バルーチ族の風俗習慣 (音楽)
今回は、イランのバルーチ族の風俗習慣についてお話いたしましょう。
バルーチ族の風俗習慣についてお話する前に、まず、この民族について説明することにいたしましょう。
バルーチ族は、一般にイラン南東部のスィースターン・バルーチスターン州に住んでいます。考古学的な研究によると、バルーチ族はアーリア民族の一部だということです。研究者によれば、アーリア人は、遠い昔、中央アジア、スィールダリヤとアムーダリヤの間の地域に暮らしていました。後に人口が増加したり、その他の理由でおよそ紀元前2000年にこの土地からそれぞれの場所に移住し、そこに定住しました。この民族のあるグループがバルフ周辺に流れ込み、現在のイランの東部と北東部に居住しました。後にこのグループの一部はイランの西部に前進し、幾つかの民族に分かれました。
アケメネス朝の王たちの多くは、この地域とそこに暮らしていた民族を支配下に置きました。ダリウシュ王の時代の碑文には、その領土の一部の名称が書かれていました。明らかにバルーチ族は、アーリア人から分派し、北部を通って南部に移り住みました。バルーチ族の方言がパルティア・パフラヴィー語やサーサーン朝初期のパフラヴィー語に近いことは、こうした見解を裏付けています。
民俗学者による調査と研究により、バルーチ族などすべての部族の肉体的な特徴が明らかになっており、バルーチ族とアーリア人の人種的な特徴が似通っていることを示しています。バルーチ族は、イランの民族の一つであり、クルド人やタジク人と同じように、アーリア人から派生した民族で、外国の侵略やインドと隣接していたにもかかわらず、その民族的、文化的特徴を維持してきました。
バルーチ人は、特別な環境条件により、勇敢で忍耐強く、最低限の可能性の中で生活することができます。問題や困難に対する彼らの忍耐は、他のイランの民族と同じように賞賛に値します。親切で忠誠心が強く、約束事を守ることが彼らの特徴となっています。バルーチ人は親切であることで知られており、もてなし好きであることがこの民族のすべてに見られる特徴です。また人懐っこく素朴です。
バルーチの人々は、ラクダに乗り、射撃を行い、狩りを行い、山を登り、砂漠を歩いて渡ることに長けています。バルーチ人はイスラム教徒で、宗教的な信条を堅く守っています。礼拝もきっちり行い、最も過酷な状況の中で断食を行います。バルーチの男性は女性や子どもの人生を重視しており、彼らの間で家族は特別な堅固さを有しています。彼らは離婚を醜い行為であるとみなし、ほとんど離婚という形は見られません。
バルーチの言葉は、最も豊かなペルシャ語の方言の一つで、貴重な口承文学も残っています。バルーチ方言は北と南に別れ、北はザーヘダーンやハーシュ、スィースターンが含まれ、南にはイランシャフル、サラーヴァーン、チャーバハールが含まれ、単語の発音が異なっています。
この地域の文学は、遊牧民の文化と近く、自然が融合されていることから、非常に豊かなものとなっています。古い歴史を持つバルーチの伝統的な詩は、これらの民族の生活に端を発しており、バルーチ族の歴史と文化を伝えるものとなっています。バルーチ人は通常、戦争、生産、死など多くの部族の出来事を詩に歌い、バルーチェスターンの歴史を世代から世代へと引き継いでいったのです。
これらの詩は多くが英雄物語、叙情詩、部族の戦争の歴史、指導者や勇者の賞賛といった形で人々の間に広まっており、民族の人生の悲しみや喜びをよみがえらせています。このためバルーチのイラン人は自分たちの土地の文学を愛しており、多くの儀式で詩を歌い、儀式を盛り上げています。
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