ラマザーンへのいざない
ガドルの夜
ラマザーン月が重要なのは、いくつかの理由によります。まずこの月、イスラム教徒は断食を行う義務があります。
断食とは日の出前から日没後まで、一切の飲食や断食を無効にするような行動を避けることです。そのほか、ラマザーン月の重要性には、この月にあるガドルの夜も、この月の重要性のひとつです。イスラムの聖典コーランは、この夜に預言者ムハンマドに下されました。
ほとんどの宗教では、信者を欲望やマイナスの力から解放するために、苦行のようなものを薦めています。この苦行のようなものは、禁欲や節制のための訓練です。禁欲や節制は啓示宗教だけのものではありません。この信仰心や禁欲により、人間は欲望や本能のくびきから解放され、真の英知の道を歩むようになります。最後の啓示宗教として神から人間に下されたイスラムは、信仰心を強めるために、完全な支持を提示しています。イスラムの宗教的な義務の一部として、1日5回の礼拝と断食があげられます。コーランや伝承によりますと、断食の最も重要な効果とは、信仰心の強化と、創造主である神に近づくこととされています。
断食とは飲食が制限されることに限られません。断食を行う人は、見るべきでないものから目をそらし、うそなどの聞くべきでないことから耳をふさぎます。また、断食を行う人は、不適切な内容を発言するのを避けます。
断食を行い、見るのが好ましくないものから目を閉じることにより、神の僕は、嫉妬やうそなどの醜いな行動を避け、より高い効果を得ることができます。断食は罪に対する忍耐力を高めます。この効果は次第に心や精神に定着するようになります。断食や禁欲の訓練を繰り返すことで、人間は罪から遠ざかるのがより簡単になり、その人の中に美徳が養われていくのです。
断食とは、空腹やのどの渇きに耐え、貧しい人々や苦しい状況にある人々の状態を認識し、自分を彼らの立場に置き換えることで、彼らの困難な状況について考えるようになります。また、空腹やのどの渇きを覚える断食は、最後の審判の日を思い起こさせ、最終的に、自分の行動を振り返り、善行を行うようになります。問題に対する忍耐力と自信や意志の強化、心の平穏なども、断食による効果として挙げられます、断食がほかのものと同じように宗教的行為のひとつとされていることから、これは心に喜びをもたらし、精神的な健康に効果を及ぼします。
物質的な欲望の中ですべての力を使えば、精神をはぐくむ機会は失われます。このため、断食はよりすばらしい哲学を含んでおり、人間が肉体という檻から解放され、完全性の道を歩むために、精神を養うのに必要な下地を整えるものだと結論付けることができます。
イスラム教徒の間では、神と関係を築く最高の機会と考えられている、ガドルの夜が控えています。
ここで、コーラン第97章、アルガドゥル章、みいつの朗誦を聞きください。
神はガドルの夜を千の月、つまり人間の寿命よりも尊いとしています。そのため、この夜に、礼拝や喜捨などの善いおこないをすることは、生涯を通じての善行や宗教的行為よりも高い価値を持っています。ガドルの夜に祈祷することは、神に受け入れられるための適切な下地となります。この夜における、神に対する祈願で最も重要なものに、健康への祈願があります。預言者ムハンマドは、ガドルの夜に健康を祈願するよう語っています。
ガドルの夜はまた、思考すべき夜でもあり、われわれの行動そのものや、行動の模範について見直すのに適切なときです。明らかに、高い価値を持つこの夜に考えることで、多くの恩恵やよい影響がもたらされます。特に、ある年齢に達した人にとっては、自分どこから来たのかと、この世界にどのような目的があるのか、最終的にどこに行くのか、いうことを考えるのによい機会です。このように考えることで、明らかな真理の道が開けるようになります。このため、言行録では、一時間の思考は70年の宗教的行為よりも高い価値があるとされているのです。
信仰心がいかにつよくとも、しばしば人間は悪魔の誘惑に負け、罪の道を歩むこともあります。しかし罪を償い、戻る道はあるのか、という問いには、そうだと答えるべきでしょう。神はその広い恩恵により、僕たちに対して罪を悔い改め、引き返す道を用意しています。もし、罪人が実質的な悔悟を覚え、神に対して悔いるのであれば、神はその人を救います。しかしそれは、その過ちが繰り返されないような形で悔悟することが条件となります。ガドルの夜は、神に対して悔悟するのに最適な夜なのです。