繰り返されるナイジェリアのシーア派弾圧
ナイジェリアに住むシーア派イスラム教徒の人々は、距離が遠く、また資金の問題により、イラク南部カルバラでのシーア派3代目イマーム・ホサインの殉教から40日目となるアルバインの行進に参加することができませんでした。このため、自分の町から、北部のザリアまで行進を行いました。
今年も、昨年と同じように、アルバインに際して、ナイジェリア警察がこの大規模な行進に対して、何の罪状もなく発砲し、これによりおよそ100人が殉教しました。
この数百年間、アルバインは世界のシーア派の人々の暦の中では、特別な日とされてきました。アルバインにイマームホサインの聖廟に巡礼することは、預言者の一族の言い伝えの中でも強調されている事柄で、それは敬虔さを示すもののひとつとなっています。シーア派の人々は、短い期間を除き、常に少数派として圧迫されながらも、イマームホサインの巡礼により自分や愛する人々が命を危険にさらすことがあってもこうした宗教的な慣習を維持してきました。アルバインの日においても、預言者の一族の敵の目を逃れて、カルバラの聖廟にたどり着きます。
一方で、現在、アルバインは世界的な行事となっています。2000万人のシーア派、預言者の一族を愛する人々、宗教的な人々による行進に、世界の人々は驚きの目を向けています。西側世界のメディアは戦火や不安定による苦しみを抱えているイラクの中心部での最大級の集会に目を背けていますが、イマームホサインの聖廟への巡礼の魅力は、毎日おおくの人々をこの地に導いているのです。
イラク中部ナジャフから南部カルバラへの行進
カルバラのアルバインに莫大な数の人が参加する中で、世界各地にはこの行進に参加できない多くの人が存在します。彼らは自分の国や町で行進することにより、イマームホサインの聖廟の巡礼を行いたい意思を示します。ナイジェリアでも、これに合わせて、大規模な行進が行われました。
ナイジェリアは1億5000万人の人口を持つアフリカ北部の国で、イスラム教徒とキリスト教徒の人口の割合は半々となっています。この国は40年前まで、シーア派の人々が存在していませんでした。しかし、1979年のイランのイスラム革命の勝利前、当時フランス・パリに留学していたザクザキ師は、国外追放処分でフランスに滞在していたイスラム革命創始者のホメイニー師に会見しました。彼はホメイニー師と会った後、預言者の一族に傾倒するようになり、イスラム革命の勝利と同時に、シーア派に宗旨替えしました。
ザクザキ師はナイジェリアで、同志のほとんどいない中で、預言者の一族に関する布教活動を行いました。彼は回想する中で、同志が27人に増えたときには、大きな希望と喜びを持ったと語っています。ザクザキ師が布教活動を始めてから40年もしないうちに、ナイジェリアにはシーア派の人々が2000万人にも増え、そのほとんどはシーア派でない家庭出身の人々です。彼らはこの期間に、預言者の一族の教えを知り、シーア派に転向しました。
ザクザキ師
現在、イスラム教徒も、イスラム教徒でない人も、カルバラのシーア派の人々の行進を知っています。一方、イスラムの敵は、全力でこの出来事を妨害しようとしています。
一方で、ナイジェリアの抑圧されたシーア派の人々の大規模な行動は、ほとんど伝えられていません。カルバラにいけないほとんどのナイジェリア人は、80キロから160キロにわたり行進し、北部ザリアの宗教施設・ホセイニエと赴きます。ザクザキ師は、ナイジェリアのシーア派の人々が集い、活動を行うためにこのホセイニエを建てました。この大規模な行進の参加者は、およそ800万人に達しており、その中にはほかの宗教の信者や、一部のキリスト教徒も混じっていました。
北部カドゥナのキリスト教徒がアルバインの行進に参加したことは、イマームホサインの蜂起の正しさを伝えようとしてシーア派の人々が純粋な努力を行っていることを示しています。キリスト教のある聖職者は、アルバインの行進に参加した理由について、記者に次のように語りました。「なぜ正義のための行事である行進やイマームホサインとの連帯の表明を行うべきではないのでしょうか。われわれは少しでも、イマームホサインの殉教後の預言者の一族の苦しみを理解したいのです。」
イマームホサインを正義と自由の象徴だとする数百万人のシーア派は、ザリアに向かいますが、ザリアはテロ組織ボコハラムの攻撃が頻繁に行われており、またナイジェリアの軍もこのところ常にシーア派の人々の命を脅かす存在となっています。
一方、イラクでは、アメリカやその同盟国が武器などの支援を行っているテロ組織ISISは、あえてアルバインの行進に近づこうとはしません。しかし、ナイジェリアの抑圧されたシーア派の人々は、安全のない中、危険を知りながら、ホサインの慈愛の道を歩んでいます。
しかし、ナイジェリアのシーア派の人々は、陸路をほとんど何の備えもない中で進んでいきます。一方、この困難や危険の中であっても、その意志がくじけることはありません。彼らは命を懸けていますが、イマームホサインを見限ることはありません。同じように、今年もアルバインに際して、行進を行っていた数十人がナイジェリア軍の銃撃を受け殉教しました。この銃撃によるもっとも小さな今年の殉教者は、3歳のゼイナブちゃんという女の子でした。軍は殉教者の遺体を、7体以外を隠し、遺族への引渡しを拒否しました。
アルバインの殉教の追悼儀式の参加者に対する襲撃
イスラム運動に対するナイジェリア軍の暴力的な行動は、以前から見られていました。2015年12月、ナイジェリアの軍はシーア派の人々が軍用車の通行を妨害しているという理由で、あらかじめ立てられた計画の中で、ザリアの町にて1千人近くのシーア派の人々を虐殺しました。軍はザリアのホセイニエを破壊し、ザクザキ師の家に放火しました。彼らはザクザキ師の家にいた女性や子供らを殺害したり、負傷させたりしました。この中で、ザクザキ師の3人の息子は、両親の目の前で殺害されました。
最終的に、軍は、重傷を負っていたザクザキ師とその妻を不明な場所に連行し、今日まで拘留しています。ナイジェリア軍はほとんどの殉教者の遺体を家族に引き渡すのを拒否しており、300人以上が集団墓地に埋葬されました。この事件の数ヶ月前、ナイジェリアの治安部隊は、抗議者に攻撃を行い、発砲し、これによりザクザキ師の息子3人を含む33人が殉教し、数十人の市民が負傷しました。
2015年、ナイジェリア軍よる千人近くの虐殺
ナイジェリアのシーア派に対する犯罪は、西側メディアの完全な沈黙と、イスラム諸国政府の無関心により、続けられています。しかし、このようなシーア派に対する組織的な犯罪が数多く行われているにもかかわらず、ナイジェリアのシーア派はスンニ派、キリスト教徒の人々にとっても、穏やかで道徳的な人々として知られています。彼らの美しい行動のひとつは、イマームホサインの殉教日のアーシュラーや、アルバインにおいて、献血を行うことです。
ナイジェリアのシーア派の人々は、すばらしい道徳と崇拝行為により、ほかの人々に信頼されています。これは、ナイジェリアでこの宗派が急速に広まった一つの理由です。ザクザキ師は、政府の腐敗や、シオニスト政権イスラエル、ワッハーブ派との関係に抵抗する中で、人々を目覚めさせる責務を果たしていますが、彼に従う人々に対して、目的達成のために暴力に訴えてはならないとしています。また、世界ゴッツの日の行進で息子3人が殺害された後も、ザクザキ師は人々に平静を保つよう呼びかけました。
今年のアルバインの行進は、ザクザキ師が深刻な形で負傷しているのにもかかわらず、医療処置が受けられない状況で1年近く拘留されている中で行われました。こうした中、ザクザキ師がナイジェリアの中で基盤を築いた運動は、日に日に多くの支持者をえているのです。