コーラン第29章アンキャブート章蜘蛛(1)
今回から、コーラン第29章アンキャブート章蜘蛛に入ります。
慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において
アンキャブート章は、コーランの29番目の章で、メッカで下され、全部で69節あります。この章の第41節には、「多神教の住み処は蜘蛛の巣のように脆いものだ」とあります。そのため、この章は、「蜘蛛」と名づけられています。
アンキャブート章では、信仰、人類の責務、神の試練、神の預言者たちのたどった運命、神以外のものを拠り所にすること、といった問題が述べられています。
アンキャブート章の第1節と2節を見てみましょう。
「アリフ、ラーム、ミーム。人々は、『私たちは信じます』と言いさえすれば解放され、試練に立たされることはないと考えたのか」
アンキャブート章の最初の節は、神の試練について述べている他、自分の信仰に誠実な人々と、誠実ではない人々の状況を明らかにしています。この2つの節は、神の試練という人類の人生の最も重要な問題の一つに触れ、次のように語っています。「人々は、信仰を口にし、唯一神の信仰と預言者の使命を証言すれば、そのまま解放され、試練に立たされないと考えたのか?」
試練とは、神の不変の掟であり、以前の民たちにも行われました。とはいえ、この試練は、神が、僕たちの信仰の度合いを知るためのものではありません。アンキャブート章の第11節でも、次のようにはっきりと述べられています。
「間違いなく、神は敬虔な人間を知っており、偽善者を知っている。この試練の本来の目的は、人類の能力を育てることである。この試練の中で、人間は自分をよりよく知り、信仰の度合いを測る」
様々な災難や苦難、好ましくない出来事、戦争、干ばつ、物価の高騰、独裁政権、欲望の波、これらは皆、人類を試すための手段です。こうした困難の中でこそ、真の信仰が明らかになります。言い換えれば、様々な出来事や状況の中で、人間の本質が明らかになり、その人の能力が開花します。とはいえ、この中で、口先では信仰を告白しても、心の中では信仰を持たない人々がいます。敬虔な人間はしっかりと地に足がつき、安定した人格を有していますが、反対に、偽善者たちは、不安定で日和見主義です。彼らは敬虔な人間が勝利し、成功すれば、彼らの仲間に加わり、その成果や利点に授かろうとします。コーランは、そのような人々の特徴について次のように語っています。
アンキャブート章の第10節には次のようにあります。
「また、中には、『私たちは神に信仰を寄せました』と言いながら、一度神の道において嫌がらせを受けると、神の責め苦と見なす人々がいる。そして、もし神から助けと勝利が届けられれば、彼らは言う。『私たちもあなたたちと共にいた』 神は世界の人々の胸の中にあることをよりよく知っているのではないか?」
メッカに住む一部の人は信仰を寄せ、イスラムを受け入れました。しかし、彼らの母親はそのことに気づくと、まず、子供たちにイスラム教を捨てさせるために、食事をせず、水も飲みませんでした。とはいえ、母親たちの中にも、その決意をずっと保ち続けた者はなく、まもなく食事や水を取り始めました。これについて、アンキャブート章の第8節が下され、多神教徒の父親をはじめとする両親とどのように接したらよいかについて、明確な方法を提示しました。まず、次のように語っています。
「我々は、人間に両親に孝行するようにと勧告した」
人間は、どのような状況にあっても、両親に孝行すべきであり、人生の中で、両親を尊重し、大切にすべきです。イスラムは、両親に最高の敬意を表しています。これは実際、神の大きな試練のひとつです。彼らは年老いて、その面倒を見るのが困難になっているかもしれません。そのとき、子供たちは神の命に従っているかを見極めるための試練に立たされ、最高の敬意と謙虚な態度で両親の面倒を見る必要があります。こうした中、両親への愛情が、神と人間の結びつきを超えうると考える人がいないようにするために、神は例外を挙げ、次のように語っています。
「もし2人が、あなたが知らないことを神と同等に配すようにと努めても、彼らに従ってはならない」
これに基づき、もし両親が多神教徒で、子供たちに多神教信仰を勧めても、彼らに従ってはなりません。またその場合でも、両親には常に孝行し、敬意を持って、謙虚な態度で接する必要があります。