不滅の奇跡、コーラン
イスラム教の聖典・コーランは、神が預言者ムハンマドに授けた偉大な奇跡です。
ものを考えることは、コーランが伝えるメッセージの筆頭にあります。コーランの節の多くでは、主題を伝えた後に、その内容について考えるよう促しています。コーランの言葉は基本的に、すべてに賢明なメッセージが含まれ、他者の理性や考えを促すものであり、ある意味、人類の心と思考をつなぐチャンネルとなっています。
コーランの中でも、「これは諸民族に対して(アッラーの真意を)ただ思い起こさせる」(家畜(アル・アンアーム)章・第90節)のように、その文句は万民に向けた神からの忠言だと説明されています。
また、「人間への警告」(包る者(アル・ムッダッスィル)章・第36節)として、「人間よ」(裂ける(アル・インフィタール)章・第6節)と、世界のすべての人々に呼びかけています。
コーランでは神のことを、光のように純粋な美しさを持つ、偽りから真実を明らかにする存在、最も堅固な道への導き手として讃えながら、常に変わらず唯一神への信仰に導いていくと強調しています。
コーランにはまた、神の下僕たちが多くを学べるように、これまで神に使わされた預言者たちや諸民族にまつわる、様々な逸話が盛り込まれています。人類にとって過去の出来事から教訓を得ることが常に必要であるのは、明白なことわりです。
一方で、人類の必要性に応えるよう求められていることは、コーランを決して古びさせず、常に新鮮で瑞々しいものとしています。コーランの内容は、どの年代の誰が読んでもその不滅の恩恵を受けることができるよう、編集されているのです。
預言者ムハンマドは、メッカでコーランの最初の節の啓示を受けてより、コーランが自分の言葉ではなく神の言葉であり、いかなる者もコーランのようなものをもたらすことはできないと説明し、信じられない場合は誰にでもコーランのようなものを与えられるか聞いて試してみるように語っていました。
高壁(アル・アラーフ)章・第203節には、次のように記されています:
「『わたし(=預言者ムハンマド)は、ただ主からわたしに啓示されることに従うだけです』。それ(=コーラン)は、あなたがたへの主からの啓蒙であり、また信仰する者への導きであり、慈悲である」
コーランが他の聖典と比較して特に秀でている点の1つは、誰もその節に手を加えることができず、時間の経過ととも起きる可能性のある損失や歪曲から守られてきたことです。したがって、コーランにある言葉と文章は、まさに啓示されたそのままの、何の改変も加えられていないものなのです。
雌牛(アル・バカラ)章・第23節には、次のように記されています:
「もしあなたがたが、わが下僕(=預言者ムハンマド)に下した啓示を疑うならば、それに類する章の1つでも作ってみせなさい」
このようにコーランは、それを否定するすべての者に対し、コーランのようなものを持ってきて互いに競わせてみるよう促しています。彼らがそれをできなかった時、コーランが天から下された啓示であることの正しさと、それをもたらした預言者の神聖な使命が、はっきりと証明されることになるのです。
コーランではさらに、次のように強調されています:
「もしあなたがたが正しいというなら、アッラー以外のあなたがたの証人を呼んでみなさい」(同章同節)
現在の世界においてコーランを冒涜している卑劣な輩たちが、コーランとその奇跡を負かそうとそれを燃やす代わりに、もしできるならば、コーランに匹敵するような言葉を持ち出してみせることを願います。
高壁(アル・アラーフ)章・第203節には、次のように記されています:
「『わたしは、ただ主からわたしに啓示されることに従うだけです』。それ(=コーラン)は、あなたがたへの主からの啓蒙であり、また信仰する者への導きであり、慈悲である」
「もしあなたがたが、わが僕(=預言者ムハンマド)に下した啓示を疑うならば、それに類する章の1つでも作ってみせなさい」(雌牛(アル・バカラ)章・第23節)
「もしあなたがたが正しいというなら、アッラー以外のあなたがたの証人を呼んでみなさい」(同章同節)