1月 12, 2022 23:21 Asia/Tokyo
  • 聖典コーラン
    聖典コーラン

今回の番組では、コーラン第16章アン・ナフル章蜜蜂についてお話しましょう。

慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において

聖典コーランは、神からの預かりものであり、イスラムの預言者ムハンマドの遺産です。預言者ムハンマドは、この書物を頼りにすれば、人々は迷いから救われると語っています。間違いなく、コーランに頼ることとは、それを聖なるものと見なし、称賛するだけでなく、その気高い教えに従うことを指しています。コーランの章を知ることは、コーランについてよりよく知り、その偉大な教えについて考えるための一歩となるでしょう。

 

アン・ナフル章は全部で128節あります。この章の一部はメッカで、別の部分はメディナで下されました。この章は、何よりも、神の恩恵について語られています。こうした恩恵の中には、雨、様々な植物、果物、食料があります。また、人間のために奉仕し、多くの恩恵や利益をもたらす動物についても触れられています。この章の説の目的は、人間に、こうした多くの美や恩恵への注目を促し、人間の感謝の気持ちを強化することにあります。この章は、その中で、蜜蜂や、この昆虫の生活に存在する神のしるし、栄養価の高い治療効果のある物質であるハチミツについて述べられているため、「アン・ナフル=蜜蜂」と名づけられています。この章では、唯一神信仰、創造の偉大さ、復活、多神教徒の脅威といった事柄についても述べられています。また、正義、善、移住、神の道における戦い、圧制や不道徳、約束の反故の否定、悪魔のささやきについても語られています。

蜜蜂

 

イスラムの預言者が、反対者や多神教徒たちと対立し、彼らの多神教信仰や偶像崇拝をやめさせようとしていた頃、預言者と激しく対立していた人々は、「もしあなたが本当のことを言っているのなら、私たちに責め苦を下すよう、神に求めてほしい」と言っていました。しかし神は、慈悲により、彼らへの責め苦を遅らせ、彼らが深く考え、頑なな心を捨てて慈悲に授かることができるように、猶予を与えていました。しかし彼らは、その機会を有効に利用せず、日々、その敵対を強め、神の預言者を侮辱したり、嘲笑したりしていました。彼らに答え、また神の預言者の心を慰めるため、この章の前半の節が下され、彼らに、そのような行いを急がないように、としています。

 

アン・ナフル章の第1節と2節には、次のようにあります。

「[多神教徒の懲罰に関する]神の命が下った。だからそれを急いではならない。神は無謬であり、彼らは神に同等のものを配するが、神はあらゆるものよりも高くあられる。神は天使たちを、神の命である啓示と共に、望む僕のもとに送られる。人々に警告を与えさせるために。『私の他に神はいない。だから私のみを崇拝しなさい』と」

アン・ナフル章の節は、多神教崇拝を根絶し、唯一の神に人々を注目させるために、2つの道から入っています。一つは、創造主の偉大さと創造の驚異的な秩序による理性的な根拠を通じてであり、もう一つは、神の様々な恩恵を述べることによってです。例えば、この章の第3節から先には、神の数々の恩恵が述べられています。第3節と4節には次のようにあります。

 

「天と地を正しく創造した。神は彼らが同等に配するものよりも優れている。人間を精液から創造した。その上で人間は明らかに敵対する」

天と地の創造に触れた後で、人間について、価値のない精液から創造されたものだとし、同時に、人間は創造主に対して敵対を表明するほど、高慢な存在であるとしています。

 

人間の創造の後では、家畜と、それらがもたらす様々な効果という重要な恩恵にが述べられています。アン・ナフル章第5節と6節には次のようにあります。

「また家畜を創造した。家畜には、あなた方のために、覆う手段やその他の利益があり、それらの肉を食べる。あなた方にとって、それらの中は、放牧から戻るとき、またそれらを放牧に連れ出すとき、壮麗さと魅力がある」

 

家畜が人間にもたらす様々な効果には、3種類あります。一つは、衣服や覆いをもたらすこと。家畜の毛や皮を利用することにより、人間は覆いを作ります。洋服やシーツ、靴や帽子、テントなどです。二つ目は、乳や副産物などの恩恵、三つ目は肉です。興味深いのは、これら全ての効果の中で、何よりもまず、衣服と住居が提起されていることです。それは、多くの人々、特に遊牧民が、羊毛や皮から着る物を作り、彼らを寒さや暑さから守ってくれるテントを作っているためです。いずれにせよ、それが、衣服や住居が何よりも優先されている由縁です。

 

コーランは、この家畜の物質的な通常の利益だけに留まらず、家畜を有することにより精神的な効果にも触れ、「これらの家畜を放牧から連れ戻すとき、また朝にそれらを放牧のために山や荒野に送り出すとき、あなた方にとって、特別な魅力がある」と語っています。羊や家畜が、荒野や草原へと集団で向かう光景、その後、休む場所へと戻る光景は美しく、社会の努力や活力を物語っています。実際、それは、社会の壮麗さは、活力と努力にあるのであって、停滞の中に、それは見られないということを示しています。明らかに、自然の恵みを合理的に利用し、農業や畜産業を発展させる社会は、自給自足を達成し、貧困から解放されます。

 

コーランは、家畜が人間にもたらす重要な利益について、アン・ナフル章の第7節と8節で次のように語っています。

「彼らは何度も、苦労しなければ届けられないようなあなた方の荷物を運ぶ。まことにあなた方の主は、慈悲深い方であられる。馬やらば、ロバを創造したのは、あなた方が彼らに乗り、またあなた方を飾る源になるようにするためである。神は、あなた方が知らない、多くのもの[、別の移動の手段]を創造する」

 

神の慈悲のしるしの一つは、家畜を力強く創造し、それらを人間に従わせたことです。注目に値するのは、テクノロジーと機械的な生活の時代である現代においても、谷や急な坂、山岳の険しい場所を通過する際など、多くの場合に、最良の手段は、家畜を利用することだということです。第8節では、人間が乗る動物が挙げられています。神は馬やらば、ロバを、人間が乗って移動できるように創造しました。それらに乗ることは、安らぎの源でもあり、栄光と華やかさでもあるのです。

 

 

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