6月 11, 2022 18:12 Asia/Tokyo
  • イスファハーンのジャーメモスク
    イスファハーンのジャーメモスク

今回はまず、イスファハーンのジャーメモスクをご紹介しましょう。

イスファハーンのジャーメモスク

 

ジャーメモスクは金曜モスクとも呼ばれ、金曜礼拝、集団礼拝が行われる場所で、普通のモスクよりも規模が大きく、各都市にあります。イスファハーンのジャーメモスクは、イランの歴史遺産の中でも最も古く、最も貴重な建造物であり、世界の文化遺産のひとつとなっています。この建造物は、ブワイフ朝、セルジューク朝、サファヴィー朝の各時代に行われた修復や改築を経て現在の形になり、過去1000年のイランのイスラム建築を融合しています。

 

イスファハーンのジャーメモスク

 

イスファハーンのジャーメモスクは、755年に建設されました。様々な資料から、このモスクの建物は、イスラム初期の非常にシンプルな形で建設されましたが、時の経過と共に改築が行われ、様々な部分が加えられたことが分かっています。それぞれの部分は、それが作られた時代の建築様式を示しています。建物を見れば、様々な時代の建築様式が存在することは完全に明らかであり、そのことに関して、専門家の見解は一致しています。

 

イスファハーンのジャーメモスク

 

7世紀から8世紀にかけて、イラン人は、少しずつイスラム教を信じるようになり、壮麗なモスクの建設を思い立ちました。イランの人々は、数百年前から様々な建物を作ってきたため、モスクもイラン独自の建築様式で建設し、装飾しました。サーサーン朝時代の建物と、イランの初期のモスクが建築様式の点で似通っているのはそのためです。11世紀のイランの詩人、ナーセルホスローと13世紀の地理学者、ヤーグートハマヴィーが、1051年から52年に旅行記の中で記した、イスファハーンのジャーメモスクについての記述によれば、このモスクは11世紀に大きな繁栄を遂げていたようです。

 

イスファハーンのジャーメモスク

 

イスファハーンのジャーメモスクは、14世紀イスラム期のイランの建築の変遷を物語るのと同時に、歴史上の様々な出来事を経験してきました。現在のモスクの姿には、755年に建設されたシンプルなモスクの形跡はなく、その大部分は、11世紀から12世紀前半に、古い部分の代わりに建てられたものとなっています。現在のモスクは、大部分が、11世紀から12世紀前半のセルジューク朝時代のものであり、タイル細工や大理石などの装飾が、後の時代に加えられました。現在、このモスクでは、デイラム、セルジューク、ムガル帝国、トルキャマン、サファヴィー、ガージャールの時代の芸術作品を目にすることができ、この50年にも、大規模な修復工事が行われ、それは今も続けられています。

 

イスファハーンのジャーメモスク

 

イスファハーンのジャーメモスクには、4つのエイヴァーンと呼ばれるテラスがあり、それらは東西南北の4箇所に、互いに向かい合うようにして建設されています。このテラスと中庭の壁の向こう側には、別の建物があります。モスクに4つのテラスを設ける様式は、完全にイラン独自のもので、世界の他のモスクには見られません。もし別の場所で見られれば、それはイラン様式の影響を受けたものです。この様式が誕生したのは12世紀初めのことですが、1121年に起きた火災を受け、広く知られるようになりました。このモスクの図書館は、当時の文学や様々な学問の貴重な写本の存在と、その大きさという点で他に類を見ないものでしたが、そのときの火災で焼けてしまい、灰と化しています。

 

イスファハーンのジャーメモスク

 

イスファハーンのジャーメモスクには8つの入り口があり、その多くが建物の南東部にあります。また扉の上部には、ガージャール朝時代に装飾されたものが使用されています。モスクの中庭は、長さ70メートル、奥行き60メートルで、中庭の四方には様々な名前のテラスがあります。モスクの西のテラスの北側には、小さなモスクがあり、オルジャイトモスクと呼ばれています。オルジャイトというのは、イルハン朝の君主の名前でした。このモスクの貴重なメフラーブ・メッカの方向を示す壁がんは、最も重要な装飾のひとつで、イランの漆喰芸術の最も優れた作品と見なされています。概して、イスファハーンのジャーメモスクに見られる歴史的な作品には、様々な建築様式の他、アラビア語やペルシャ語の様々な書体の詩が、散文や韻文の形で見られます。

 

イスファハーンのジャーメモスク

 

イスファハーンのジャーメモスクは、1400年に及ぶイスラム期のイランの建築の歴史を展示した博物館のようになっており、様々な時代のタイル、漆喰、レンガによる装飾が施されています。そのため、このモスクは、イスラム期のイランを代表する歴史的な建造物であるということができます。アメリカのイラン学者、ポープ博士は、イスファハーンのこの壮大な歴史遺産についてこのように記しています。「この建物は、神秘的な壮麗さにより、世界で最も美しい建築作品のひとつである」

ジャーメモスクの西側には、モッラー・モハンマド・タギー・マジュレスィーと、彼の息子であるモッラー・モハンマド・バーゲル・マジュレスィーの2人の墓があります。彼らはサファヴィー朝時代の名高いイスラム法学者であり、宗教学の分野で貴重な作品を残しています。父親のモハンマド・タギー・マジュレスィーは、17世紀の偉大な学者です。彼はイスラム法学、神学、神秘主義哲学、文学など、ほとんどのイスラム学の分野に精通していました。

 

イスファハーンのジャーメモスク

 

息子のモハンマド・バーゲル・マジュレスィーは、最も著名で偉大なシーア派イスラム法学者の一人です。彼は1628年にイスファハーンで生まれ、父親の教育を受けました。この学者が亡くなったのは、1698年から1700年頃のことだと言われています。モハンマド・バーゲル・マジュレスィーは、当時のおよそ全ての学問に精通し、あらゆる学問に関して論文を記しています。また、イスラム法学、教義、神学、哲学、そして何よりハディース学に関して、幅広い知識を有していました。彼は、イスラム法学者の中でも、多くの作品を書き記し、その数は、ペルシャ語のものが86タイトル、アラビア語の書籍や論文では73タイトルとなっています。

 


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