光の彼方への旅立ち、ルーム章(9)
コーラン 第30章 ルーム章 ローマ 第39節~第42節
慈悲深く、慈愛あまねき、アッラーの御名において
第39節
「また、あなた方が、人々の財産の中から増やすために高利で金を貸しても、神のもとでは何も増えない。だが、喜捨として施しをし、神の満足を求める人、そのような人たち[の報奨]は何倍にもなる」(30:39)
(39) وَمَا آتَيْتُمْ مِنْ رِبًا لِيَرْبُوَ فِي أَمْوَالِ النَّاسِ فَلَا يَرْبُو عِنْدَ اللَّهِ وَمَا آتَيْتُمْ مِنْ زَكَاةٍ تُرِيدُونَ وَجْهَ اللَّهِ فَأُولَئِكَ هُمُ الْمُضْعِفُونَ
前回の番組で最後にお話した節では、恵まれない人々への施しについて述べていました。紺やのこの節は、神と、それ以外のもののための施しを比較し、次のように語っています。「あなた方が他人に与えるものについては、もしそれが神の満足のためで、他の目的を持つものでなければ、その報奨は神が決定し、何倍にも増やされるだろう。だが、もし人々への援助が神のためのものでなく、人々の財産を増やす、あるいはその一部を自分の元に取り戻したい、などの別の目的を持つものであれば、神の満足を得るためのものではないのだから、神のもとでの報奨はない」
資金を貸し、その貸付に対して利息を取ろうとする人は、他の人の困窮を助けてはいるものの、その目的が、自分の財産を増やすことにあるために、神のもとでの報奨はありません。
第39節の教え
● 貸付や施しについて、重要なのは、それを行う人の目的や動機であって、その量や種類ではありません。
● さまざまな事柄に価値を与えるのは、神の満足を得るためという動機です。そのような支えなくして行われる事柄に価値はありません。
● 現世は取り引きのための市場(しじょう)です。他の人と取り引きをして現世で利益を得る人もいれば、神と取り引きをして、来世での報奨を手に入れる人もいます。
第40節
「神は、あなた方を創造し、その後、あなた方に日々の糧を与えられる。また、あなた方を死なせ、その後で再びよみがえらせる。あなた方が神と同等に配していたものの中に、そのようなことを行えるものがいるだろうか?神は全く欠点を持たず、あなた方が同等に配するものよりも優れている」(30:40)
(40)اللَّهُ الَّذِي خَلَقَكُمْ ثُمَّ رَزَقَكُمْ ثُمَّ يُمِيتُكُمْ ثُمَّ يُحْيِيكُمْ هَلْ مِنْ شُرَكَائِكُمْ مَنْ يَفْعَلُ مِنْ ذَلِكُمْ مِنْ شَيْءٍ سُبْحَانَهُ وَتَعَالَى عَمَّا يُشْرِكُونَ
この節は、創造世界における神の唯一無二の役割に触れ、次のように語っています。「あなた方の創造、あなた方が生きている間の日々の糧、あなた方の死、そして最後の審判での再生、これらは皆、唯一の神によって行われる。それなのになぜ、あなた方は、神と同等に、一部のものや人物を配するのだろうか?それらに、神と同じような役割を果たすことができるのだろうか?」
もし、当時の、そして現在の多神教徒が、このような疑問について考えていたら、彼らの答えは「否」でしょう。彼らが崇拝するものは、人々の生死や日々の糧には関与していません。彼らは、先人たちに倣って、そのような魂のないものを崇拝し、神聖視しているに過ぎないのです。
第40節の教え
● 過去、現在、未来、そして私たちの日々の糧は皆、神の手の中にあります。ですから、神のみに従い、他のものを神と同等に配するのはやめましょう。
● 自然の法則やさまざまなものを、神と同等に配するのではなく、神の創造物と見なしましょう。神以外の力に、完全に独立した存在であるものはなく、それらには、最小のものすら、創造することはできません。
第41節
「人々が行ったことのために、大地と海に腐敗と堕落が明らかになった。こうして[神は、]彼らが行ったことの一部を彼らに味わわせる。恐らく彼らは立ち返るであろう。」(30:41)
(41)ظَهَرَ الْفَسَادُ فِي الْبَرِّ وَالْبَحْرِ بِمَا كَسَبَتْ أَيْدِي النَّاسِ لِيُذِيقَهُمْ بَعْضَ الَّذِي عَمِلُوا لَعَلَّهُمْ يَرْجِعُونَ
節42節
「言え、『地上を旅し、見つめなさい。以前にいた人たちの結末がどのようなものであったかを。彼らの多くは、多神教徒だった』と」(30:42)
(42) قُلْ سِيرُوا فِي الْأَرْضِ فَانْظُرُوا كَيْفَ كَانَ عَاقِبَةُ الَّذِينَ مِنْ قَبْلُ كَانَ أَكْثَرُهُمْ مُشْرِكِينَ
多神教徒の誤った考え方に関して述べた前の節を受け、この2つの節は、次のように語っています。「人々の行動や信条と社会における腐敗や堕落は、直接、関係している。全ての問題の元凶は、多神教信仰と不信心、あるいは神を忘れることにある。さまざまな行いにおいて神のことを考えない人は、罪を恐れず、自分や家族、社会を、自らの誤った行いの結果へと巻き込む。一部の結果は、現世で、人々の生活の中に現れるが、その結果の一部は、罪を犯した人を来世で地獄へと突き落とす」
コーランは、イスラム教徒に対し、過去の民の歴史を研究したり、現在の一部の民の生活を目にしたりすることで、社会における堕落や罪の結果に注目するよう勧めています。イスラム教徒は、人々が目覚めて罪を繰り返さないようにするため、神が、人々の行いの結果の一部を現世で味わわせていることを知るべきです。
現在、世界の各地で、大きな文明の痕跡が見られます。一時期、大きな富や権勢を誇っていた文明は、圧制や贅沢のために、徐々に衰亡し、現在はその宮殿の廃墟が残っているのみです。興味深いのは、コーランが、すべての罪や堕落、腐敗の根は、多神教信仰にあるとしていることです。それにより、コーランは、多神教信仰が、滅亡や堕落の原因であること、人類の真の幸福と平穏の源は、唯一神への信仰と服従であることを強調しています。
第41節~第42節の教え
● 人間の醜い行いは、自然の秩序に影響を及ぼし、好ましくない現象を生み出します。環境の破壊は、すなわち人間の破壊的な行動から起こるものです。
● 環境は、海であろうと陸であろうと、神から人間に委ねられた預かりものです。世界の創造主である神は、それに対する占拠や侵害を許しません。
● 観光や旅は、目的があり、人間にとって教訓の源となる場合、イスラムはそれを奨励しています。
● ある社会で大多数の人々が、逸脱や堕落に陥ったとき、その社会は神の怒りに触れます。そうなる前に、そこを離れて移り住むことが必要です。