コーラン第66章アッ・タフリーム章禁止(1)
-
コーラン第66章アッ・タフリーム章禁止
今回は、コーラン第66章アッ・タフリーム章禁止についてお話しましょう。
慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において
アッ・タフリーム章はメディナで下され、全部で12節あります。
アッ・タフリーム章で述べられているのは、イスラムの預言者ムハンマドと、その何人かの妻との出来事に関する問題です。この他、敬虔な人々への勧告、家庭の教育への強調、罪を犯した人の、罪の悔悟の必要性、不信心者や偽善者との戦い、善良な女性2人とそうではない女性2人の状態、預言者の妻たちへの警告といった事柄が述べられています。
アッ・タフリーム章の最初の数節は、イスラムの預言者ムハンマドが、合法的な行動を自分自身に禁じたことが述べられています。その理由は、一部の預言者の妻による不当な抗議にありました。アッ・タフリーム章が下されたのは、預言者の一部の妻が、言葉によって預言者に不快な思いをさせていただけでなく、誠実な妻の最も重要な条件である“秘密を守る”という原則をも守っていなかったためです。
預言者ムハンマドの2人の妻は、預言者が他人に知られるのを望んでいなかったことを明らかにし、自分の目的を果たすために陰謀を企てました。この出来事は、預言者の清らかな心を苦しめ、預言者はこれに対し、一部の満足を自分自身に禁じました。アッ・タフリーム章の最初の節は、そのような預言者を擁護し、2人の預言者の妻を非難する内容で下され、「預言者ルートやヌーフの妻は、夫を裏切ったために地獄の業火に焼かれた。イスラムの預言者ムハンマドの妻も、預言者の妻だからといって、地獄に行かなかったり、天国に入ったりすることを考えてはならない」と警告しています。
イスラムの偉大な預言者ムハンマドは、世界的な人物であり、その存在はイスラム社会、ひいては人類全体に属するものです。そのため、もし、たとえささいなものであっても、預言者の家の中で陰謀が企てられれば、それを簡単に見過ごすことはできません。アッ・タフリーム章の第1節で、神は預言者の名誉を守るため、彼にこのように語っています。「預言者よ、なぜ、神が汝に合法として許しているものを、妻たちの満足のために自分自身に禁じるのか?」 この節は続けて、次のように語っています。「誰も、神が合法とするものを禁じたり、神が禁じるものを合法としたりする権利はない。法を定めるのは神のみである」
アッ・タフリーム章の第5節は、預言者の妻たちに語りかけています。
「預言者から離婚を言われることはない、などと考えてはならない。また、もし離婚されても、自分たちより優れた妻などいるわけがない、などとも考えるべきではない」
この節で、コーランは、よき妻の性質として、「イスラム教徒であること、敬虔なこと、謙虚あること、罪を悔悟すること、信心深いこと、移住すること」の6つを挙げています。これらの特徴は、全てのイスラム教徒にとって、配偶者を選ぶ際の基準となりうるものです。
アッ・タフリーム章の第6節は、家庭の重要性について、全ての人間に対し、家族に対して責任感を持つこと、家族の思想的、精神的、文化的、道徳的、社会的な成長のために全力を尽くすことを呼びかけています。この節は次のように語っています。
「信仰を寄せた人々よ、自分と家族を、人間と石を燃料とする業火から守りなさい」
善を勧め、悪を退けるという原則は、全てのイスラム教徒が互いに対して有している義務です。しかし、この節から分かるように、人間は、特に妻や子供に対して、より重大な責任を負っており、可能な限り、彼らの教育に努めなければなりません。彼らの罪を防ぎ、善へと導き、彼らに物質的な可能性を与えるだけで満足すべきではありません。
社会は、家庭という小さな単位の集合体です。そのため、この小さな単位が改善されれば、社会全体が健全性へと導かれます。その責任は、第一に、両親にあります。特に、堕落という危険が広がる現代において、信仰を持つ人間は、罪から遠ざかり、道徳と礼儀を身につけ、自己形成という大きな責任と共に、家族や家庭、親類のことも考える必要があります。そして彼らをも、道徳的な教えによって罪や醜さ、堕落の炎から救う必要があります。
この節が下されたとき、預言者の教友のひとりがこう尋ねました。
「自分の家族をどのように業火から守ったらよいのでしょう?」
すると預言者はこう答えました。
「彼らに善を勧め、悪を否定しなさい。彼らが受け入れたら、それは地獄の業火から彼らを守ったことになる。もし受け入れなくても、あなたは自分の使命を果たしたことになる」
次回のこの時間も、アッ・タフリーム章を見ていくことにいたしましょう。