1月 08, 2022 22:51 Asia/Tokyo
  • コーラン第15章ヒジュル章ヒジル、第9節
    コーラン第15章ヒジュル章ヒジル、第9節

今回からは、コーラン第15章ヒジュル章ヒジルについてお話ししましょう。

慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において

ヒジュル章は99節あり、イスラムの預言者ムハンマドがメッカからメディナに移住する前に、メッカで下されました。この章の名前は、第80節から、サーレハの民のヒジルの人々に関して述べられていることに由来します。

 

この章では、コーランとイスラムの預言者ムハンマドに対する不信心者たちの誹謗中傷が述べられています。不信心者たちは、迷信を信じ、完全な理性を持った預言者を、狂った人間と呼び、コーランを、狂った人たちの戯言と呼んでいました。この章は、預言者を慰め、陰謀を企てる敵に対して、忍耐強くあるようにと呼びかけています。

 

ヒジュル章では、創造の源を知ること、世界の様々な神秘について研究することで、神を信仰することが述べられ、その中で、コーランの偉大さと重要性、復活と悪を行った人々の懲罰、アーダムの創造と悪魔・イブリースの犯行、過去の民たちのたどった運命について述べられています。

 

ヒジュル章の第1節から第3節には次のようにあります。

「アレフ、ラーム、ラー。これは[天の]書物、真理を明らかにするコーランのしるしである。不信心に走ったどれほど多くの者が、“イスラム教徒だったらよかったのに”と言うことか。彼らのことは放っておくがよい。彼らは好きなだけ食べ、楽しめばよい。様々な望みが彼らを迷わせているが、まもなく知ることになるであろう」

 

この3つの節は、コーランの偉大さを述べると共に、神の明らかな節への反対に固執する人々に対して、いつか、彼らがその頑なな態度の悪しき結果に後悔する日がくるだろう、と警告を発しています。そのとき、多くの不信心者たちは、イスラム教徒だったらよかったのに、と嘆きます。これについて、シーア派6代目イマーム、サーデグは次のように語っています。「最後の審判の日、全ての人々に聞こえるように布告者が叫ぶ。今日、イスラムを信仰した人たちを除いては、楽園に入ってはならないと。そのとき、他の人々は、自分がイスラム教徒だったらよかったのにと願うのだ」

 

次の節は、厳しい調子で次のように語っています。

「預言者よ、彼らのことは放っておくがよい。彼らは[家畜のように]好きなだけ食べ、現世のはかない生活に満足し、願望に夢中になっていればよい。だがまもなく、彼らは真理を理解することになるだろう。彼らは動物のように、食べることと物質的な満足以外、何かを理解することはなく、彼らが行う努力と言えば、それらを手にするためのものである。彼らは高慢さと無知、大きな願望に囚われるあまり、もはやこの世界の真理を理解する力を持っていない。だが、無知の幕が取り払われ、死が訪れて最後の審判の場に立つとき、彼らは、自分がどれほど損害を蒙る不幸な人間であるかを知るであろう」

 

この節は、人間の願望の繊細な天に降れています。明らかに、希望や願望は、人間の生活を回転させるための要素であり、人々の心から希望や願望がなくなれば、活力が失われてしまうでしょう。預言者ムハンマドは次のように語っています。「希望は私の共同体の慈悲の源である。希望の光がなかったら、母親が息子に乳を与えることも、庭師が若木を育てることもなかったであろう」

しかし、もしその希望が、節度を超えて、根拠のない願望に帰ったとしたら、逸脱や不幸の原因になります。雨は生と繁栄の源ですが、限度を超えると、破壊的な洪水をもたらします。コーランは、根拠のない希望や野望は、人間を空想に陥らせ、本来の目的の達成を妨げると強調しています。

 

ヒジュル章の第9節には次のようにあります。

「まことに我々は、自らコーランを下し、自らそれを守る者である」

 

コーラン第15章ヒジュル章ヒジル、第9節

 

不信心者の口実探しや、預言者とコーランに対する誹謗中傷の後で、この節は、根本的な真実を述べています。それは、コーランが、神によって灯された明かりであるということです。そのため、その明かりは決して消えることがありません。また、決して沈むことのない太陽のようなものです。なぜなら、神は、自らがそれを守る存在であるからです。もしあらゆる有力者や学者が互いに手を取り合い、その光を消そうとしても、決して、それを実現することはないでしょう。なぜなら神は、コーランを、あらゆる歪曲や変更、加筆や消去から守っているからです。世界が存在する限り、この導きの書は確かに存在し続け、それがなくなることはありません。

 

啓示の記録者たちは、コーランの節が預言者に下された後、それらを非常に注意深く記録していきました。アブー・アブドッラー・ザンジャーニー氏は、コーランの歴史という本の中で、次のように語っています。

「預言者は、啓示を記録させるための多くの書記を有し、43人いた」

 

現在、イスラム教徒の学者たちは、シーア派もスンニー派も含め、コーランではいかなる歪曲も行われなかったこと、現在、私たちが手にしているコーランは、預言者に下されたコーランそのものであり、そのうちの一言も、増やされたり、減らされたりはしていないという見解で一致しています。このように、この天啓の書物は、啓示が下されたときから現在まで、手付かずのまま残っており、その光によって、人類を救済へと導いています。現在、コーランを侮辱するための敵の様々な陰謀が、実を結んでいないのを私たちは目にしています。そしてそれどころか、人類の知識の裾野が広がれば広がるほど、この書物の真理や神秘が明らかになり、学者たちは、この書物のより詳細な点を突き止めるようになっています。コーランは、憲法であり、人間の生活や統治のための指南書であり、幸福になるための秘訣です。シーア派初代イマーム、アリーは次のように語っています。「神は、ある書物を預言者に下した。その書物は、決して消えることのない光であり、暗闇に染まることのない明かりであり、案内人が決して道に迷うことのない部族であり、真理と偽りを区別する源である」

 

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