仲間と囲む食卓について
今回は、仲間と囲む食卓についてお話しいたしましょう。
美味しいご馳走をひとりで食べても、それほど美味しいとは感じないことがあるでしょう。食事を楽しむには、食卓を一緒に囲む人が必要です。もちろん、これは誰とでも楽しめるというわけではありません。人間が生活し、健康を保つ上での食事の重要性に注目し、多くの宗教は、さまざまな観点から食事について語っています。
その中で重要なもののひとつに、誰と一緒に食事を取るか、ということがあります。イスラムの預言者など宗教の偉人たちは、友人や賢い聡明な人々と共に食卓に着くことを強調しています。
私たちは、さまざまな人々を知り、彼らと親密な関係を築きます。例えば、家族、友人、仕事仲間など、周囲の人と知り合うことで、彼らとのある種の関係が生まれます。そして通常、自分が好ましいと思う相手と一緒に食事を取るようになります。
日本の人類学者、石毛直道氏は、次のように考えています。
「私たちはみな、社会的な集団に属しており、それを通して他者との関係を築く。こうした集団のひとつが、共に食事を取る関係であり、共に食べる集団、「共食集団」と呼ぶことができるだろう」
食事は、集団の絆を深め、強化します。私たちは、一緒に食事を取る人々と気持ちを共有してもいるのです。このことから、多くの社会では、さまざまな祝い事や催しに、昼食や夕食を兼ねたものが多いのです。これは食事が、人々の間に新たな関係を築いたり、以前の関係を強化したりするための機会を整えているためです。
この例として、冠婚葬祭を挙げることができます。イラン人の結婚式は、通常、新郎新婦の友人や親戚など、客人を招いてお祝いするのが慣習となっています。また葬儀では、出席者が昼食、あるいは夕食を共にすることになっています。
いずれにせよ、食事は、家族関係の基礎となるもののひとつです。家族は、人間が食事をともにしたいと思う基本となる集団であり、これによって家族の絆を維持することができます。食事を取ろうと集まるたびに、その関係は親密になります。このことから、多くの文化で家族は、食事を作り出す「かまど」のような存在なのです。
今日、社会の工業化により、最新のテクノロジーが用いられることで、料理もかつてのように一から作り出すのではなく、すでに調理されたものが簡単に手に入るようになりました。このため、個人で食事を取る機会が増え、家庭は、食事を作り、それを消費する場所としての機能を失いかけています。しかしながらイランでは、一堂に会して食事を取る風景も決して珍しいものではなく、今日でも頻繁に行われています。それは、こうした行為が、年長者への敬意を含む特別な慣習として見なされているからです。
もし、家族が仕事で忙しく、昼食を一緒に取ることができなければ、せめて夕食は一緒に取るよう努めるべきでしょう。
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