1月 09, 2019 23:54 Asia/Tokyo
  • カーシャーンのフィン庭園
    カーシャーンのフィン庭園

今回は、イラン中部・カーシャーンにあるフィン庭園についてお話いたします。

フィン庭園は、1935年にイランの国家遺産に登録され、2011年にはユネスコの世界遺産に登録されました。

 

カーシャーンの伝統的な建築

 

カーシャーンは、テヘランから南に220キロの砂漠の傍らに位置しています。フィン一帯は、カーシャーンの周辺にある散策地の一つです。フィン庭園がある地域は、小さなフィンという名前で知られ、カーシャーンの南西に位置しています。歴史的なフィン庭園は、カーシャーンのアミールキャビール通り、フィン街道の南東の先、歴史的なソレイマーン泉の近くにあります。かつて、フィン一帯には、数多くの庭園がありましたが、中でもフィン庭園は、特に際立った存在となっていました。

 

 

カーシャーンのフィン庭園は、イランの伝統的な庭園の称賛に値する一例です。その新鮮さとさわやかな空気、そしてフィン公衆浴場とソレイマーニーエ泉の存在により、そこには、イランの庭園の様々な特長が凝縮されています。庭園が中心からシンメトリーになっていること、数多くの通路と水路があり、水路の底が青い色になっていて、たくさんの噴水が並んでおり、庭園全体に水のせせらぎが聞こえること、これらが、フィン庭園の特長です。この庭園は、サファヴィー朝時代の宮殿の例であり、ザンド朝とガージャール朝時代に、幾つかの建物が加えられました。庭園内の通路の水路の設計や水の巡る仕組み、そして青い色の噴水が、この庭園に独特の重要性を与えています。

カーシャーンのフィン庭園

 

フィン庭園の最初の建物は、イスラム以前のもので、シアルク文明と結びついています。シアルク文明は、およそ7000年の歴史を持ち、ソレイマーニーエ泉と呼ばれる、庭園の上の湧き出る泉と密接な結びつきを有しています。フィン庭園の敷地面積は、およそ2万3000平方メートルで、中に入るとすぐに、大きな建物が見えます。この部分はサファヴィー朝時代に建設されました。この建物は2階建てで、下の階は玄関と庭園につながる通路、小さな部屋があり、上の階には、広くて美しい広間があり、そこからは非常によい眺めが見られます。庭園の周りには、5メートルから6メートルの壁と7本の塔があります。

シアルク文明

 

庭園に入ると、両側に美しく背の高い杉の木が並ぶ通路があり、見る者の目を惹きつけています。この通路の中央には美しい水路があり、青い色の噴水が特別な魅力を添えています。この通路の先には、「**」と呼ばれる、2階建ての建物があります。サファヴィー朝のアッバース1世の指示で建てられたこの建物の正面には大きな池が見られ、その後ろには、底から水の湧き出る小さな池があります。2階建ての***の建物は、庭園のどこからでも入れるように設計されています。この建物の中には別の小さな池があり、興味深いデザインによって水が湧き出ています。この建物の天井や壁には、狩猟の様子や宮廷の人々を描いたサファヴィー朝時代の絵画が見られます。

カーシャーンのフィン庭園

 

庭園の奥には、壁と天井に絵画が飾られたガージャール朝の宮殿があります。キャリームハーニー邸宅は、1763年にキャリームハーンザンドの指示により、当時のカーシャーンの為政者であったアーガー・サリーム・アーラーニーの尽力によって建設されました。この建物には、互いに通じ合った幾つかの部屋と中庭、小さな花壇があります。皇帝が使う部屋の前には、きれいに並んだ複数の穴のある美しい池があり、庭園内のソルマーニーエの泉の水が、そこに興味深い形で流れ込んでいます。フィン庭園の南側にはハンマーム・公衆浴場があり、大ハンマームと小ハンマームという名前で知られています。小ハンマームは、サファヴィー朝時代のもので、フィン庭園の最初の建物と共に建設されました。大ハンマームはガージャール朝時代のファトフアリーによって建設されました。

カーシャーンのフィン庭園

 

大ハンマームは首長や長老たちのため、小ハンマームは召使いたちが使うためのものです。それぞれのハンマームには、入り口、トルコ風呂の浴室、庭の池、浴槽、洗い場、脱衣所があります。浴場の床には、池や浴槽の水を取り替えるための水路があり、壁は、湿気がたまるのを防ぐために、砂と石灰を混ぜた資材で覆われています。大ハンマームには多くの通路があり、美しい建築を有しています。古いハンマームは、ガージャール朝の王、ナーセロッディーンシャーの時代に宰相を務めたアミールキャビールが、1852年1月に殺害された場所として知られています。

アミールキャビール

 

アミールキャビールは、宰相を務めたおよそ3年の間、社会、経済、文化の様々な分野において、効果的な措置を講じました。アミールキャビールの改革は、彼が宰相に就任してからすぐに始められ、短いながらも、それが終わるまで続けられました。アミールキャビールは、外交政策においても、依存からの脱却を図り、外国の勢力に対して利権を与えることはありませんでした。彼はダーロルフォヌーンという学校を設立し、工学、医学、その他の学問の様々な知識を学ぶための機会を、イランの若者たちに与えました。しかし、こうしたアミールキャビールの貴重な措置は、植民地主義国や堕落した王朝の関係者の怒りを招きました。そのため、彼に対して陰謀が企てられ、アミールキャビールは宰相の職を解かれた後、カーシャーンの町に追放されました。こうして、この偉大な人物は、フィン庭園の著名な浴場で、ナーセロッディーンシャーの指示により、殺害されたのです。

カーシャーンのフィン庭園

 

フィン庭園の最大の特徴は、独自の庭園装飾と、灌漑のシステムにあります。庭園の水は、ソレイマーニーエ泉から確保され、2つの特長を有しています。一つは水の量です。年間の降雨量に全く関係がなく、泉の水量は常に一定で、干ばつの年でさえ、その量に変化はありません。二つ目の特長は、水の温度です。この泉の水の温度は一年を通して25度に保たれています。そして、寒い冬には、水は温かく感じられ、暑い夏には、冷たく感じられるようになっています。庭園の灌漑システムは、サファヴィー朝時代の著名な数学者、**ジャムシード・カーシャーニーによって設計されました。彼は、パスカルよりも200年も早く、「密閉容器中の流体は、その容器の形に関係なく、ある一点に受けた単位面積当たりの圧力を、そのままの強さで流体の他のすべての部分に伝える」という原理を利用していました。  

カーシャーンのフィン庭園

 

フィン庭園の噴水は非常に興味深いものです。池の周り、そして水路の全体に、地面から1メートルの場所に管が通されています。この管は陶器でできていて、一方は池に、もう一方は水路の先につながって行き止まりになっています。一方から水が入ると、もう一方は行き止まりになっているため、途中にある噴水から水が飛び出します。そして、地面が坂道になっているため、圧力が分散されるように管の直径を調整して造られています。つまり、管の始めの方は直径が広くなっていて、圧力が分散され、それぞれの噴水から同じ量の水が吹き出るようになっているのです。

カーシャーンのフィン庭園

 

庭園の木の配列、緑の空間、花壇の配列は、チャハールバーグ様式になっています。この庭園に生えている木のほとんどは杉の木です。最も古いものは、樹齢およそ500年で、ガージャール宮殿の横にあり、地元の人々は、この木をレイリーとマジュヌーンの杉と呼んでいます。この他、イチジクやマルメロ、ベリーの木も見られます。カーシャーンのフィン庭園は、カーシャーンの最も重要な観光地であり、一年を通して、たくさんの観光客がこの公園を訪れています。

 

 

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