イランの新年ノウルーズ
(last modified Fri, 20 Mar 2020 17:24:00 GMT )
3月 21, 2020 02:24 Asia/Tokyo
  • イランの新年ノウルーズ
    イランの新年ノウルーズ

ノウルーズは、春の始まりを祝うイラン人の民族的な祝祭です。自然が生まれ変わり、緑が新たに芽生え、人間が新しい季節を迎える祝祭です。

一年を通しての自然の変化と、それが人々の生活に及ぼす役割は、イランの人々の文化において、さまざまな風俗習慣によって示されます。これらの風俗習慣は、新しい年を迎えるほぼ1ヶ月前から始まり、新年に入ってから13日間、続きます。今夜のこの時間は、イラン人の新年・ノウルーズの風俗習慣についてご紹介しましょう。


ノウルーズの儀式
古い年から新しい年に変わろうとする頃、町や村は喜びに包まれ、春の訪れが知らされます。イランでは昔から、ノウルーズ、春の訪れを知らせる見世物や儀式が行われてきました。これらの儀式は皆、冬が去り、春が訪れることを示すものです。

10世紀から11世紀のイランの偉大な学者、アブーレイハーン・ビールーニーは、著書の中で、こうした儀式のひとつ、クーセ・バルネシーンなどの見世物が始まったのは、イランの伝説上の王朝であるカヤーニー朝だとし、それについて、次のように記しています。「笑いを誘うような動きや服装をした男性が、ロバに乗って町の中を周る」 一年の終わりのこのような見世物は、しばらくの間、イランの各地で行われており、アブーレーハーン・ビールーニーによれば、イラン南部のファールス地方で、このような見世物が見られていたということです。

アータシュフィールーズ
ノウルーズの数日前から、新年に入った後の2週間、続けられる見世物のひとつは、アータシュアフルーズというものです。これは春の訪れを人々に知らせるものです。この儀式は、独特の服を来た演技者と演奏者によって行われていました。一人は肌を黒くし、赤い服を着ていました。別の一人はたいまつを手にし、また別の一人は、2本の長い木の棒に座り、彼らの助けを借りて歩きます。彼らは演奏者たちと共に、喜びの儀式を行い、人々からお金を受け取っていました。

この見世物は、時の経過と共に変化し、現在は、ハージー・フィールーズという名前で残っています。この見世物は、一年の終わりに行われており、顔を黒く縫って赤い服を着た人が、音楽を奏でたり、歌を歌ったりして、人々に春の到来を知らせます。彼らの赤い服は、春の喜びを、顔を黒く塗るのは、春や喜びとは正反対で、去る以外にない冬の寒さや暗さを示しています。


ミールノウルーズィー
イランの別の新年の儀式に、ミールノウルーズィー、あるいはパーデシャー・ノウルーズィーというものがあります。これは今でもイランの一部の地域で行われています。この儀式では、最も低い社会階層の人々の中から、一人が王様に選ばれ、数日間、町や村の統治を任されていました。また、何人かが側近や召使いに選ばれ、王様に選ばれた人はこの数日間、どんな命令でも下すことができていました。その期間は通常、5日間で、その中で人々は、王様の喜びをもたらす不思議な命令に夢中になっていました。ミールノウルーズィーの統治とそれに関連する見世物は、ペルシャ語の文学において、人生のはかなさとさまざまな機会を利用する必要性を強調する表現として広まっています。

ノウルーズハーニー
イランの新年、ノウルーズに関する儀式や見世物は非常にたくさんあり、その多くは、一年の終わりに人々の間で実施されます。この他、イランの音楽も、ノウルーズの儀式と共に演奏されます。昔から、喜びの歌と共に、ノウルーズと春の到来を人々に知らせるグループが存在してきました。この集団は、イランの多くの地域に存在していましたが、特に多く見られたのは、イラン北部のギーラーン、マーザンダラーン、北西部のアーザルバーイジャーン、南部のファールス各州でした。彼らの歌の中では、太陽や光、雨や土といった自然の現象が、宗教的な信条と融合されています。たとえば、この歌の一部は、イスラム教の預言者やイマームたちの記憶をたどることによって始まり、ノウルーズや新年の描写によって終わります。


ハーネテカーニー・年末の大掃除
イラン全国で、春とノウルーズの訪れを迎える際に行われる儀式は、さまざまな見世物に限られません。昔からずっと続けられてきたノウルーズの伝統、一年の終わりに行われる儀式に、大掃除があります。これは、「家を揺らす」という意味のハーネテカーニーと呼ばれています。

冬の終わり、イランの人々の間には独特の雰囲気が生まれ、人々は家の中や公共の場所をきれいにして春を迎えようとします。実際、一年の終わりのハーネテカーニー、町や家の大掃除は、新しい年を迎えるために、暗さや古さを追い払い、清潔な空間を整えるものです。特にイスラムは、清潔さを強調しており、イスラムの預言者ムハンマドは、それを信仰のしるしとしています。ハーネテカーニーは、通常、一家総出で行われ、それぞれが自分の能力に合わせてその一端を担います。


この他、一年の終わりに行われる儀式に、新年のための買い物があります。それには、洋服、乾燥ナッツ、果物、お菓子、一部の家具などが含まれます。毎年、年末になると、イラン各地のバザール・市場は多くの人で溢れかえります。人々は皆、新しい年の始まりと共に新しい服を身につけ、最高の食べ物で客人をもてなそうとします。この時期、この一年の終わりの買い物によって、商店の人々は忙しい日々を送ります。

通常、一年の終わりになると、ノウルーズの買い物と共に、人々は、イランの各地や国外で暮らす友人や親戚に年賀状のようなカードを送ります。今日では、技術の進歩により、ノウルーズを祝うメッセージのやり取りの多くは、E-mailやショートメッセージ、SNSで行われていますが、今でもなお、新年を祝うカードのやり取りは、多くのイラン人の間で行われています。


ノウルーズの草を植える儀式
イラン暦の最後の月、エスファンド月は、植物の種を植える季節です。ノウルーズの草を植える儀式は、イランの家庭で昔から象徴的に行われてきました。その昔、イランでは、ノウルーズの25日前になると、町の広場に、レンガで一年の月の数を表す12本の柱が建てられ、それぞれの柱の上に、小麦や米、豆が植えられ、それぞれの実りが新しい年の豊穣を示すものとなっていました。

現在、人々は、ノウルーズの2週間から10日前になると、大小の皿などに小麦や豆をぬらして発芽させ、それを年の移り変わりの際に、ハフトスィーンと呼ばれる飾り物のひとつとして置いています。さらに、家の花壇にも春に適した花を植えます。みずみずしい花や緑の存在は、自然の驚異や春を表すと共に、家の中に喜びをもたらします。町の中にも、行政関係者によって、色とりどりの花や木が植えられ、町は新しい色や香りに包まれます。

ノウルーズの料理
ノウルーズの料理やお菓子を用意するのも、新年を迎える際に、イラン各地で行われている慣習です。イランの一部の地域では、女性たちが協力し、新年のためにさまざまな種類のお菓子を作ります。独特の方法によって作られる家庭の手作りのお菓子は、非常においしく、美しく飾られます。イランの多くの地域では、サマヌーと呼ばれる麦芽のお菓子が作られ、ハフトスィーンに飾られます。サマヌーは、独自の慣習によって集団で作られます。イランの家庭では、通常、新しい年を迎える前夜に特別な料理が作られ、家族は親密な空間の中で共に夕食を取ります。


お墓参り
この他、古くから行われるノウルーズ前の儀式のひとつに、亡くなった人に追悼を捧げるものがあります。人々は墓地を訪れ、食べ物を持っていって他の人々に配ります。この日、人々はパンやナツメヤシなどの食べ物を近親者の墓に置き、最近、亡くなった人の墓にろうそくの火をともします。イランの一部の地域では、ノウルーズの前日、その年に家族に不幸があった人たちが近親者にハルヴァーと呼ばれるお菓子を振舞い、亡くなった人の墓の周りに集まります。イランの人々はこのようにして、亡くなった人を忘れていないことを示します。

恵まれない人々への援助
この他、新しい年を迎える際のイラン人の儀式のひとつに、恵まれない人々への援助があります。毎年、新しい年が近づくと、イラン全国で、恵まれない人々を助けようとする行為が見られます。イランの人々は、特に一年の終わりに他人の問題の解決を助けることは、神に好まれる非常に貴重な行為だと考えており、イスラム教徒は、自分の力の及ぶ限りで、他人に援助の手を差し伸べます。そのためイランの人々は、毎年、一部の政府系機関や民間組織の呼びかけにより、恵まれない人々も喜びの中で新年を迎えることができるように努力するのです。
 

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