アメリカン・ヒストリーX(2)
この時間も、前回に引き続き、「アメリカン・ヒストリーX」の2つのシーンを解説しながら、黒人と白人の互いに対する憎悪について見ていきましょう。
前回は、デレクと弟のダニーが、父親が黒人に殺された後、ロサンゼルスの人種差別団体に加わり、アメリカの黒人や有色人種に対する彼らの嫌悪が高まっていったことについてお話ししました。
この時間はまず、17分から始まるシーンを見ていきましょう。
このシーンでは、デレクが、同じグループの仲間たちとともに、バスケットボールをする黒人たちと運命的な戦いに挑もうとします。白人と黒人の2つのチームのうち、負けた方が、永遠にそのバスケットコートを去らなければならなくなります。
デレクがシャツを脱ぐと、ナチスのシンボルマークであるハーケンクロイツの入れ墨があらわになります。デレクは黒人チームのキャプテンに近づき、自分もゲームに参加し、白人対黒人で勝負をしようと言います。黒人のキャプテンは、いくら賭けるかと尋ねます。しかしデレクは、金ではなく、バスケットコートをかけようと提案します。それも、今日だけではなく、永遠に。もし黒人が勝てば、自分たちが去り、もし自分たちが勝った時には、黒人の方が喧嘩ももめごともなしに、コートを静かに去ることだと言います。
黒人チームもこの提案を受け入れます。白人チームは、デレクの活躍によって次々にポイントを重ね、リードします。黒人チームのキャプテンは、デレクがファウルをしたと主張し、デレクの顔に悪質な肘鉄を食らわせます。デレクの口から血が流れ、地面に倒れます。黒人のキャプテンは、彼に喧嘩を仕掛けます。デレクの仲間たちも、応戦して彼を黙らせてやれと言います。しかしデレクは、いや、バスケットで勝負しようと言います。
デレクと黒人のキャプテンは、憎しみとプライドに満ちたまなざしで互いににらみ合います。ゲームが続行されます。白人チームが勝利し、黒人チームは永遠にコートを去らなければならなくなりました。このシーンは、白人チームの勝利を称える音楽とともに幕を閉じます。
今お話ししたシーンは、カラーではなく白黒です。それは、自分たちとそれ以外の人々の間の境界を示しています。2つのチームの人々は、互いを名前ではなく肌の色で呼び合い、互いにさげすみあっています。これは、黒人と白人の若者の間の嫌悪を表しています。
また、戦いはゲームのコートをかけて行われますが、これは領土を示しており、黒人と白人は、同じ国や土地で暮らすことはできないということを暗に示そうとしています。どちらかしか留まることができず、もう一方は去らなければなりません。言い換えれば、黒人と白人が同じ場所で暮らすことは不可能であり、彼らが住む土地や国は切り離されなければなりません。
デレクは、この黒人チームのキャプテンを含む2人の黒人が、車を盗もうとしたために彼らを殺し、刑務所に入ります。
ここからは、アメリカン・ヒストリーXの77分から始まるシーンを見てみましょう。
このシーンでは、デレクが刑務所で、黒人とともに、刑務所のシーツを揃えてまとめています。デレクは苛立った様子でこの作業を続け、シーツを乱雑に並べます。そんなデレクの様子を見て、黒人が腹を立て、デレクに何度か注意しますが、デレクは耳を貸しません。黒人は、シーツの一枚を取り、白人至上主義団体のクークラックスクランの帽子のように頭にかけます。
黒人は、おどけた調子でこう言います。「分かった。これこそが俺のやりたかったことだ。一部の人々を嫌うんだ。今日したいのはそのことだ。黒人を嫌うのだ。黒人のことはわからないが、それでも嫌うんだ。僕のいとこは今刑務所で、黒人と一緒に作業をしてるんだが、イライラさせられている」
デレクは何も言いませんが、黒人のおどけた芝居を気に入った様子が、そのほほえみから分かります。彼はそれまでとは異なり、シーツをゆっくりと丁寧にたたんでいきます。黒人は、「ほら、それでいい。簡単なことじゃないか。これで落ち着いて作業ができて、互いに干渉せずに済む」と言います。
このシーンも、前のシーンと同じように白黒で、黒人と白人の境界を示しています。また、デレクは白い服を着ていますが、黒人は黒い服を着ています。これは、アメリカの若者たちが互いを否定しあい、名前ではなく、肌の色で互いを認識していることを示しています。
刑務所の白黒のシーンは、アメリカの人種差別が、若者たちにとって刑務所のように作用しており、彼らが自由に考えることを妨げていることを示しています。しかし、この刑務所のシーンでは、黒人が、デレクと友好を築こうとします。デレクもまた、黒人の好意を拒みながらも、自分の偏った考え方を破るための口実を追い求めています。
デレクは、黒人の陽気な性格によって、自分の盲目的で狂信的な考え方を捨て、彼と仲良くなります。
アメリカン・ヒストリーXでは、黒人と白人が持つ個人的、社会的な特徴は、一定ではありません。あるシーンでは、黒人が忍耐強く、論理的で心の優しい人々に描かれていますが、別のシーンでは、白人がそのように描かれています。
社会的にも、文明的で協力的、また反対に、破壊的で非協力的、という特徴が、白人にも黒人にも見られます。低い階層の黒人がいる一方で、博士号を持つ教師の黒人も存在します。
以前にこの番組でご紹介した、「招かれざる客」では、白人と黒人の関係というタブーを破ることは、個人や家族のレベルで描かれていました。しかし、このアメリカン・ヒストリーXでは、人種の問題が、地域や社会という広いレベルで扱われ、この憎しみや嫌悪を取り除く解決策が追い求められています。
この映画は、人種差別の破壊的な意味を訴えています。黒人と白人は、誤った行動や見方によって、決して友好関係に至ることができません。そのような関係を築くためには、肌の色の違いによる嫌悪を捨てなければなりません。デレクが父から受け継いだ偏った考え方は、家庭の崩壊を招きます。デレクは刑務所に入り、弟のダニーは殺されてしまいます。
アメリカン・ヒストリーXは、これまでにこの番組でご紹介したハリウッドの黒人に関する映画とは異なり、アメリカ社会の人種差別を、黒人だけのせいにはしていません。中立な見方をしており、どちらも間違った考えを持ち、間違った行動をしていることを示しています。このような誤った考え方は、先人たちの考え方に根差しています。
デレクは、刑務所で、白人の冷徹さと黒人の心の温かさを経験した後、自分の過ちに気付き、偏った人種差別を捨てます。とはいえ、彼はそれに至るまでに、多くのことを犠牲にしました。母親はうつになってたばこを吸い、弟のダニーは、最後のシーンで、学校で黒人によって銃で撃たれて亡くなります。これは、人種差別がなおも、アメリカで続いていることを示しています。
1915年のバースオブネーションや、1927年のアンクルトムの小屋では、白人が黒人を完全に支配していました。1949年のピンキーでは、白人の支配が弱まっています。1967年の招かれざる客では、黒人がある程度の力をつけました。そして、1998年のアメリカン・ヒストリーXは、白人の優位や支配が大きく縮小されています。
白人が黒人に対して優位であるという考え方は、退廃をもたらします。アメリカでは、黒人と白人の間に友好を確立するための架け橋を求めるべきでしょう。今後の映画では、白人と黒人の関係が異なるものになると見られています。