コーラン第27章ナムル章蟻(3)
今回も前回の引き続き、コーラン第27章ナムル章、蟻を見ていくことにいたしましょう。
慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において
ナムル章は、数人の神の預言者がたどった運命と、迷いに陥った偶像を崇拝する民との預言者たちの闘争について述べています。
コーランはこれらの物語を語ることによって、当時、メッカで少数派であったイスラム教徒を慰めようとしています。コーランはまた、頑なな多神教徒に対しても、反抗的な民が、歴史の中でどのような結末を迎えたかに注目させ、怠惰の眠りから覚まさせようとしています。
ナムル章は、預言者ソレイマーンとサバーの王妃、ベルゲイスの物語を述べた後、預言者サーレハのたどった運命について語っています。
神は、サムードの民の一人であった僕のサーレハを預言者に任命し、サムードの民を迷いや無知から救わせようとしました。預言者サーレハは、人々を唯一神の信仰へといざなうために様々な方法を用い、彼らに忠告を与えました。サーレハは自らの民に言いました。「唯一の神を崇拝し、何ものも神と同等に並べてはならない」 明らかに、神への服従は、全ての預言者たちの教えの中心となるものです。しかし、偶像を崇拝していたサムードの民は、預言者サーレハの唯一神信仰への呼びかけを拒否し、偶像への崇拝を続けました。
サムードの民の間で、誰よりも地上で堕落していたのは、9人の指導者たちでした。これらの指導者は皆、自分の周りに支持者を集めていました。この小さなグループはそれぞれの方針を持っていましたが、一つの事柄について、共通性を有していました。それは、地上に堕落を引き起こし、社会や道徳の秩序を乱すことでした。彼らは誤った道を続け、自分たちの行いを決して改めようとしなかったのです。
サーレハが預言者となり、彼の清らかな教えが広められたことにより、堕落したグループの人々は窮地に立たされました。そのため、密かにサーレハを殺害しようと企て、彼とその家族を夜の間に襲って殺害すると誓いました。彼らは共に相談しあい、預言者サーレハの支持者や親類が殺害者を探し出そうとしたら、何も知らないふりをし、サーレハの殺害には全く関わっておらず、それを目撃してもいないと証言することにしました。
町の傍らには山があり、そこには洞窟と穴がありました。サーレハは時折、夜の礼拝を行うためにそこを訪れていました。敵たちは陰謀を実行するために、密かにその山に行き、岩陰に隠れてサーレハを待ち構え、そこに来たら殺害し、そのまま自分たちの家に帰ろうとしていました。しかし、神は不思議な方法で、彼らの陰謀を退けたのです。彼らが山の一角で待ち構えていたとき、山が崩れ落ち、大きな岩が山の上から離れて、一瞬のうちに彼らを叩きのめし、滅亡させてしまいました。コーランは、ナムル章の第50節から53節で、これについて次のように語っています。
「彼らは大きなことをやろうとし、我々も大きなことをしようとした。だが彼らは理解していなかった。見るがよい。彼らの陰謀の結末がどのようなものであったかを。我々は彼らとその民を一度に消滅させた。これが、圧制によって空になった彼らの家である」
ナムル章の60節から先は、神の恩恵について述べるとともに、神の恩恵の12の例を指摘しています。これは、第64節まで、質問の形で続けられており、立証する答えが提示されています。初めは、天と地の創造、雨と雨による恩恵について触れています。第60節を見てみましょう。
「天と地を創造したのは誰か?彼はあなた方のために天から雨を降らせた。我々はそれれで美しい庭園を生い茂らせた。その木を生えさせることは、あなた方にはできなかった。神の他に崇拝の対象があろうか?だが彼らは逸脱した民である」
実際、人類の行いは、種をまいたり、苗を植えたりして、水をやることだけに限られます。しかし、この種に生命を与え、それを生育させるようにと太陽の光り、雨や土に命じるのは神です。これらは、誰かが否定することも、また神以外のものに関連付けることもできない事実です。神は天と地の創造主であり、雨を降らすお方です。また、生命の世界のあらゆる美の起源です。美しい花とその周りについた繊細な葉を注意深く観察すれば、その創造主である神の偉大さと力を理解することができるでしょう。