世界の情勢:ISISの消滅、地域の国民への恩恵
今月21日、各メディアは重要な情報を伝えました。 危険な中、テロと戦っていた戦士たちの努力が、ついに実を結んだのです。
イランのイスラム革命防衛隊・ゴッツ部隊のソレイマーニー司令官は、イスラム革命最高指導者のハーメネイー師に宛てた重要なメッセージの中で、テロ組織ISISの最後の拠点だったシリアのブカマルの解放作戦が終了し、アメリカとシオニストの支援を受けたこの組織の旗が下ろされ、シリアの旗が掲げられ、ISISの支配体制が終焉を迎えたと伝えました。
ISISはなぜ、どのようにして出現したのでしょうか。この疑問に、多くのアナリストが自問自答しています。
ISISの出現に関して、政治的、イデオロギー的な土台に基づいたさまざまな見解や、植民地主義からさかのぼる歴史的な見解までもが提示されています。それによると、現在のテロ組織が出現した土台は、アメリカのイラク攻撃の中に探ることができるとしています。
この見解によりますと、イラクのサッダーム政権の崩壊とアメリカ軍の駐留の後、イラクで生まれた大きな治安上の空白により、アルカイダ系の勢力は、この状況を利用して、ザルカウィというテロリストを通じて、新たな支部を生み出しました。
ザルカウィは新たな計画の中で、新たなイラク政府が結成されるのを妨害するため、イラクの政治的、軍事的、宗教的な人物や機関に対する大規模なテロを行い、この中で、多くのシーア派、スンニ派のイスラム教徒が殉教しました。
ザルカウィの計画は、後にアブウマル・バグダディ、アブバクル・バグダディによって引き継がれ、シリア危機の開始とともに、ISISを名乗り、このテロ組織が結成されました。ISISはアメリカや一部の地域諸国の物的、精神的、情報的な支援を受け、イラクとシリアの各地を占領しました。
ISISはアメリカやシオニスト政権が以前から企てていた陰謀の一部である、地域分割や、シリアやレバノンの抵抗勢力の混乱といった計画を実行するため、がん細胞のように、急速に成長しました。ISISの旗のもとに行われた行為は、イスラムを語った欺瞞でしかなかったのです。
「イラクとシリアのイスラム体制」を騙った、この危険な扇動行動は、多くの若者をだますことで、イラクとシリアを大きな危機に陥れ、多くの町や村を含む、数十万平方キロに及ぶこれらの国の領土を初めの数ヶ月間で占領することに成功しました。彼らは重要なインフラを占領、あるいは破壊し、両国の国民の貴重な歴史的遺産を爆破したり、燃やしたりしました。
アメリカとシオニスト政権イスラエルも、この危機に関与し、テロリストへの兵器の提供者として、扇動し、イスラム世界の資産やインフラを破壊する中で、地域における代理戦争を大いに利用しました。
イラクにおけるISISの広範な侵攻により、イラクはかつてほとんど見られなかった宗派的な虐殺や、宗教都市におけるシーア派の巡礼地の破壊という危機に瀕しました。イラクのシーア派指導者スィースターニー師は歴史的な聖なる戦いの教令を発し、イラクを大きな陰謀から救いました。
イランも、この緊迫した時期に、最高指導者の洞察力と先見の明、体制責任者、特にイスラム革命防衛隊の賢明さにより、周辺諸国の安全保障上の脅威と、そのイラン国内の治安への影響に対して、行動を開始しました。この中で、イランは常にイラク政府と調整を行い、イラクにおける軍事顧問的な支援を提供し、ISISの広範な勢力に対抗するための緻密な計画を、イラクの軍や民兵組織の支援により立案し、実行しました。
ISISはこの期間、バグダッド一帯に進出しており、バグダッド北部近郊のシーア派の聖地から7キロの地点に迫っていました。この後、イラクのシーア派組織、国民動員部隊とイラク軍の合同部隊は、ISISに勝利しました。イラク軍は、バグダッドからサーメラーを掌握し、これはイラク北部サラーフッディーン県の多くの地域の解放作戦の前哨戦となりました。この抵抗を続ける中で、イラク西部アンバール県の中心都市ラマディといった重要な地域が、2015年12月28日に解放されました。
この戦いがイラク、そしてシリアで続いたことは、その後を決める決定的な要素となりました。ISIS支配地域に対する重大な軍事作戦は、各種の勢力の参加により激しいものとなり、その結果、バグダッド近郊のファルージャが解放されました。イラクは、ISISの占領から3年にして、モスル全域をISISの手から取り戻しました。
ISISはイスラムを消滅させ、特にイランのイスラム体制を脅かし、イラン国内に亀裂を入れるために、包括的な計画を立てました。アメリカのシンクタンク・ランド研究所は、2016年7月、オバマ政権時代にアメリカ国務省のアフガニスタン・パキスタン特別代表を務めていたジェームズ・ドビンズ氏による報告の中で、次のように記しています。
「アメリカ、ロシア、サウジアラビア、トルコ、イラン、EUの外交官が、シリア戦争の政治的な解決方法を提示し、話し合いを行うためにオーストリア・ウィーンで集まったとき、この戦争の解決法が得られることに関して、悲観的になっていた。」
また、ランド研究所は、その戦略を説明する中で、次のように記しています。
「このプロセスは、長年を要する可能性がある。この期間、あらゆるグループは、その支配地域を統治する必要があるからだ」
これは、シリアは一時的に分割されるだろうということを意味していました。このシンクタンクの見解では、ISISの支配地域は、シリアが再び統一されるときまで、国際体制の統治下におかれるのがよいとされています。また、シリアは、分割され再び統一するのに44年かかった1945年以後のドイツと状況が似ているとされています。シリアに関して、まさにそのようなことが行われる可能性があったのです。
しかし、シリアとイラクの将来は、アメリカのシンクタンク内部ではなく、ISISとの戦場において決まりました。アメリカはシリアの反体制武装組織のために、7年間で20億ドル以上の予算を使いました。しかし、テロとの戦い、そして、シリアのブカマルとデリゾールにおける大きな勝利は、アメリカのこの行動を失敗に終わらせました。このため、ソレイマーニー司令官は、次のように強調しました。
「明らかに、シリアとイラクの政府の抵抗、両国の若者や軍事組織の融和、特にナスロッラー議長を指導者としたレバノンのシーア派組織ヒズボッラーの参加による、シリアのシーア派組織、イラクの国民動員部隊とそのほかのイスラム教徒の若者の聖戦は、この危険な出来事を失敗に終わらせる上で決定的な役割を果たした」
ソレイマーニー司令官は、演説の中で、「相手側は、一般の人々と戦闘員を区別せず、殺害することのみを意味ある行動としており、殺害された人々が罪のない人々であればあるほど、外交は無意味なものとなる。彼らに対して聖なる戦いを行うべきだ」と語っています。
ソレイマーニー司令官は、ISISが手を染めた悪魔的な犯罪に触れ、次のように述べました。
「この事件では、見せることのできない大変痛ましい犯罪が数多く行われた。たとえば、子供の頭部を切断したり、ある男性の皮膚を家族の目の前で生きたままはいだり、罪のない女性を捕虜にし、暴行を加えたり、多くの若者を生きたまま焼殺したり、といった犯罪だ。被害規模は特定できないが、当初の調査によれば、被害総額は5000億ドルに上るという」
これらすべての苦い事実は、なぜイランが戦いの場に参加し、このような敵と対決することを決意したのかという疑問に回答を与えています。これらすべての犯罪は、アメリカのトランプ大統領が認めるところによれば、アメリカの首脳陣や関係機関によって計画され、実行されたものです。
ソレイマーニー司令官が書簡の中で示したことに関して、そのほかのコメントや解釈はまったく必要ありません。なぜなら、深刻な悲劇と、ソレイマーニー司令官の表明は、ISISの本質と陰謀の目的を繰り返し語っているからです。このため、この戦いの勝利の成果は、イラン、シリア、イラク、ロシアだけではなく、治安の悪化に苦しめられた地域諸国の国民に与えられた贈り物だというべきでしょう。
シリアにおけるISISの終焉は政治的な対話の強化と安定に向けた新たな段階の始まりであり、一方で、シリアの領土保全の達成に向け、ISISのテロ思想からの疎遠となったことだとも見なすべきでしょう。
現在、イラン、ロシア、トルコの3カ国の大統領は、アスタナの和平協議の合意に沿った形で、歩みを進めており、シリアにおける永続的な政治的安定と平和の下地を築くことのできる、次の重要な歩みを踏みだすため、ロシアのソチで会談を行いました。しかし、まだ、今後も、困難な道のりとなることでしょう。