西側の思想家が考える預言者ムハンマド(16)
フランスの高名なオリエント学者ギュスターヴ・ル・ボンは、イスラムやイスラム教徒の文明に関する幅広い研究を行っています。
このフランス人学者の著作では、イスラムやイスラム教徒に対する否定的、一方的な見解はほとんど見られません。彼の著作の1つに、「イスラムと西洋文明」があります。彼の著作における優れた特徴として、イスラムの預言者ムハンマドを心にしみる美しい表現で説明していること、イスラムの伝播の要因や、複数の文明におけるイスラムの役割について分析していることが挙げられます。
ル・ボンは、自らの著作においてイスラムの偉大な指導者が生きていた時代、即ち預言者ムハンマドの幼少時代から、預言者に任命された時期、そして晩年に至るまでの時期は、驚くべき出来事にあふれていると述べています。これらの出来事は、預言者ムハンマドが神から選ばれた人物であり、彼の生涯が疑う余地のない数々の奇跡と印を伴うものであったという事実を物語るものです。
ル・ボンは、預言者ムハンマドの幼少期と青少年期について、次のように述べています。
「イスラムの偉大な指導者が誕生したとき、数々の驚くべきしるしが現れた。そうしたしるしであるとされているのは、彼が誕生したときには、ゾロアスター教の寺院の聖火壇の火が消え、流星により悪魔たちが天界に上れなくなり、ペルシャ帝国のサーサーン朝の王カスラの宮殿に亀裂が生じた。これらの事柄は、強大なペルシャ帝国の滅亡という吉報をもたらすものだった」
ル・ボンの見解では、預言者ムハンマドは崇高な目標と固い意志を持っていたとされています。このため、メッカの人々による嘲笑や脅迫によりこの偉人の決意が揺らぐことはありませんでした。彼は、人々に対し、次のように述べています。「もし、私の右手の中に太陽を、左手に月を持たせたとしても、私はこのことから手を引くことはない」 預言者ムハンマドは敵の迫害や脅迫にも忍耐強く、平然として耐え抜いた結果、日々自らの成熟さと知性により、自らの説く教えの信者を増やしていったのです。