コーラン第70章アル・マアーレジ章昇る道(1)
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コーラン第70章アル・マアーレジ章昇る道
今回は、コーラン第70章アル・マアーレジ章昇る道を見ていくことにいたしましょう。
慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において
アル・マアーレジ章はメッカで下され、全部で44節あります。
この章では、最後の審判の特徴、それが起こる前の出来事と、その日の不信心者の状態、天国に行くよい人間と、地獄に落ちる悪い人間の性質、多神教徒や否定者への忠告、そして復活の問題について述べられています。
イスラムの預言者ムハンマドは、最後のメッカ巡礼で、ガディールホムの日、アリーを自身の後継者に任命し、彼について次のように語りました。「誰でも私を主人とする者は、アリーを主人とする」
この出来事は、すぐに各地に伝わりました。それを聞いたノウマン・ビン・ハーレスという人物は、腹を立ててすぐに預言者のもとに行き、言いました。「あなたは、神が唯一であることと、あなたが神の預言者であることを証言するように指示した。そして私たちもそれを証言した。また、ジハード・神の道における戦いとメッカ巡礼、断食、礼拝、喜捨を命じた。そして私たちもそれらを受け入れた。それでもなお、あなたは満足せず、このアリーという若者を自分の後継者とした。それはあなたが決めたことか、それとも神が決めたことなのか?」 預言者ははっきりと言いました。「唯一の神に誓って、これは神からのものです」
ノウマンは、信じられない様子で顔を背け、言いました。「神よ、もしこれが本当で、それがあなたからのものであるならば、天から石を落としてください」
すると、彼の頭上に空から石が降り、彼は死んでしまいました。そのとき、アル・マアーレジ章の最初の数節が下されました。
「ある者が、実現可能な責め苦を求めた。[その責め苦は]不信心者に特別なものである。それを防ぐものはない」
コーランは、このような節により、神の責め苦は必ず実現され、不信心者のみに下されるものであり、それを妨げるものは何もないとしています。アル・マアーレジ章の第3節と4節では、この責め苦を下す神に触れ、次のように語っています。
「[この責め苦は]高い地位を有する神からのものである。天使たちと精霊は、5万年という長さの日に神へと昇る」
明らかに、天使たちの昇天が意味するのは、肉体的なものではなく、精神的なものです。つまり、彼らは神に近づこうと急ぎ、最後の審判のその日、神の命を実行しようとします。この節で“精霊”が意味しているのは、大天使ジブライールです。この節で彼の名が出てくるのは、他の天使たちの中でも、ジブライールが特別な地位を有しているためです。この節によれば、最後の審判の日は5万年です。言い換えれば、その日は、現世の年月の計算に従うと、5万年分になるのです。一部の解釈者は、5万年という表現によって、それが非常に長いものであることを示しているとしています。
アル・マアーレジ章の第8節と9節は、最後の審判の始まりに関する出来事について述べています。
「その日、天は金属のように溶け、山は綿のように散らばる」
その日、天は溶けた金属のようになり、山も、強い風によって運ばれる綿毛のように、粉々になって大気中に散らばります。このような破壊の後、新しい世界が現れ、人間も新たに蘇ります。
コーランは続けて、来世で復活が起こるとき、行いに対する清算が非常に厳しく行われ、誰もが、自分が救われることを考えます。その日、どんなに親しい友人にも、助けてもらうことはできません。そこでは友人にも会いますが、罪を犯した人たちは自分のことに忙しく、他人に構っている暇がありません。そのような恐ろしい状況の中で、罪を犯した人間は、その日の責め苦を逃れるために、子供や配偶者、兄弟など、現世で常に助けてくれていた人々を身代わりにできたらよかったのにと願います。しかし、そこではいかなる救済も望めないのです。
次回も、引き続き、アル・マアーレジ章についてお話しいたしましょう。