慈愛の預言者、ムハンマド(4)
(last modified Thu, 06 Oct 2016 07:08:04 GMT )
10月 06, 2016 16:08 Asia/Tokyo
  • 慈愛の預言者、ムハンマド(4)

社会の個人的、信条的、文化的な逸脱を改めようとする人は、反対者による多くの反発に直面します。

そのとき、敵対や争いの道を進めば、さらに厳しい妨害にあうでしょう。そのため、改革者は、一部のふさわしくない動きを黙認するのが得策です。コーランでは、イスラムの預言者に対し、多神教徒の一部の行動に、何の反応も示さないよう求められています。多神教徒は時に、マスジェドルハラームに座り、預言者に嫌がらせをするために、コーランの節を嘲笑しながら読み上げたりしていました。神は預言者に対し、そのような行動を無視するよう求めています。

コーラン第7章アル・アアラーフ章高壁、第199節で、神は預言者に対し、3つの指示を提案しています。ひとつは、寛容さを基盤に据えるということです。二つ目は、人々に善を呼びかけること、そして三つ目は、無知で愚かな人々に対しては我慢強くあり、彼らの行動を無視することです。こにょうな預言者の態度により、多くの人がイスラムを信じるようになりました。

預言者は、自分に対する反対者の嫌がらせは黙認していましたが、神の聖域や神の法を侵す人々に対しては決して許しませんでした。シーア派初代イマーム、アリーは、イスラムの預言者を、腕のよい医者のようだとしています。通常は患者が痛みを感じてから医者のもとに赴くものですが、預言者は患者のことを思うあまり、自らの足で患者のもとに赴く医者のようでした。イマームアリは、これについて次のように語っています。

「預言者は、患者を治療するために彼らのもとに自ら赴く医者である。彼の処方は、真理を理解せず、神のメッセージを聞かないような、聞く耳を持たず、心を閉ざした人々のために用意されている。彼はその処方によって、忘れ去られ、困惑している患者たちを見つけ出そうとしている」