ペルシャ語ことわざ散歩(195 )「自分の尻尾でクルミを割る」
皆様こんにちは。イランで実際に使われているペルシャ語の生きたことわざや慣用句をご紹介するこのシリーズ番組、今回は、「自分の尻尾でクルミを割る」という表現をご紹介してまいりましょう。
この表現は、ペルシャ語では Baa dom-esh gerduu mi-shekane と発音されます。
この慣用句が意味しているのは、非常に喜んでいること、手放しで喜んでいる様子ですが、どちらかというと嘲笑的、ネガティブな意味を含んでおり、嬉しさのあまり自分が何をしているか、または現実として何が起こっているかに気付かない、といった意味で使われています。
この表現は、ネズミが持っている習性に由来しています。ネズミはクルミを非常に好み、殻を被ったままのクルミを見つけると非常に興奮し、餌を見つけた嬉しさから尻尾でクルミを割ろうとします。しかし、ご存じの通りクルミは非常に硬いため、人間でも相当の力をかけるか、何か硬いものを打ち付けるか、専用のくるみ割り器を使わなければ割れません。
そこで、クルミを見つけただけで大喜びし、その一時的な喜びに駆られて尻尾でクルミを割ろうとするネズミの様子から、この表現が生まれました。
日本語でも、「嬉しさも半分」、「ぬか喜び」、「手放しでは喜べない」といった、本当に心からは喜べないことを表す表現がいくつか存在します。
表向きには喜ばしいと思われる出来事だったとしても、思わぬ悪いことと抱き合わせであったり、実際にはそれほど現実の改善にはなっていなかったり、一時的にはよくても長続きしない、またはその後にがっかりさせられるような出来事はよくあるのではないでしょうか。
例えば、それまで金銭的につらい状況が続いていた人が何かの臨時収入を得て、非常に喜んでいたものの、しばらく経つと再び経済的な困難に悩まされる、といった状況が当てはまるかと思います。
以上、今回はネズミの習性にまつわる表現をご紹介しました。それではまた。
この番組は、IRIBイランイスラム共和国国際日本語通信パールストゥデイがお送りしています。