6月 15, 2022 15:31 Asia/Tokyo

今回は、イスファハーンのジョルファーという地区にある、「ヴァーンク」という名の教会についてお話いたしましょう。

ヴァーンク教会

 

ジョルファーは、イスファハーンの町に、サファヴィー朝時代に建設された地区です。この地区の住民はアルメニア・キリスト教徒で、アラス川のほとりにあるジョルファーという町から、この地区に移住してきました。アルメニア・キリスト教徒がジョルファー地区に移住したのは、1605年のことでした。

ジョルファー地区は、ザーヤンデルード川の南側にあり、かつてはアルメニア・キリスト教徒だけが住み、商業活動を行っていましたが、現在は他の民族も暮らしています。アルメニア・キリスト教徒の存在により、イスファハーンには数多くのキリスト教会が存在し、その一部は大きな重要性を有しています。中でも歴史のある古い教会としては、ハークーブ、ギユールク、マリヤム、ベイトルラフム、ヴァーンクの名をあげることができます。イスラム教国であるイランに、これらのキリスト教会が存在することは、宗教の少数派、他の啓示宗教を尊重するというイスラムの教えに根ざしています。

 

ヴァーンク教会

 

ヴァーンク教会は、ジョルファーにある最も美しい教会で、サファヴィー朝のアッバース2世の時代に建設されました。この教会は、アルメニア語で、救いの人、を意味する「アーメナー・ペルキーチ」と呼ばれ、センスールという名でも知られています。ヴァーンク教会には、大きなドーム、壮大な壁、美しく背の高いアーチがあります。教会の中庭は、平行四辺形になっていて、そこには礼拝所と賛美歌を歌う場所があります。教会の壁の一部は、様々な色のタイルで覆われています。壁の上部には、聖書の内容を題材にした美しい絵画が描かれていて、ドームの内側の一面を飾っています。ドームの周囲には、アルメニア教徒の画家により、アダムとイブの物語が描かれています。教会の非常に美しい祭壇にも、イエスキリストの姿などが描かれています。またドームの外側にタイル細工はなく、レンガで覆われているのみとなっています。

 

ヴァーンク教会

 

ヴァーンク教会には2つの入り口があり、メインの入り口の扉は大きな木材でできています。廊下を過ぎると階段があり、その右側には、鐘を鳴らす鐘楼があります。この壮麗な塔は、4つの石の柱でできています。教会の中庭には、イスファハーンで亡くなった、ヨーロッパ諸国のアルメニア・キリスト教徒の政治家や偉大な聖職者たちが埋葬されています。教会の敷地には、礼拝所や祭壇の他に、博物館、印刷所、図書館などの建物があります。ヴァーンク教会の博物館には、数多くのサロンがあり、非常に美しい絵画や聖書など、貴重な芸術品が保管されています。この博物館にある聖書の中で、最も興味深いものは、7つの言語で記されたもので、その重さはわずか7グラムしかなく、世界で最も小さな聖書のひとつとされています。概して、ヴァーンク教会の壮麗さは、イスファハーンのアルメニア教徒の芸術家の繊細な魂を物語るものだと言えるでしょう。

 

ヴァーンク教会

 

ザーヤンデルード川の傍らにある庭園には、アメリカのイラン学者、ポープ博士とその妻の小さな墓が建てられています。これは、イラン人の奥深い文化が、世界中の人々に影響を与えてきたことを思い起こさせるものとなっています。イランの類まれなる自然、芸術、文学、文化、歴史は、深い魅力があり、多くの人々をひきつけてきました。そうした人の中には、貴重な人生の多くの時間を、イランに関する研究に捧げたた人々がいます。ポープ博士も、イランとイランの芸術に魅了された人物の一人でした。彼は人生のほとんどをイランの研究と紹介に費やし、イランと世界の他の国々が、互いをよりよく知ることができるよう、友好と交流に力を尽くしました。

 

ヴァーンク教会

 

ポープ博士は、イランとイランの芸術について、数多くの本を執筆しました。そのひとつに、「イラン芸術研究」があります。これは16冊からなり、英語で記されましたが、その一部がペルシャ語にも翻訳されています。この本には、5000枚に及ぶカラーや白黒の写真と、70名を超える世界の著名なイラン学者が記した3000ページに及ぶ研究内容が掲載されています。この本は、建築、陶器製造、金属細工、象嵌細工、彫刻、漆喰細工、絵画、製本、ミニアチュール、じゅうたん織りなどのイランの全ての芸術を取り上げています。

 

ヴァーンク教会

 

ポープ博士の著書、「イラン芸術研究」は、イランの芸術に関する最も包括的な書物となっています。この他の彼の著作には、「イランの建築」、「イラン芸術の傑作」、「初期の陶磁器」、「イランのミニアチュール」、「イラン建築、形と色の勝利」、「イラン絵画の旅」などがあります。このイラン学者は、晩年、かねてからの望みであった、イラン南部の町シーラーズに滞在し、死後はその遺志に従い、イスファハーンの墓地に埋葬されました。

ヴァーンク教会

 

ポープ博士は、自身の埋葬地としてイスファハーンを選んだ理由を、このように記しています。

「イスファハーンは私の大好きな町である。そこで最も重要な研究活動を行ってきた。イスファハーンを終(つい)の棲家に選んだのは、この町の学者や指導者、雄弁家や芸術家たちが非常にすばらしい才能を持っており、それが他国の人々の最大の賞賛を得ているということを、イランの人々に示したかったためである。そして、私の墓に来る人々に、もし誰かがイランに埋葬されたら、それは偶然などではなく、この町の神聖さに対する深い思い入れによるものだということ、イランの精神的な地位を理解た者にとって、そこが終の棲家となることは誇りである、ということを証明したい。私はこれによって、イスファハーンとその町の偉大な人々、そしてその未来を深く信じているということを示したいのだ」

 


ラジオ日本語のソーシャルメディアもご覧ください。

Instagram    Twitter    urmediem