コーラン、第10章ユーヌス章ヨナ(1)
今回は、コーラン第10章ユーヌス章ヨナについてお話ししましょう。
慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において
ユーヌス章ヨナは、コーランの10番目の章で、ムハンマドが預言者に任命された直後にメッカで下されました。この章は全部で109節あります。
ユーヌスとは、神の預言者の名前です。コーランでは、ユーヌスという言葉が4回出てきます。この章の第98節で「ユーヌス」について触れられているため、この章には彼の名前がつけられています。
「慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において。アリフ、ラーム、ラー。これは英知にあふれた書物の節である。人々にとって、彼らのうちの一人の男に我々が啓示を下したことは驚きであるのか。我々はこの人物に、人々に警告を与え、また敬虔な人間たちには、主の御許で高い地位を得るという吉報を与えさせるようにした。不信心者たちは、『まことにこの人物は明らかな魔術師である』と言った」
コーラン第10章ユーヌス章ヨナユーヌス章の第1節と第2節
ただいまお聞きいただいたのは、ユーヌス章の第1節です。コーランが「英知にあふれる書物」とされたのは、コーランには確固とした秩序があり、あらゆる誤りや迷信を遠ざけ、真理以外のことを語らず、真理以外の道にいざなうことはない、ということを指摘しています。
多神教徒が繰り返し提示してきた疑問の1つは、「なぜ、天啓が天使ではなく人間に下されたのか」というものでした。コーランはそれに答えて次のように述べています。「人々にとって、同じ人間に啓示が下されたことが、それほど驚きに価するのか? だが、指導者というものは、その信者と同じ性質のもので、彼らの痛みを理解し、彼らのニーズを把握している必要がある。彼らのニーズや問題を把握できていないのに、彼らを指導することなどできない」 この節はおしまいに次のように語っています。「不信心者たちは、『この人は明らかな魔術師である』と言った」 つまり、彼らは実際、預言者の奇跡的な言葉や輝かしい決まりごと、その他の奇跡に対して、納得のいく回答を与えることができませんでした。そのため、コーランの奇跡を魔術と解釈したのです。
ユーヌス章の内容は、多くが、唯一神の信仰、コーランの真性、多神教徒に対する警告、彼らの疑問に対する回答、創造と創造主である神の偉大さ、現世のはかなさと来世への注目の必要性となっています。この章は、メッカで下された多くの章と同じように、いくつかの基本的な問題を重視しており、中でも最も重要なのは、源である神と復活の問題です。この章では、神の預言者たちの人生の一部についても触れられています。
ユーヌス章の第5節と6節は、人間の神を知る基盤を強化するために、創造における神の措置の例を挙げています。
「彼こそは、太陽を明るくし、月を光とし、その軌道を定め、あなた方が年数を知ることができるようにした。神はそれを真理のためだけに創造された。彼は知識を持つ人々のためにしるしを説明する」
コーラン第10章ユーヌス章ヨナユーヌス章の第5節
太陽は世界中を明るくする光によって、生物の生活の場所を暖め、照らすだけでなく、植物や動物が育つ上でも、大きな役割を果たします。原則的に、風や川の流れなど、地上における全ての運動は、この太陽の恩恵によるものであり、太陽の黄金の光が地上を照らさなければ、すぐに静寂と暗闇、死が辺りを包み込みます。月もまた、その美しい光によって、私たちの夜の闇を照らしてくれ、荒野では、夜の旅人の道しるべとなります。また、地上に住む人々にとって、月の淡い光は安らぎの源となります。
神は、私たちが年数を数え、自分の生活や仕事のリズムを把握することができるように、月の軌道を定めています。月は新月から次第にその明るさを増していき、半月で満月になります。その後は少しずつ小さくなり、月の終わりには再び細い三日月の形になり、こうして同じ満ち欠けを繰り返します。このような月の変化には意味があり、誰もがその目で確かめ、生活のリズムを調整するための非常に正確な自然の暦なのです。月が地球の周りを回り、地球が太陽の周りを回っていることは、全ての人にとっての確かで明白な自然の暦の基盤なのです。人間の生活や社会的な結びつき、商業活動における年月の計算は、全ての人にとって重要な問題です。神はこのようにして、正確な計算に基づく生活の可能性を、人類のために整えているのです。
ユーヌス章の第6節には次のようにあります。
「明らかに、夜と昼の巡り、また神が天と地に創造したものの中には、敬虔な人々のためのしるしがある」
この節は、夜と昼の巡りを思い起こさせ、このようなしるしによって、敬虔な人々は真理を理解するようになると強調しています。しかし、何も知らない人たちは、神のこのようなしるしに全く気がつきません。この節では、昼と夜の巡りが、神のしるしの1つとされています。太陽の光が常に地球を照らしていたら、地球の温度は非常に高くなり、生き物が生き続けることはできなくなっていたでしょう。また、夜がずっと続いていたら、全てのものは寒さに凍り付いてしまっていたでしょう。しかし神は、夜と昼を順番にめぐらせ、地球上で生き物が生きる可能性を整えてくださったのです。
ユーヌス章の第7節と8節は、来世における人々の運命と復活について説明しています。復活の日によみがえることを望まず、現世の生活のみに満足する人々、そして神のしるしに気づかない人々、彼らの居場所は地獄の業火となります。復活を信じなければ、現世の物質的ではかない生活や地位に固執し、様々な穢れに陥るのです。とはいえ、こうした人々の対極には、別の人々がいます。
「信仰を寄せ、善を行った人々、神は彼らを、その信仰心によって導く。彼らの下には、楽園の庭園の中で小川が流れている。彼らはその楽園の中で、『神よ、あなたは清らかで無謬のお方です』と言い、彼らの挨拶は、『平安あれ』であり、彼らの最後の言葉は、『称賛は、世界の主である神のみのもの』である」
信仰を寄せ、善い行いをした人々、彼らは神によって導かれます。神の導きの光が、彼らの人生の地平線を明るく照らし、それによって彼らは、現世の物質的な華やかさにも、悪魔の誘惑にも欺かれることはありません。来世でも、神は楽園の恩恵にあふれた庭園の中で、下を小川が流れる宮殿を彼らに与えてくださいます。彼らは、親密さと喜びにあふれた空間で過ごし、様々な恩恵を与えられます。彼らは、「神よ、あなたはいかなる欠点も持たず、過ちを犯さない方である」と言い、神を称賛し、神に感謝を捧げます。
ユーヌス章の第37節では、再び、多神教徒の主張が否定されています。
「このコーランは、神以外の存在によって捏造されたものなどではない。それどころか、それまでの天啓を確証させ、神の書を詳しく解説するものである。それが世界の創造主からのものであることに疑いはない」
多神教徒は、“預言者はコーランを自分の考えによって作り上げておきながら、それを神によるものだと偽っている”と主張していました。しかし、この節は、そのような誤った考え方を否定し、次のように語っています。「これは天啓の書である。この書はそれ以前の書物を確証しており、以前の書物の中にもあった創造のしるしや吉報は、コーランとそれを下された者と完全に一致している。それ自体、この書物が偽造されたものではなく、本当に神から下されたものであることを証明している」
ここでコーランは、否定する人たちとの闘争を求めています。
「彼らは言う。『[預言者が]コーランを勝手に作り、神のものに仕立て上げているだけだ』と。言え、『あなた方の言っていることが本当ならば、あなた方もそれと同様の章をもたらし、神以外の誰かに助けを求めてみるがよい』」
この節は、コーランは奇跡であるとはっきりと述べている節のうちの1つです。そして、世界の人々に対し、これらの節が神からのものでないと言うのなら、少なくとも、それと同様の章を一章でももたらしなさいと語っています。明らかに、コーランの奇跡は、その表現の豊かさや雄弁さだけではありません。当時は知られていなかった知識を明らかにしているだけでなく、先人たちの歴史について述べていること、またコーランの中にはいかなる矛盾も存在しないこともコーランの奇跡です。
ユーヌス章の第57節では、「コーランは、人間の社会的、道徳的な病を治すための処方箋だ」と語っています。
「人々よ、まことに主からあなた方のために忠告が下された。それはあなた方の胸の中にある事柄を癒すためのもの、敬虔な人間のための慈悲と導きである』と」
この節は、全ての人へのメッセージとして、人類全体にこのように語りかけています。「人々よ、あなたたちのために神から忠告が下った。この言葉は、人々の心の病を癒す源であり、人々を導く手段であり、敬虔な人々への慈悲である」
人々の心の病とは、出し惜しみ、憎しみ、嫉妬、多神教信仰、偽善といった精神的な穢れを指します。コーランは、醜い性質や罪を心から消し去ります。シーア派初代イマーム、アリーは、この事実について次のように語っています。「自分が持つ多くの病について、コーランに癒しを求め、問題を解決したい際には、コーランに助けを求めなさい。コーランの中には、不信心や偽善、迷いといった痛みを癒す、最大の治療法がある」
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