8月 24, 2018 18:16 Asia/Tokyo

コーラン第28章 アル・ゲサス章 物語り 第70節~第75節

慈悲深く、慈愛あまねき、アッラーの御名において

第70節

「彼こそ唯一の神であり、彼のほかに崇拝の対象は存在しない。現世と来世の賞賛は神のためのものである。大権は神のためだけにあり、あなた方は神へと帰される」 (28:70)

وَلَا تَحْزَنْ عَلَيْهِمْ وَلَا تَكُ فِي ضَيْقٍ مِمَّا يَمْكُرُونَ (70)

 

これまでの番組でお話したように、コーランの節は、創造においても、また礼拝の対象としても、神と同等に配されるあらゆるものを否定しています。この節は、神の唯一性に触れ、次のように語っています。「あなたたちに恩恵を下す上で、神と同等にある崇拝の対象が存在するだろうか?物質的、精神的な全ての恩恵は、神からあなたたちに届けられる。そのため、神のみが感謝と賞賛に値する。神のみが、現世と来世の所有者、支配者である。神以外に誰が、この偉大な世界に命令する力を持つのだろうか? 人生の終わりにも、あなたたちは神へと戻るのであって、多神教徒が崇拝する空想上の対象のもとではない」

 

第70節の教え

•           崇拝したり、ひれ伏したりするのは、人間と世界の始まりと終わりを手中に握る存在に対してのみ、ふさわしいものです。

•           全ての存在物に対する神の創造上の支配と、人間の生活に対する神の宗教的な支配、これらは、神の創造と、全ての創造物に対する所有、支配によるものです。

 

第71節

預言者よ、多神教徒たちに]言え、『もし神が最後の審判の日まで、あなた方に夜を続けられたとしたら、神以外のどの存在が、あなた方に光をもたらすか、考えたことがあるだろうか?」(28 :71)

وَيَقُولُونَ مَتَى هَذَا الْوَعْدُ إِنْ كُنْتُمْ صَادِقِينَ (71)

第72節

あなた方は聞かないのか?』 言え、『もし神が最後の審判の日まで、あなた方に昼を永遠のものとしたら、神以外のどの存在が、平穏を得る夜をあなた方にもたらすのか、考えたことがあるだろうか? あなた方は見ないのか?」(28:72)

قُلْ عَسَى أَنْ يَكُونَ رَدِفَ لَكُمْ بَعْضُ الَّذِي تَسْتَعْجِلُونَ (72)

 

第73節

あなた方に夜と昼を据え、夜は休み、昼は神の恩恵を捜し求めさせているのは、神の恩恵と恩寵である。恐らくあなた方は感謝するであろう』」(28:73)

 وَإِنَّ رَبَّكَ لَذُو فَضْلٍ عَلَى النَّاسِ وَلَكِنَّ أَكْثَرَهُمْ لَا يَشْكُرُونَ (73)

 

これらの節は、創造世界に対する神の絶対的な支配に触れ、次のように語っています。「神が地球の自転をとめれば、今、昼間である場所は、世界が終わる日までずっと昼間のままであり、今夜である場所は、世界の終わりまでずっと夜のまま留まることになる。あなたたちが崇拝する空想上の崇拝の対象には、地球を回転させ、そのさまざまな地点に夜と昼を分けることができるだろうか?あなたたちは、そのような昼と夜の巡りが、あなたたちと全ての生き物にとって、どれほど大きな恩恵であるかを考えたことがあるだろうか?」

 

太陽の光や熱が、地球の半分に到達していなかったら、間違いなく、そこにすむ生き物は滅亡に向かっていたでしょう。一方で、地球の半分が常に太陽の光と熱に晒されていたとしても、多くの生き物が耐え切れずに命を落としていたでしょう。地球の自転により、昼と夜が規則正しく入れ替わりに訪れ、日の入りの際には気温が下がり、日の出の際には気温が上がります。太陽の光と熱は、人間と全ての生き物にとって必要不可欠なものですが、夜の闇と気温の低下もまた、人間や多くの生き物が休むための環境を整えます。これは大きな恩恵ですが、注目されることはほとんどありません。

 

第71節 ~ 第73節の教え

•           創造世界と、それを支配する秩序について考えることは、神を知り、神の唯一性を信じるための最良の方法です。地球の自転、昼と夜の交替は、明らかに、神の力を示しています。

•           夜は安らぎのためであり、昼は労働と努力、活動のためのものです。

•           人々を指導しようとする際には、彼らの意識を覚醒させるような質問を利用しましょう。それによって聞き手に考えさせ、イスラムの正しさを理解させるのです。

•           人間は、さまざまな恩恵を知ることで、創造主である神に感謝します。私たちも、若者たちに神の恩恵について教え、彼らが神への崇拝をより強く望むように導きましょう。

 

第74節

[思い起こすがよい。神が]彼らに呼びかけ、このように言う日を。『あなた方が私と同等に考えていたものたちはどこにいるのか?』」 (28 : 74)

وَإِنَّ رَبَّكَ لَيَعْلَمُ مَا تُكِنُّ صُدُورُهُمْ وَمَا يُعْلِنُونَ (74)

 

第75節

我々はあらゆる共同体から、[公正で賢い]証人を立て、[多神教徒たちに]言う。『あなた方の理由を挙げなさい』 そのとき彼らは、神が正しいことを知り、彼らが作り上げていたことは消え去る」 (28 : 75)

وَمَا مِنْ غَائِبَةٍ فِي السَّمَاءِ وَالْأَرْضِ إِلَّا فِي كِتَابٍ مُبِينٍ (75)

 

コーランは再び、この章の第62節にあった質問を提起し、次のように語っています。「現世で神の代わりに人間や別のものを追い求め、自分たちの運命がそれらの手の中にあると考えていた人々は、最後の審判で尋問を受ける。彼らは、人々を導き、宗教を伝道する責務を負っていた、あらゆる共同体の預言者たちのいる前で、なぜ、預言者がおり、世界の創造主を知る可能性がありながら、空想上の別の崇拝の対象を求め、真理から手を引いたのか、その理由を述べなければならない」 これらの節は続けて、次のように語っています。「そのとき、彼らは自分の崇拝の対象が中身のないものであることを悟り、それらは何の役にも立たず、神とその預言者のみが正しい存在であることを理解する」

 

第74節~第75節の教え

•           コーランで最後の審判の場面が述べられているのは、信仰のある人々に、多神教信仰の危険は深刻であり、もし警戒しなければ、彼らもまた、多神教徒になってしまうと警告するためのものです。

•           神の預言者は、最後の審判の証人です。そのため、この審判で、神の預言者が私たちに不満を抱くのではなく、調停してもらえるように気をつけましょう。

•           多神教信仰には、確かな支えや論理がありません。

•           来世では覆いが取り払われ、真理が明らかになります。