9月 04, 2022 17:28 Asia/Tokyo
  • アブーレイハーン・ビールーニーの像
    アブーレイハーン・ビールーニーの像

ビールーニーの最も重要な業績のひとつは、『古代民族年代記』の執筆です。これは昔からヨーロッパで翻訳、出版され、世界史に関する作品の最高傑作とされています。ビールーニーはこの本の一部で、平面図の作成方法を検討しており、この中で、地図の作成における新たな独自の方法を提示しました。ヨーロッパの思想家はこの本を根拠に、地球を円筒形に模し、平面図としたメルカトル(正角円筒)図法による地図をはじめて描いたのは、間違いなくビールーニーだと考えています。また、研究者は、もし歴史の探求、さまざまな民族の辿った記録や古代の地域における暦の編纂など、ビールーニーのあらゆる努力もさる事ながら、地球を平面図に表すというその偉大な業績は、現代の幅広い学問における、彼の思想の卓越性とその思考の深遠さを示すと考えています。

ビールーニーは『古代民族年代記』の中で、さまざまな国の国民や、宗教や宗派の信者の違いを挙げ、彼らのさまざまな信仰や慣習について記し、その類似点や相違点を挙げています。彼はこの本の第6章において、預言者たちやユダヤの民の王、アッシリア、バビロニア、イランの王やエジプトのファラオ、ローマのカエサル、ビザンツ帝国の王たちやイランの伝説上の王、アケメネス朝、アルサケス朝、サーサーン朝の王の統治の時代と年代順を、場合によってはその月日に従って列挙していました。ビールーニーは、歴史的な資料が互いに矛盾する箇所、そして間違っているとされていた伝承までも挙げています。彼は伝承に対する批評を行い、もっとも正しい歴史を特定しようとしたのです。もっとも、ビールーニーも多くの研究者と同じように、しばしば、間違った判断を行っています。ビールーニーの著作『古代民族年代記』は、1887年にドイツの東洋学者ザッハウによって翻訳され、イギリス・ロンドンで出版されています。

 

『インド誌』もまた、人類の遺産として重要なビールーニーの業績のひとつです。この本は、イスラム教徒の学者が様々な地域へ旅行した中で、彼らの間における社会学の分野での驚くべき進歩を示すものとされています。ビールーニーはインドの数学や天文学的な見解、インド人の思想や世界観、とりわけインドの地理的な特徴や地質学に関して尽力し、その結果としてこの本を記しました。多くの思想家によると、この本により、西洋人はインド知ることができたとされています。アメリカの歴史家ウィル・デュラントは、ビールーニーの『インド誌』を、中世における最大の学術研究のひとつだとしています。

 

ビールーニーの『インド誌』は、インドの学術や慣習、宗教、歴史に関する最も優れた書籍であり、これにより、ビールーニーは比較宗教学や人類学におけるさきがけの一人だと言えます。彼はこの人類学的な研究で、多くの困難に直面しました。それは1人のイスラム教徒として、イスラム教徒とよい関係を持っていない人々の土地に足を踏み入れ、また、彼らの言語を習得することは大変難しいものだったからです。こうした困難に直面しながらも、ビールーニーはサンスクリット語をよく習得し、インドの人々や現地の知識人との関係の構築に努力し、研究のためにインド各地を訪れました。彼は『インド誌』の中で、中立的な学者としての見解から、インドの人々の慣習や信仰を紹介することに努めました。これについて、彼は次のように記しています。

 

「私は、この本においてインドの人々の信仰について記した。宗教的に我々とは異なる彼らの真理において、根拠のない嫌疑や中傷は正当ではないと考えた。同時に、事実を明らかにする必要があると考えた場合、彼らの言葉について詳細な説明を行うことは、自分がイスラム教徒であることに反するとは考えていない。もし、こうした話は宗教に反しており、神に従う人々、すなわちイスラム教徒はそれに抗議できると考えているのであれば、私は次のように述べる。『インド人の信仰とはこういうもので、彼ら自身は、その抗議にどのように回答するか、誰よりもよく知っている』」

 

ビールーニーは『インド誌』で、インドの人々とほかの地域の人々との比較研究を行いました。たとえば、彼は、キリスト出現以前のギリシャ人はインドの人々が信仰している事柄とまさに同じ事柄を信仰している考えの下に、この2つの民族の信仰や見解を比較しました。またこの本の別の箇所では、インドの階級社会とサーサーン朝時代のイランの社会を比較し、この2つの社会は大変よく似ている、としました。また、インド人とイラン人、ユダヤ人やイスラム以前の無明時代のアラブ人の結婚に関する習慣を比較しています。

 

ビールーニーによるそのほかの著作に、『マスウード宝典』があります。この本は天文学、地理学、数学に関する、11章で構成される著作で、イスラム教徒の学者が天文学における進歩の証明とみなされています。ビールーニーはこの本で、複雑な星の運行を検討しようとしました。また、この本の中で、三角法の知識について驚くべき創意工夫を持って取り組み、サインの角度を説明するための公式を発見しました。私たちがこれを新たな記号で示す時には常に、ビールーニーの公式が、ニュートンの公式と非常に近いことが分かります。

 

ビールーニーは『マスウード宝典』の中で、地理的な尺度の調整について、経験と研究、実験のみに基づいて語っています。このため、この本の中に出てくる表では、より多くの研究や注意が求められています。トルコの研究者ザキー・ワリード・トゥガン博士は、表の中の部分を別にして、ビールーニーのその他の複数の書簡の一部に加えて発表し、その後アメリカの研究者(ジョージ・サットン)がこれを学術的な観点から査定しました。『マスウード宝典』は1929年、インドのアリーガル・イスラム大学で、英語に翻訳されました。

 

ビールーニーは、過去の学者の著作や記述にただ満足していたのではなく、しばしば彼らの見解、とりわけアリストテレスの見解を問題視していました。彼は、ほかの人々の言説を正しいかどうか査定し、自分の学説を検討するため、たとえそれが人々が信じていたものであれ、実験や現象を正確に観察しました。ビールーニーは今日の研究者のように、自らの実験の中で、2つの物質の特性を比較する際に、全てを同じ条件のもとに置いたのです。たとえば、アリストテレスの「温かい水は冷たい水よりも早く氷になる」という言説に対して、実験を行い、次のように語っています。

 

「私は容積と大きさ、形が全く同じである2つの器を用意し、それぞれに同じ量の水と湯を入れ、それらを寒く乾いた空気にさらした。水を入れた器は凍ったが、湯を入れた器は暖かいままだった。これを繰り返し実験したが、結果は同じだった」ビールーニーは、自らのあらゆる著作において、過去の歴史を研究し、彼以前の学者の見解を比較した史上初の学者です。彼はしばしば、過去の学問の歴史のみを扱った本を記しています。たとえば、暦法や時間の認識について扱った『古代民族年代記』で、インド、アラブ、ギリシャ、ユダヤ、イランの各民族の暦法を紹介しています。あるいは、天文学に関する著作の中では、天文学に関する様々な基準の獲得方法、ギリシャ、インド、イランの3つの学派や、これらの学派からさまざまな学者が受けた影響の度合いについて記しています。このため、ビールーニーの著作に関する研究は、学問の歴史の研究者に対し、長い年月にわたる学問の変遷を理解できる、新たな道を開いたのです。

 

そのほか、ビールーニーの研究上の特性として、数ヶ国語に精通していたことが挙げられます。彼はペルシャ語、トルコ語、アラビア語、ヘブライ語、古シリア語、サンスクリット語に精通し、ギリシャ語の知識もありました。彼は、さまざまな文明や人々の文化を研究するためには、まずはじめに彼らの言葉を習得すべきであり、通訳者や翻訳書を使ったのでは、正確な研究はできないことを理解していました。このため、彼はインドを訪れた際、初めにサンスクリット語を習得し、サンスクリット語の本数冊をアラビア語に翻訳し、一部の作家の筆録に基づいて、いくつかのギリシャ語の本をサンスクリット語に翻訳したのです。

 

 


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