9月 13, 2023 20:27 Asia/Tokyo

皆様こんにちは。シリーズでお届けしております「ペルシャ語ことわざ散歩」、今回は動物にまつわることわざをご紹介してまいりましょう。

本日お届けすることわざは、「いずれの猫も神の満足のためにネズミを捕ることはない」です。

ペルシャ語での読み方は、Hiich gorbe-ii mahz-e rezaa-ye khodaa muush nemi-giirad となります。

ネズミを捕るという行動自体、見つけて追いかけて捕まえるには、それ相当の時間とエネルギーを必要とします。

しかし、皆様もすでにご存じのように、猫は本能的に、また自らの空腹を満たすためにネズミを捕まえるのであり、そこには誰かのためといった善意などはなく、ましてや宗教心など全くないことははっきりしています。

このことから、この表現は特に、表向きには誰かのためを装って何かをするものの、そこには見返りを求めるという下心が隠れている場合、または悪意をもって自分のために人の何かを悪用することなどを表しています。さらには、表面上は誰かのために何かをしているように見えるものの、実際には自分の目的や欲求を満たすためである場合も、このことわざが当てはまります。

実際に、イスラム教国のイランでは、特に宗教上の偉人の生誕日や殉教記念日、さらにはラマザーン月などに、食事などを無償で人々に提供する光景が見られますが、これこそはまさに、「神のためにする行為」だと言えます。そして、その食事をふるまわれた側も返礼として「神に認められますように」という言葉かけをします。

ところが、例えば金銭的に恵まれた人に対し、表向きにはいろいろとお世話を焼いて親しくしてくるものの、その本当の目的がその人に金銭面での援助を期待することだった場合、それまでに行われた親切は、下心のある、または見返りを期待する、さらには悪意をはらんだ表向きの慈善行為になってしまいます。

こうした事例は、世界各地で頻繁に起こっていると考えられますし、誰かの親切や善意を素直に受け取っていい場合と、そうでない場合があることに留意し、相手の行動の裏に隠れた思惑を読み取ってから判断したいものですね。それではまた。

この番組は、IRIBイランイスラム共和国国際日本語通信パールストゥデイがお送りしています。

 


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