イランのトルクメン人の慣習(音楽)
今回は、イランのトルクメン人の慣習をご紹介することにいたしましょう。
各地に様々な民族が存在することは、イランの明らかな特徴の一つです。イランの各民族はイスラムの信条の点から共通の文化を有していますが、それぞれ独自の習慣を持っており、精神性、衣装、信条、生活様式の点からそれらを理解すれば、イランの人々や彼らの風俗習慣をよりよく知ることができます。
トルクメンの人々の風俗習慣についてお話しする前に、この民族の特徴についてご紹介いたしましょう。トルクメン人の歴史については正確な情報がありません。歴史書や旅行記などから得られた情報によれば、トルクメン人は初め、モンゴル北部の沿岸部に住んでおり、その後南へと移住し、6世紀にはセイフーン川の近くに移り住みました。そして10世紀になるとアムーダルヤーと現在のトルクメニスタンにあるマルヴの近くにまでやってきました。トルクメン族は、独自の特徴を備え、13世紀から14世紀に形成され、トルクメン人の基盤を作り上げました。
イランに住むトルクメン人は、カスピ海東部からイラン北東部のゴレスターン州のマラーヴェ・タッペ、北ホラーサーン州のジャルギャラーンまでの間にある地域で暮らしています。トルクメン人には主にヨムートとゴウグラーンという二つの部族があります。ヨムートはカスピ海の端、平原の各地に住んでおり、ゴウグラーンは山麓地帯に暮らしています。彼らは他の部族よりも早くに定住したため、農業や園芸、養蜂やヒマワリの栽培などに従事しています。またトルクメン人の居住区にはテケという名の部族も暮らしています。
トルクメン人はトルクメン語を話します。トルクメン語は言語学上、ウラル・アルタイ語族のトルコ系の言語のひとつです。ウラル・アルタイ語は、中国のトルクメン人の言語で、その派生語の一つが、現在のトルクメン語の根源となっています。
トルクメン人は、経済活動によって、チョムールとチャールワーの二つのグループに分けられます。チョムールは、一か所に定住し、多くが農耕を営んでいます。一方チャールワーは家畜を飼育し、放牧で生計を立てています。現在多くのイランのトルクメン人が定住していますが、一部で小さな範囲を移動して家畜を飼育している人々もいます。チャールワーの間で広まっている美しい慣習の一つは、オイと呼ばれる移動式住居を建てる習慣です。
今日、都市に住むトルクメン人は一般の住宅に住んでおり、村でもタームと呼ばれる住宅に住んでおり、通常、二つの部屋と台所、バルコニーがあります。しかしながら、この移動式住居は長い間トルクメン人の住宅でした。それを建てる習慣は今も一部のトルクメン人の間で見られます。とくに結婚式などのお祝い事が行われる際には、自分の家の隣に移動式住居を建てます。この住居は放牧の時期に適切な住まいとなり、短期間で女性によって建てられ、撤収されます。
トルクメン人の移動式住居は木材を骨格とし、円柱で天井はドームとなっており、フェルトで覆われ、開けた高い土地に建てられます。住居の周囲には、高さおよそ2メートルの円柱の形をした木の開閉可能な柵が巡らされています。その天井はいくつかの弓形の木で形成されており、円の中心に向かってそれらが集まっています。その後、木の骨格はフェルトで覆われます。壁や天井を覆っているフェルトには様々な名前があてられています。その後壁の周囲を柵で覆い、住居の内部も特別な秩序で整えられます。内部には女性や子供のための場所と男性のための場所が設けられています。部屋の中央には、部屋を暖めたり食事を作ったりするための火が置かれ、客人をこの場所でもてなします。住居の隅には生活用品や寝具が置かれます。
トルクメン人は移動式住居を建てる際に独自の風俗習慣を有しています。住居の骨格ができると、二つの縄を住居の上部につなぎ、地面まで垂らします。彼らはいくらかのお金を包んだ布を縄の上部に結びつけます。トルクメン人の若者たちはお金を手に入れるために競争します。住居が建つと、その所有者は羊をと殺し、チェクデルメと呼ばれる独自の料理を作り、人々に振舞います。トルクメン人は年長者に特別な敬意を払うことから、家族の最も年長の女性が移動式住居の高い部分にフェルトを据えます。移動式住居が幾つか集まると、そこはオバと呼ばれるコミュニティーになります。
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