12月 12, 2021 03:01 Asia/Tokyo
  • コーラン、天からの言葉
    コーラン、天からの言葉

今回も、コーラン第4章アン・ニサーア、婦人章をご紹介することにいたしましょう。

コーラン研究者の一部は、コーラン第4章アン・ニサーア章婦人、第135節について、「この節はコーランの中でも、人類の歴史と世界における公正についての最も偉大な表現になっている」と語っています。

 

「信仰を寄せた人々よ、常に公正に立ち上がり、神のために証言しなさい。たとえあなた方自身、あるいは両親、あるいは親戚に不利になったとしても。もし[争う両者のうちの一人が]富める者、あるいは貧しい者であっても、神はその2人によりふさわしい。そこで欲望に従い、[真理を]外れてはならない。もし逸脱したり、私欲に走ったりすれば、間違いなく、神はあなた方が行う事柄を知っておられる」

イスラム教はその教えの中で、人間は人生の様々な場面で度を越してはならず、個人的、社会的な問題においてバランスを保つようにとしています。そのためイスラムは、社会的な規律の基盤を、公正と真理を遵守することにおき、公正に基づく制度は永遠に続くとしています。そのため神は、敬虔な信者に対し、あらゆる問題において公正に行動し、証言を行う際には正直になり、個人的な都合を排除し、たとえ自分たち、あるいは両親、親戚に不利になったとしても、真理を隠してはならないとしています。この節は次のように強調しています。「公正を実行する上で差別を設けてはならない。富める者の財産に目がくらんだり、あるいは、貧しい者の困窮に情けをかけ、それが真理の証言の妨げになってはならない。どのような場合にも、神は彼らの状態をよりよく知っておられる」

 

宗教を個人的な問題としてのみ捉え、それを人間と創造主である神の個人的な関係に限る一部の人々の考え方とは異なり、神の宗教、特にイスラム教は、個人と社会の幸福を実現するための教えを提起しています。そして、宗教と信仰に必要なのは、約束を守り、社会において公正を実行し、責任を果たすことだとしています。この責任を果たすこと、そして統治における公正を守ること、この2つは、健全な社会の基盤と見なされ、この2つの原則が実行されていない社会が整えられることはないとしています。そのことは、コーラン第4章アン・ニサーア章婦人、第58節で述べられています。

「神は、預かり者を持ち主に返し、いつでも人々の間を調停する場合には、公正を守るようにと命じている。まことに神は、あなた方に有意義な忠告を与えている。神は全てを聴き、全てを見る方である」

 

神に他のものを配することは、人類社会に多くの損害をもたらします。アン・ニサーア章の第48節は次のように語っています。

「神は決して多神教崇拝を赦されない。それ以下のことであれば、神はお望みの者を赦される。また神に別のものを配する者は、大きな罪を犯している」

 

この節は、誰でも神に別のものを配する人は、明らかな迷いに陥っている、と警告を発しています。多神教信仰は許されない行為です。なぜなら、多神教徒は自分と神のつながりを完全に断ち切り、創造の原理と様々な宗教の根本に反する行いをしているからです。この節はまた、多神教信仰以外の罪なら、赦されるという重要な点を指摘しています。これは、神の赦しに希望を抱かせ、信仰を寄せた人を安心させるものです。あらゆる罪は赦しを得る可能性がありますが、多神教信仰だけは、罪を悔い改め、唯一の神に信仰を寄せない限り、恩赦の余地はありません。多くの人は、大きな罪を犯したために、神の慈悲への希望を失います。そのような失望感により、同じように誤った道を進み続けてしまいますが、神の赦しに対する希望は、罪や違反の継続を防ぐための最も効果的な方法なのです。

 

「信仰を寄せた人々よ、神に従いなさい。そして神の預言者と預言者の性質を持つ者にも。何かについて言い争いをしたのなら、それを神と預言者に委ね[、彼らに判断を仰ぎ]なさい。もし神と最後の審判の日を信じるのならば。これはあなた方にとってより良く、その結末はより良いものである」

これはアン・ニサーア章婦人の第59節です。明らかに、社会に公正が広まるのは、社会の運営が善良で公正な人物に委ねられたときです。この節は、敬虔な人間に対し、神と預言者に従うと共に、社会の管理を委ねられた、公正なその後継者、代理人に従うよう求め、それは神と最後の審判を信じるために必要なものだとしています。イスラムの預言者ムハンマドは、タブークの戦いに赴く際、シーア派初代イマーム、アリーをメディナにおける自らの後継者とし、次のように語っています。「アリーよ、あなたは私にとって、ムーサーにとってのハールーンに等しい」 このとき、コーラン第3章アールイムラーン章イムラーン家、第59節が下され、人々に、神と神の預言者、その性質を持つ人々に従うよう命じました。

 

社会的な協力、他人への親切、他人の親切へのお返し、これらは、社会関係における重要な問題であり、アン・ニサーア章で触れられています。この章では、両親への孝行が強調され、人々に、親類への善い行いに努めることが求められています。また、孤児や貧しい人、近所の人や友人たちへの善行も勧められています。とはいえ神が人々に求めているのは、誰かに親切にされたら、それ以上のことをして返す、ということです。これは、第86節にもあります。

「あなた方が挨拶をされたときには、それよりもよい[形で]挨拶を返すか、それと同様の挨拶を返しなさい。神は全てのことを計算される」

 

宗教の教えの一つに、人間が自らの責務を果たすことができないような環境、場所であれば、より安全な場所に移動すべきだ、というものがあります。イスラムは包括的な宗教であり、その教えは特定の場所や環境に限られたものではありません。人間は、自分の生まれ故郷だからといって、様々な侮辱や権利の剥奪に耐える必要はありません。それどころか、自らの崇高な目的を果たせないのであれば、そこを出て、精神的、物質的な成長を遂げられるような土地へと移り住まなければなりません。

 

至高なる神は、アン・ニサーア章の第97節で次のように語っています。

「天使たちは、自分に圧制を加えて魂をを奪われた人々に言った。『あなた方はどのような状態にあったか』 すると彼らは答えた。『私たちは自分の土地で圧制を受け、弱い立場にありました』 彼ら[天使たち]は言った。『神の大地は十分に広大なのだから、移住することができただろう』 こうして彼らの居場所は地獄である」

 

移住が必要に応じた正しい選択であれば、人間の成長段階における転換点と見なされ、物質的、精神的に多くの恩恵がもたらされます。アン・ニサーア章の第100節には次のようにあります。

 

 

「神の道において移住する者は、大地に安全で広く豊かな場所を得るだろう。また、神とその預言者へと向かって移住するために自分の家を追われる者は、死に襲われたとき、神から報奨を与えられる。神は慈悲深く寛容な方であられる」

 

コーランは、150から160の節で、啓典の民の考え方やユダヤ人による違反の例に触れています。イスラエルの民は預言者ムーサーに対し、神を目の前に示すよう求めました。その後、彼らの上に稲妻が襲いました。また、イスラエルの民は明らかな奇跡や証拠が示された後で、牛を崇拝の対象に選びました。彼らは約束を破り、神の節を否定しました。また、神の預言者たちを殺害するという、大きな罪も犯したのです。彼らはさらに、預言者イーサーの母、マリヤムの貞節を否定し、イーサーを殺したと主張しました。ここで神は、彼らのこの主張も偽りだとしています。アン・ニサーア章の第157節と158節は、預言者イーサーについて次のように語っています。

「彼らは、“私たちは、神の預言者でマリヤムの息子、イーサーを殺した”と主張しているが、彼らはイーサーを殺しておらず、彼を絞首刑にもしていない。彼らは間違っており、イーサーの殺害について対立する人々は、それについて疑っており、何も知らず、憶測に従っているだけである。そしてイーサーを殺していないと信じている。イーサーは神へと召されたのだ。神は全知全能であられる」

 

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