような愚かな考え方を持つことはなかったでしょう。           

 

偽善の大きな理由のひとつは、現世への執着、財産や子孫への過剰な関心です。アル・ムナーフェグーン章の第9節は、敬虔な人々に、現世に必要以上に執着すべきではないと忠告し、次のように語っています。

 

「信仰を寄せた人々よ、財産や子孫のことを考えるあまり、神を忘れてはならない。まことにそのようなことをする人々は、損害を蒙る人々である」

 

 

財産や子孫は、確かに神の恩恵ですが、神の道と幸福の実現のために利用されるべきものです。そのため、財産や子孫、その他の物質的なものに過剰な愛情を注ぎ、人間と神の間に隔たりができれば、それは最大の損害と見なされます。           

 

アル・ムナーフェグーン章の第10節は、神の道における施しとその重要性に触れ、次のように語っています。

 

「あなた方に死が訪れ、『神よ、施しをして善良な者の仲間になれるよう、少しの間、私の死を遅らせてくれなかったのですか』と言うようになる前に、我々があなた方に日々の糧として与えたものの中から、施しなさい」

 

(了)